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人間の条件散文

沈みゆく夕焼けを見て、あの太陽と一緒に消えたいと思うとき。泣けるひとに憧れながら眺める、泣きたくなる空。死にたくなる、生きている言葉。太陽が昇ればまた無意味な一日か、と肩を落とす。
死んだ人の文章を読んで生きてる、と誰かが書いていた。穂村弘か、虫武一俊あたりだったと思う。

自分の話はしたくない。
素直な気持ちを話したら一人になってしまうことが分かるからだ。わたしは独りになりたくなくて、肩に力を入れ、熱心に人の話を聞く。
好きなものを好きと言うと、嫌なことを嫌と言うと、見捨てられる。これは過去実際にそうだったという体験からの統計であり、わたしの中に静かに佇む。何年も一緒にいた人も、実の親でもそうだったのだから、それはもう確信である。
人前で、嫌と言ったことが果たしてわたしにはあっただろうか。自分の話をすることは、わたしにとって終わりの入口なのである。

ほんとうは、ほんとうは、家事も、愛想笑いも、したくない。起きるのも鬱。日光も夕暮れも鬱。綺麗な景色を見ると一緒に沈みたくなる。川辺で読んで太宰の入水に憧れて、その景色が綺麗なら綺麗であるほど、そのまま消えたくなる。だけども死んだらお金とか死体とか親とか葬式とかいろいろ問題が出るだろうから無理だなと諦める。全然、生きたくないけれど、現実的に死ぬ手続きというものはあまりに大変で、そんなパワーなど到底持ち合わせていないのだ。けれどもわたしは知っている。わたしにはときどき頭に閃光が射し込み、自分はそれに操られ動く機械であることを。わたしはその細い光を静かに待つ。親のエゴで勝手に造られたこの体で。
 
そこでわたしは、人生を楽しんでいるかのようなフリをしてみる。人とうまくやれば、この苦しみが少しはマシになるのかと試す。ちなみに今のところ全く効果はない。なぜそこまでしているのか、生きれば生きるほど分からなくなり、ない睡眠欲を睡眠薬で埋める。何も食べないの、と言われるから人前で食べる。全く無い性欲が、あるような素振りをして食いつなぐ。
驚いたことに、人間の条件であるはずの三大欲求がわたしにはどれも全くないのである。

それなのに弱さゆえ、誰かと足並みを揃えて生きることを諦める勇気はない。わたしは明日も早起きして演技をするだろう。ダウンロードした説明書に従いながら、社会のルールを心得たような顔をして歩くだろう。意見など言わずに相手の求めてる言葉を即座に用意して笑顔で並べる毎日が続くのだろう。

嘘と真の化かし合い
 
僕は君が思うような人間じゃない。
そうさそんな人間じゃない。
 
もはや僕は人間じゃない。

森山直太朗『生きとし生ける物へ』


【余談】
森山直太朗はラジオとか聞くとずっとおどけてて面白いのが、聴いていて少しだけ苦しい。
 
友人オススメの吉本隆明、狙い目の親鸞は高かったので『遺書』から購入。ちなみにこの友人にはクレール・マランを勧めたが、もともとはマランもnoteのフォロワーさんから紹介してもらったものだった。ネットは良い。

ずっと読んでみたかったピエール・リヴィエールを漁っていたら面白そうなものが出てきた。『犯罪者の自伝を読む ピエール・リヴィエールから永山則夫まで』小倉孝誠。こちらもポチ。

好きなものの話は楽しい。本の話をしよう。純粋な興味だけの話がしたい。自分のことは棚に上げて。昔ツイキャスで永遠に喋り続けていた黒歴史を、ここには書ける。

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