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ゴールデンカムイを教えてくれた元同僚から、再会する創作物のよさに思いを重ねる

最近は『ゴールデンカムイ』という作品に魅了されている。実写化で映画をなされて観に行った結果、原作を読み直し、アニメを視聴し直し、再熱をしたと言った方が正しい。

沢山供給されるコンテンツの中で、初手で心を鷲掴みにすることから振り落としてきた作品が、多く存在していることを私たちは忘れている。消費物として見做し、娯楽として読み捨てられる。必要な頃になって見返すと、心を連れ去ってしまう。フィクションや作品は、いわゆる娯楽なのだけど、本当に出逢うべき時に出逢い、必要な頃に思い出させてくれる。それが良さだ。 


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「私、ゴールデンカムイとキングダムが好きなんですよね」

前職で一緒に働いていた人が、定期健康診断の時、無機質で雑多な声ガヤガヤとなる中で、待機室のソファで偶然と私の隣に座り、ファイルを握りしめながらこぼした。偶然というより、互いに新しく入ってきた組だったから、仲間を探したかったのだろう。私も、彼女に話しかけられて少しだけの高揚感と緊張の糸がほぐれた。互いに新しく入った組で、過去は同じ仕事をやっているのにも関わらず、環境が変わるだけで、全く違うことをしているような心地悪さの共感で、話に花を咲かせたことを覚えている。


「ゴールデンカムイとキングダム絶対読んで下ださいね、あなたも好きになるはずなので」と、後に饒舌なプレゼンテーションで圧倒的な風を吹かせ、職場で見せる顔とは異なる凜々と輝く瞳に私は圧倒されて、この人がいるなら仕事は大丈夫かもしれないな、と思えていた時はまだ若かったのだろう。


そろりとソファの隣席に座った彼女をみて驚き、私たちのコミュニケーションの初手は「このまま有給取って帰りたいですよね、でも大事な時期だし定時後に会議があるから無理か」「定時後に会議とか意味わからないですよね」と苦笑いをしながら、当たり障りのない会話をしていた。

私のスマートフォンに電話が入り、電話口の相方から「何をしているんですか、例の書類どこにありますか、早く帰ってきてください」と告げられて、「すみません、今日私自身の定期健康診断が割り振られた日なんですよ、◯◯さんにも外出すると伝えてありますし、スケジュール共有してます。書類は机上に置いてあります」と答えた後に、盛大なるため息を電話先から漏れたのを彼女は気がついたのか、目線を逸らし、気にしないふりをしてくれている様子だった。「終わり次第早く戻るようには心がけます、では失礼します」とスマホの通話終了をタップするのに手を掛けて、私が行き場のない息を呑むのを待った後に、隣に座った彼女は「なんか、驚くぐらいギスギスしてますよねこの職場」と、堰き止めていたであろう感情をこぼし始めた。


「そうですね、まあ事前に大規模で大変な場所だとは聞いていましたけども」と、愚痴につながりかねない会話を続けるのも不毛だよな、まだ相手も敵か味方かわからないしと思いながら様子を伺っていた。新天地においてたったの数週間でやつれてしまい、先ほどの乗った体重計の数値を看護師に告げられた数を思い出して、自身で嘲笑うかのように、腕時計の金属のコマが余ってたわんでいる自分の腕に目をやる時に、隣に座る彼女が持っているアニメのファイルが同時に目に入った。


「ああ、もしかしてアニメや漫画お好きですか」と、不毛な愚痴になりかねない話を転換するために訊ねると、「えっ、もしかしてあなたもお好きなんですか」と、弾む声色が右耳から流れてきて、重苦しい空気が一瞬だけ晴れたような気がした。


「私はジョジョが好きですね、あとは流行物を齧っているタイプで、おすすめありますか?」「じゃあゴールデンカムイ絶対ハマるから見てくださいね、私もジョジョちゃんと観てみようかなあ」と言った彼女は立て続いて、「私この職場に転勤して、既に体重3キロも落ちちゃいました、さっき数値で出てきて笑いましたよ」と、数分前のぎこちない苦笑いよりも、スムーズに苦笑っていた。「給食なんてハイカロリーなのに、私も今日の検診で体重を見て驚きました、見てくださいこの時計」と情けなく腕を回転してしまう時計の姿を見せて、「あはは、一緒だ」と、この職場に来て初めて笑えた。


定期健康診断の後日、廊下で久しぶりに彼女とすれ違った。「ああ、◯◯さん!あれ(仕事の件)机上に置いときましたよ!そして、漫画着手したんですけど!忙殺されて脳みそに入らなくて!」「助かります!ありがとうございます!心が死んで漫画読めないのわかります、わたしもゴールデ『◯◯先生、◯◯の件でお電話で〜』「あっ、ごめんなさい呼ばれてるや、また今度〜」と嵐のように去っていった。同じ職場で働いているが、直接的に会話をするのは健康診断以来まともにしていなかった。コミュニケーションのほとんどは付箋や文章ツールでのお願いばかりで、直接的に言葉を交わしたのはいつぶりだろうか、と廊下をかけていく彼女を見送り、私も目的地へ早足で向かった。


廊下で言葉を交わした数日後に、彼女は体調不良として仕事を連続して欠席をしていた。去る時まで連絡先を交換できず、「ゴールデンカムイを教えてくれた元職場の同僚」という思い出として残っている。私もその後去ることになり、彼女とは、『ゴールデンカムイ』の話で盛り上がることはなかった。


私はその後、ゴールデンカムイをしっかり読んで、アニメを観ていたが、フィクションに触れるのは、心の余裕がないと無理だということを痛感した体験だった。ただ、勧められた当時は読んでみるという行動をしているだけで、心を鷲掴みにされる所までは当時は到底辿り着けなかった。生活が忙殺されている時は、フィクションに対して、意を送り思いを馳せている場合ではなかった。というより、能動的にならず、わかりやすい消費物として受動的にしか消化、消耗できないのが現実だった。

今になって再読をすると、愛や呪いの解放について思慮をし、今再会するべくして出逢えた作品だったのだと、『ゴールデンカムイ』を教えてくれた元同僚に思いを馳せる。協力をしあう美しさと、己の欲求と向き合い続ける隠喩的に勧めたのだろうかと妄想的に考えることができるが、彼女はきっと一次的なコミュニケーションで、そこまで意味を含んでいるわけではなかっただろう。

しかしながら、あの時の定期健康診断で、愛を与えてくれてありがとう。物語はひょんなことで出会い、あっという間に忘れ去られ、必要な時に思い出す。もう会うことはないけれど、あなたが無機質な待機室で教えてくれたおかげで、今の私が救われています。


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