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『月刊なおぽん』半年を振り返る

王様の耳はロバの耳。

わたしにとってnoteは、ツイートできない言葉を書き溜める「秘密の穴」だった。
公開しないのだからどこに書いてもよかったのだけど、あえてnoteを選んだ理由は、どこかに「いつか形に」という思いもあったのかもしれない。

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幼い頃から、文章を書くのは好きだった。
絵日記、遠足の作文、校内新聞、読書感想文コンクール、スピーチコンテストなど、舞台が大きくなる度にワクワクした。何より評価をもらえることが嬉しかった。

でもそれらは、何かの課題に合わせた文章であり「作品」ではなかった。
望まれる内容に沿って書いただけのものだ。
誰に望まれるわけでもなく書いた「作品」を人に見せるのは気が引けた。

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王様の耳はロバの耳。
ひっそりとつぶやき続けた穴に、ひと粒の種が落ちた。

きっかけは、小さなことだった。
酒に酔った勢いであるひとつのnoteの非公開URLを友人に見せた。
なんでもない経験を、ぎっしりと混沌と書き込んだそれを、友人は「ネタの宝庫だ」と評した。
ちゃんと書いてみよう。ひとつでもいい、きちんと仕上げてみよう。そう思った。

時間をかけて、文章だけじゃなくもう一度、自分自身を見つめ、言葉を選ぶ作業を繰り返す。
そして、勘違いに気づいた。
文章を書くのは、「武装すること」だと思っていた。
かっこいい言葉を選び、かっこよくまとめ、面白さの中に自分を隠していくこと。
推敲して文章を研ぎ澄ましていくことは、まるで一枚一枚服を脱いでいくようで、世に作品を出すのは丸裸の自分を見せるかのように感じた。
その作業こそが、「誰かに伝わる文章」に必要なことだったのだ。

そうして最初のnoteが書き上がった。

多くの方が「読んで良かった」と言ってくれた。
つくる・伝える、とはこういうことだったのか。それを、やっと知ることができた。

何かを「書く」という視点になった途端、なんでもない日々の景色の見え方が変わった。

何の変哲もない自転車を使う日々も、改めて振り返ってみれば、その小さな変化の積み重ねが自分にとって大切ものだと気づけた。

次に何を書こう、と思ったときに、真っ先に浮かんだのは「祖父」だった。

昔、母の引き出しの中に、偶然、祖父に関する手記を見つけたことがあった。
何を書いてあったのかも忘れてしまったけれど、何かを書きたくなる、誰かに伝えたくなる、そんな「ネタに溢れた人」だった。

思いもよらぬ反響があったのは、鉄道好きの息子たちについて書いたこの回だ。桁違いのビュー数。みんな、そんなに鉄道が好きなのか。

鉄道にさほど興味のない私にとっては苦行に近い鉄道聖地行脚もネタになる。そう思えば、息子たちとの時間をより楽しめるようになった。

自分のことを書くのが少し苦手なわたしにとって、次のnoteはちょっとした挑戦だった。

noteを書き、日々の生活や息子たちを以前よりも客観的に見られるようになると、我が家の長男がより誇らしく思えるようにもなった。

この回を読んでから『そして今日も自転車にのって』を見直すことがある。
彼の成長を感じる瞬間は、わたしにとって特別なものだと書くことを通じて再認識した。

定期的に何かを「書く」ということが、こんなにも、視点の変化、心の変化をもたらすとは思わなかった。

変わったといえば、飲酒量も少し変わった。
特に、ストレスを感じたとき、以前は大量の酒と共に消化するのが常だった。嬉しいときもよく飲んだ。暇があれば飲んだ。とにかく飲んでいた。
最近は違う。
「そうだ、月刊なおぽん、進めておこうかな」と、PCを開く。
直近の健康診断の結果もすこぶる良好だった。
書く人になるのは、健康にも良いのかもしれない。
※これは個人の感想であり、効果・効能を示すものではありません。

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王様の耳はロバの耳。
あの日、穴の中に落ちた種は何を生んだのか。

書くことにときに苦しみながらも、40歳を越えて、自分がやりたかったことに気づいた。
あの種の芽は、「書く人」になろう、と心に芽生えた覚悟なのだ。

今、友人に最初に送った文章を読み返すと、あまりの恥ずかしさにじっとしていられない。ひとりよがりの、酷い出来だ。

あの日、友人が「センスないね」と言えば、秘密の穴はしっかりと閉鎖されていたはずだ。
自己満足で書く文章と、「誰かに伝えたい」という思いを込めて推敲した文章とはこうも違うものか、と身をもって感じる。

書いては推敲、書いては推敲をひたすら重ねる毎日。
そんなことをしているうちに、「今ならあのことも書けるかもしれない」と思うテーマも増えつつある。
とにかく、ネタは腐るほどあるのだ。

そのネタを今、少しまとまった形にしてみようと考えている。
だが、何せ時間が足りない。
パソコンに向かっていると、「お腹が減った」と二人の息子にせがまれる。
さっき食べたばかりでしょうが。

不器用でスローペースな私としては、「まとまった形のもの」のために、少しギアチェンジが必要だと最近気づいた。

月刊なおぽんは、しばし、季刊なおぽんにペースダウンします。

この芽はどこへ伸びていくのか、いつか何かの花が咲くのか。
まだわからない。
少しずつ水をやりながら、どこまで成長できるか試してみようと思う。

今後もご愛顧を!


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