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人生でそう何度も起こらないこと

夏休み前の個人面談のために、久しぶりに小学校へ出向いた。

2年前、娘が4年生の年までは、PTAの委員会や読み聞かせボランティアなどでほぼ毎週学校に行っていたし、行事や参観日も毎月のようにあった。
小学校の2軒隣の家に暮らしながら在宅ワークをしている身だと、締め切りが迫るなどの切羽詰まった状況でも、学校へ行かないという選択肢はほぼないに等しい。
それに、いかにも田舎の公立小学校というのどかな空気も心地よく、ここで毎日学んだり遊んだりしている娘の姿を見届けることは、この6年間、安心感と幸福感をわたしにもたらしてくれたと思う。

静かな学校と先生たちの疲れ

しかしコロナ禍で、わたしが学校の構内に足を踏み入れるのは、気づけば今年初めてなのだった。
今週は面談ウィークのため毎日早帰りの時間割で、わたしの順番は夕方だったせいもあり、子どもの姿は校庭で遊ぶ学童の子たちが数人。あとは各教室で、先生と保護者が1対1で話しているだけだから、今までこんなに静かな学校に来たことがあったっけ、というくらいに静かだった。

担任は、5年生から持ち上がりで、2年生のときも受け持っていただいた女性の先生。わたしと同年代と見える方で、以前の投稿でも書いたように、わたしも娘もその先生が大好きなのだ。

個人的に長く話したことはないのだけれど、家庭訪問や保護者会や面談などで話すたびに「この人とは友だちになれそう、いやなりたい」という気にさせられる人。

しかしそんな先生も、まだ面談初日の月曜日にもかかわらず、なんだか疲れて見えた。マスクで目元しか見えないからあくまで気配なのだけれど、もともと溌剌とした印象が強いからか、かえって疲れの影がくっきりと浮かんで見える気がした。
娘から、先生が最近は毎日やんちゃな男子たちを怒っている話を聞いているせいもあるのだろうか。
いやそれ以前に、コロナによって学校の先生たちの負担は間違いなく増えているはずだ。勉強の遅れを取り戻す授業の進め方だったり、変更と中止ばかりの行事やイベントの調整だったり、またコロナの影響で生活や精神面も乱れがちな子どもたちを1人で35人も相手に、観察したり、ほめたり、注意したり、ときに厳しく指導したりしなくてはいけないハードさは、わたしの想像を超えている。

もちろんこれらはすべてわたしの頭のなかでうずまいていたことで、面談のテーマは、いうまでもなく娘の学校生活である。
先生の方からこちらに報告しなければいけないような深刻な問題はとくにないようで、「むしろ、受験組なのに、学校の勉強に手を抜かないのは立派です。課題もちゃんと提出しているし、眠そうにしている様子もないし。勉強でも遊びでも、何をするにしても楽しそうに全力でやってくれる姿は、担任としてとてもうれしいです」と言ってくださった。わたしは「それは娘が立派というより、学校と先生が本当に大好きで楽しいからです」と伝えた。

面談というよりママ友トーク


受験の話が出たことが引き金となり、その後はわたしの方から、なかなか塾の成績が上がらないことや、塾の宿題に追われて友だちと遊ぶ時間もないことなど、受験の苦悩(というより愚痴)を先生に語るようなかたちになってしまったのだが、先生も昨年から今年にかけて娘さんの高校受験を経験されたそうで、「もう……こんなに大変なのか、っていうくらいに大変でした。そりゃ子どもが一番つらいでしょうけど、それをケアする親もこんなにつらいんだ、って。3つ違いの息子がいるので、また3年後にあれをやるのかと考えたら、もう今から頭が痛いです」と話してくれた。

そんな本音まで聞かせてもらうと、もはや担任の先生というより、受験生の母を経験したことがあるママ友と話している気分である。持ち時間15分、すでに次のコマのお母さんが廊下で待っていたため引っ張ることはできなかったが、もっともっと具体的に話を聞いてみたかった。先生も同じ気持ちじゃないだろうか、という雰囲気も伝わってきた。

その先生が最後に言ってくれたこと。
「でもね、親にとっても、自分の子どもの受験って人生にそう何度もあることじゃないんですよね。だからどんな結果でも、これが一番いい結果だったって最後に思えればいいかなって」

そうか、先生にはお子さんが2人いるけど、わたしには娘だけである。ということは、わたしの人生に、子どもの受験に悩む時期というのは今を含めて2回か、多くても3回しか起きないのだ。そう考えたら、これも貴重な人生経験かもしれないと、煮詰まって出口が見えなかった頭に一瞬、風がふっと吹き込むような感覚があった。それは、疲れているに違いない先生が吹き込んでくれた風なのだった。

やっぱりこの人好きだな。
娘が卒業して、お互いにしがらみがなくなったら、いっしょにお酒でも飲みながら子育てや仕事の苦労を分かち合いたいわ。
そんなふうに思える方に娘の小学校最後の担任を持っていただけた幸運をかみしめながら、他の先生たちの疲れまでが染み込んだような、やけに静かな廊下や階段を通って帰ってきた。

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