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「利他」のハードルは、実はそう高くない

自慢じゃないが、人生の前半は、身勝手に、利己主義を貫いて生きてきたわたしである。

生活も教育も不自由なく育ててもらったし、末っ子で、下に面倒を見なければいけない存在もいなかったから、「自分の望みは我慢して誰かのために」といった状況に置かれたことがなかった。

とはいえ、愛情あふれる家庭で甘やかされて育ったかというと、そういう感じとも少し違う。
10代の多感な時期、両親ともに多忙な企業戦士だったから、家の雰囲気はいつもどこかピリピリしていた。
同居していた祖父母も、穏やかに余生を過ごすご隠居さんというよりは、やりたいことや嫌いなことがはっきりした性格で、とくに祖母は気が強く、よく母や姉と口論をしていた。

7人家族の下っ端として、アクの強い家族の様子をじっと観察しながら生きていたわたしは、早いうちから自分の世界を作り上げ、その中で好きな本を読み、文章を書き、音楽を聴いて、映画を見て、おしゃれなファッションやインテリアに憧れを募らせていた。

だからといって部屋に一日引きこもって学校に行かないわけでもなかったから、家族にとってわたしは、少々気むずかしくて理屈っぽい部分はありながらも、概ね手のかからない存在だったと思う。

高校受験で挫折し、大学受験は晴れて第一志望校に合格。しかし新卒の就職活動は惨敗、1年後に転職……と、わかりやすくアップダウンを繰り返しながら、20代の終わりにフリーランスになった。

不毛感や無力感をこじらせた子育て期

独立前の職場はハードだったけれど、人との出会いも多かったから、独立後は仕事仲間がつないでくれた縁から次々と新しい仕事先にも恵まれ、自分で営業に行く必要もないほど、すぐ多忙な身となった。

30代前半、独身。時間もお金もすべて自分の思いどおりに使える生活。
ただ、何の後ろ盾もないフリーランスという立場である以上、一回一回の仕事には全力投球だったし、手を抜いたり驕ったりしたことはない。
それでも「誰のために働き、生きているか」と聞かれたら、それは100%自分のため、だった。

そんなわたしが36歳で親となり、「体と時間を自分以外の誰かのために使う」という初めての経験をした。

わが子はなによりも愛しく、大切な存在であるという気持ちに一点の曇りもない。
けれど、ずっと自分のためにしか生きてこなかったせいか、時間を自由に使えないことや、好きな仕事に没頭できないことに、想像していた以上の苦しさを感じた。

そこに追い討ちをかけるように、親になってもまだそんな身勝手な葛藤を抱えている自分が恥ずかしいという思いや、子どもが成長して反抗期を迎えれば、相手に疎んじられてまで献身する意味などあるのかという疑問まで芽生えてきて、年々苦しみの感情がこじれていく。

この苦しみはどこへもつながっていかないという不毛感。
それでも尚、子どもが成長して手を離れるのを待つしかないのか、という無力感に、ただただ途方に暮れていた40代だった。

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