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誕生日は自分の点検日

金曜投稿と決めているせいで、偶然重なってしまった。今日はわたしの誕生日。年女なので、48歳になった。

さて、この年齢をどう受け止めるか。
テレビ画面や雑誌の誌面などで不意に「48歳」という字面を目にすると、逃げも隠れもできないミドルエイジ……と感じるわりに、自分自身がその年齢であるという実感が、どうも薄い。
本人の気持ちだけはもっと若いつもり、という話ではなくて、どちらかといえば逆。つまり、すでに50代に片足を入れたつもりで過ごしている。それも45歳あたりから。

心身の健康や食生活についてはそれなりに気をつけているものの、美容の意識が低めのせいもあるのか(けっして自慢できることではない)、自分の年齢に対してネガティブな気持ちになることは、あまりない。
そりゃあ目尻のシワが増えたとか、あちこちの肉がたるんできたなとか、ぎょっとしたり、一瞬どんよりとした気分になったり、日常的にあるっちゃある。けれど、そこそこ気苦労もある毎日を送っているわけで、加齢も当然だよねって思っている。

自分のことも他人のことも、どちらかといえば美容的な尺度での若さより、姿勢や筋肉や体力から放たれる人物としての生命力やオーラの強さの方が、気になる。そういう意識でいると、48歳だろうと55歳だろうと78歳だろうと、いつからだって修正も進化もできるはずと思うのだ。

時おりふと思い出しては勇気づけられる、お守りみたいな存在の言葉がわたしの胸の宝箱にはいくつかあって、そのなかには年をとることに対して前向きなパワーをもらえるものもある。2015年に出版した著書『おしゃれと人生。』で取材をさせていただいた、10人の憧れの女性たちの言葉だ。

この本で取材させていただいたのは、エッセイストの平松洋子さん、ガーデンデザイナーの吉谷桂子さん、料理家のウー・ウェンさん、児童文学作家の角野栄子さん、料理家の有元葉子さん、コスチュームアーティストのひびのこづえさん、服飾デザイナーの横尾光子さん、マクロビオティック料理研究家の中島デコさん、グラフィックデザイナーの若山嘉代子さん、ファッションモデルの我妻マリさん(本の中の登場順)。……あらためてお名前を列挙してみると、なんと華やかな顔ぶれだろうか。この方々が、自分のおしゃれを堂々と楽しんでいるカッコイイお姿と、豊かな人間性がにじみ出るエピソードや人生哲学を惜しみなく披露してくださったのだ。著書ということは別にして、とてもよい本だと今でもまっすぐに思っている。

そのなかで、吉谷桂子さんが、気持ちいいほど的確に、女性が年齢を重ねることについて語ってくれた印象的な言葉があった。先に書いた「45歳あたりから50代の意識」は、あきらかにここからの影響である。

“最近はアラウンド何歳ってくくりが一般化しているけれど、わたしは、人生は四捨五入で考えるべきだと思っていて(笑)、たとえば45歳なら、もう50歳の入口に立っているつもりでいた方がいい。そうやって常に先のヴィジョンを持ちながら生きてきた60歳と、なんとなく年齢を重ねてきただけの60歳は、心構えが違う気がするの。もう若くないと後ろ向きになってしまうか、さぁこれからますます楽しむぞと思えるか”

わたしがこの言葉に強く心を打たれるのは、あくまで視線がはっきりと前を向いているから。また、50歳や60歳の部分は、他のどの年代に置き換えても、メッセージの真意は変わらないと思っている。

誰もが同じように年を重ねるなかで、ある時点で時計を止めたかのようにいつまでも若い人もいるし、それはそれで素晴らしいと思う。でもわたしが惹かれ、憧れるのは、その年齢なりの自然な魅力をまとっている人だ。50代、60代、70代、80代……時間を積み重ねないと手に入れることのできないオーラというものは必ずあり、本に登場してくださった10名の美しい女性たちは、そのことを強い説得力とともに証明していた。

自分の著書を読み返すことはエッセイに関してはあまりないのだけれど、この本はインタビュー集であり、先輩方の言葉がどれも本当に素敵だから、発売から今日までの5年近くで何度か読み返している。そのたびに、当然だけれど取材当時の女性たちの年齢に自分が少しずつ近づいていく。その事実を前に、気持ちがきゅっと引き締まる。

誕生日はもはや特別うれしいものでも、もちろん憂鬱なものでもない。ならばこの本を読み返しながら自分の点検日とするのは、それなりに有意義かもしれない、と思った。

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