JICA海外協力隊を目指した理由
Bonjour☀︎
JICA海外協力隊の小学校教育隊員としてベナン共和国に派遣されているnaoと申します。
たくさんの方にベナンやアフリカについて知ってもらいたいと思い、noteを始めました。
どうぞよろしくお願いします🇧🇯
では早速、協力隊を目指した理由について。
・小学生
学校も家も嫌いで友達もいなかったので、いつも図書館にいました。それが途上国との出会いです。その頃から漠然とインフラが整っていないような途上国に惹かれていました。
・中学生
3年の時、協力隊としてベナンから帰ってきた方が隣のクラスの担任になりました。先生が話すアフリカの全てに惹かれ、私もベナン行きたい!と思うように。この時からJICAを目指します。
・高校生
国際系の学部に進みたかったのですが、「この世界で生きていくには専門性がないとダメだよ」と担任に言われました。教育には漠然と興味があり、教育学部に進むことにしました。
・大学生
学生の9割が教師になる大学に進学したため、周りとのギャップに苦しんだ時期です。
そして何より、カンボジアのスタディーツアーで教育の必要性を思い知りました。地雷埋没地にある学校の現状が想像を絶するもので、頭をハンマーで殴られたような衝撃的な経験をしました。その場で泣き崩れた事は今でもよく覚えています。
この時、いつかカンボジアを含む教育水準の低い国の教育に携わろうと決心しました。教育は全ての根底にあるのだと痛感させられたからです。
このスタツアのおかげで、日本の未来を担う子どもに関わる教師になって経験を積もうと考えました。幼少期の経験から、児相の職員等もいいなと思いましたが、親の次に身近な大人である教師になることで、苦しんでいる子ども達に寄り添えるのではと思い教員を目指しました。
・社会人
コロナ前は教諭経験3年以上から受験可だったこともあり、経験を積んで受けようと決心しました。コロナで計画が狂いましたが、「小中高学年全て担任した6年目にJICAで海外へ行きます」と早いうちから校長に宣言をさせてもらいました。
子ども達には学級通信で世界のこと、価値観のこと。今の私の全てを話してきました。教え子達がいつか「世界を変える力」になってくれたらという想いだけで毎日続けてきました。
※私が所属している愛知県は「現職教員特別参加制度」はありません。昨年度までの勤務校に在籍したまま、無給で参加しています。
【夢】
漠然としていますが、世界中のみんなが幸せになったらいいなといつも思っています。教育はその可能性を秘めていると信じています。
まずは自分の周りの人を大切に、自分自身が幸せに暮らしたい。本当はこの先もずっと途上国の子どもたちと直接関わりたいなという想いはあります。しかし、「まずは自分の周りの人を大切に」という考えから、任期が終わったら、私のことを待っている家族の元へ帰るつもりです。
「ボランティアなんて偽善だ」
いろんな途上国を訪れてから、時にそう思います。彼らは幸せに暮らしている。これから出会う方々もそうだと思います。
そして、何もできないかもしれないし、自己満足かもしれない。できても、時間が経ったら元通りになるかもしれない。
それでも私は教育の力を信じているし、やっぱり何かしたいと思うから、思い続けたから、今ここに来ています。
「できるかできないか」じゃなくて「やるかやらないか」が勝負の2年間だと思っています。
派遣前訓練の「協力隊の歩き方」という講座の「隊員の『行きたい』という要望にその国の政府が『いいよ』って許可してくれたから行けるんだよ」という言葉をこれからも大事にします。
無理せず楽しく頑張ります。
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