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“弱い自分を卒業する”という決意


人間社会に不適合だった過去

私は昔から、メンタルが弱かった。
「豆腐メンタル」とかいう可愛いものではなく、激しく「情緒不安定」だった。

引きこもりや自傷行為、自殺未遂、住所不定無職、離婚も、一通り経験した。

母に連れられ、初めて心療内科を受診したのは17歳の頃。父と揉め、激しい暴力を振われたことで、私はかなり情緒不安定だった。薬を処方され、それ以来10年にわたって色々な薬を服薬した。ただ、薬を飲むことは、私にとって根本的な解決にはならなかった

また、その頃の私は恋愛依存傾向にあり、常に誰かと恋愛をしていた。お相手について思い返すと、支配的なパートナーが、大半だったように思う。

自分で自分がコントロール出来ないので、誰かに支配されているのが楽だった。「自分よりも、圧倒的に強い他者に守られている」という安心感や、愛情を得ていたかった。“些細なことで感情が暴走してしまう自分”という存在が、とてつもなく恐かったのだ。

「弱く在ること」で得ていたもの

今振り返ると、私は弱く在ることで、様々なものを得ていたように思う。

例えばそれは、愛する人から常に目を向けてもらい、心配してもらえること。何かをする時に、すぐに誰かから手を貸してもらえるということ。何よりも、“無条件で、他者から大事に扱ってもらえる”という感覚を得られることが、1番だったのかもしれない。

私自身の、「誰かの特別でありたい」「常に愛されていたい」という願望が、「弱く在る」という自分の在り方に繋がっていたのだった。

自分でかけた「わたしは弱い」という呪縛

私は、自分を弱い存在だと思っていた。
でも、実際は、元々弱い存在なのではなかった。それは、自分で自分にかけた“呪縛”のようなものだった。

だからこそ、その呪縛は自分自身の手で解き放つことが出来る。あとは、自分がどう生きたいかという、気持ち次第でいかようにもなりうると気づいた。

弱く在ることをやめる決意

弱く在ることをやめる決意のキッカケは、お付き合いしていた彼が与えてくれた。ある日彼が、私を心配するがあまり、不安定になっている姿を目撃したのだ。あまりにも無意識に、彼の愛を試すような行為をして、私は彼を傷つけてしまったと気づいた。自分のやっていることに、ショックを受け、自分自身に失望した。

なんてわがままで、愛のない行動だろう

それまでの私は、他者が自分に向けてくれる愛情に、期待をしていなかったように思う。これくらい心配かけても、どうせ他人は、そこまで何も感じないだろうくらいに思っていた。

その日以来私は、自己満足のための「弱く在る」生き方を、根本から変える決心をしたのだった。

そして、手に入れたもの

私は弱いという呪縛を手放したことで、様々な変化が起きた。今までは躊躇していて出来なかったことに手を出し、自分の意思で行動出来るようになったのだ。自分の人生への信頼感や、責任感のようなものが自然と湧いてきたように思う。自分自身に本来備わっていたパワーを、自分の手に取り戻したような感覚だった。

そして、自分への信頼感が高まると同時に、他者への信頼感も高まっていった。自分はもう十分に、愛されているという安心感も、少しずつ自分の中に育っていった。

おわりに

人間として生きていく中で、日々たくさんの学びがある。それは、決して平坦な道のりではないかもしれない。

それでも、私は私の人生を信頼して生きる。
常に、身の周りに既にある光に目を向けて生きる。

今この瞬間、生かされていること。
やりたいことが自由に出来る、という豊かさ。

小さな奇跡も見過ごさず、たくさんの感謝と共に、一瞬一瞬を喜びで生きていきたい。

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