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引き算の練習

家族3人の健康診断が終わった。

いつも元気印の中学生の娘が、どこも異常なしなのは想定内として、わたしも夫も、基準値をはみ出した項目はゼロ。ピカピカの結果に安堵、いや、控えめに言っても、大喜びである。

健康な体あってのフリーランスゆえ、健康診断は毎年休まず受けていたが、昨年はコロナによって見送ってしまい、2年ぶりだった。
長引く自粛生活と、人生を折り返した年齢、おまけにわたしの場合は中学受験のストレスも相当だったので、腸とか、婦人系とか、どこぞに異常が見つかってもおかしくないという覚悟で臨んだ。
それでもなんとか踏みこたえていたとわかったわが肉体に感謝しつつ、これからはなるべく体に負担をかけず、長く元気に生きていけたらいいねと、あらためて夫婦で話している。

体から送られてくるサイン


ここ数年は少しずつ、わたしも夫も「引き算の気持ちよさ」を体感できるようになってきた。

「食事は腹八分目」「お酒はたしなみ程度」、といった意識は、若い頃は絶対無理だと思っていた。
でも、50年近く生きてくると、何か無理をしているときは、体がサインを送ってくれるようになる。
たとえば夫の場合、昔は500ml缶を2本3本スイスイと飲むほど大好きだったビールを、昨年あたりから「なんだか昔みたいにおいしくないんだよね」と言いはじめた。
基本は週末しか飲まないのだが、350ml缶の2本目に手を伸ばすと、途中からなぜかしゃっくりが出ることが増えたという。
本人曰く、クラフトビールとギネスビールではそうした症状が起きないらしいのだが、エビスでも、クラシックラガーでも、ちょい高のプレミアムモルツだとしても、しゃっくりが出てしまう。これはもう、ビールの長年の習慣も見直してくださいよ、という体の声かもね、と話している。

夫×ビールは、わたし×小麦粉と同じかもしれなくて、2年ほど続いているグルテンフリー生活を始める直前が、ちょうどそんな感じだった。


自分はパンも焼き菓子もパスタも大好きな人間である、というのは頭で思っていることで、しかし食べると、胃腸が消化しづらそうにしているのがわかるようになってしまった。
そして、原因となる小麦を抜いてみれば、内臓がラクそうにしている感じもまたわかり、そうすると、昔から好きだったものを単に習慣で一生食べ続ける必要なんて、どこにもないんだな、と思えてくる。
といっても、おいしい焼き菓子の誘惑を完全に断ち切ることは難しく、今でもまったく食べないわけではないし、米粉のものは喜んで食べている。
いずれにせよ、以前に比べれば摂取量はぐんと減っているから、小麦製品を食べてもいきなり体調が悪くなることもない。要は、大好きだったころは毎日適量をオーバーしていたということなんだろう。

小さくしていく人生は寂しくない


先月読んだ、稲垣えみ子さんの『寂しい生活』という本は、そんなわたしの今の気分にぴったりの内容だった。

意図的とは思うけれど、タイトルのインパクトから想像する内容と、実際の内容はちょっと違うな、という印象を持った。

端的に言えば、稲垣さんの生活は寂しくないし、ご本人もおそらく寂しいなどとは思っていない。

東日本大震災を機に、電気に頼らない暮らしに踏み切った稲垣さんが、長年の思い込みで所有してきたさまざまなモノを一つ一つ手放していく、その過程がていねいに綴られているのだが、暮らしを小さくしていけばいくほど、稲垣さんの心は自由になっていくのが、読んでいるとよく伝わってくる。
人は身軽になるにつれて、前向きに、それにともなってしあわせになっていくものなのかもしれない。シンプルにそう納得できる、希望にあふれた内容だった。
そこに寂しさは微塵も感じなかったし、完全に真似するのは無理でも、取り入れたい思考や行動がたくさんあった。

ところが、数日前にニュースから、「国民の半数が少なくとも1回はワクチンの接種を完了したアメリカでは『リベンジ消費』の気運が高まっている」という話が聞こえてきて、一瞬耳を疑ってしまった。

リベンジ消費って………? 

コロナのせいで!とか、コロナで失われた分を取り戻せ!といった復讐心をもって消費に走ることに、今とても違和感を持ってしまう自分がいる。
世界は、昨年末から風の時代に入ったというのに。

もちろんコロナによって失われたものは多いし、大きく変わってしまったことばかりだ。でも、地球を体にたとえれば、異常気象もコロナも、「このまま続けていくのは無理です。何かを大きく変えてくれなければ」っていうサインとして受け止められないか。

稲垣えみ子さんも、東日本大震災と原発事故を、これまで自分を含め、人々が電気を湯水のように使ってきた報いであると考え、そこに加担していたことに責任を感じて、電気を使わない生活に踏み切る決心をしたという。

この1年半は、けっして空白だったわけではなくて、所有や消費こそが幸福だという価値観にとらわれていた土の時代から、それなりの時間をかけて新しい時代の価値観へとシフトする期間だったと、個人的には思っている。

食べるもの、飲むお酒、使うお金、所有するモノ……その量を少しずつ、引き算していきたいというこの気持ちの流れに、素直でいたいと思う。
そこに、オリンピックの開催も、ワクチン接種の完了も、何の影響も及ぼしはしないだろう。

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