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所属できない悲しみを抱えて、死にたがりだったあの頃の私へ

中学時代の私へ

相変わらず死にたがりは変わっていないけど、田舎の閉塞した空気感が無理で、結局は集団生活ができないタイプの人間だと20代後半にしてようやく気がつくことができました。いじめられて虐待を受けていたから、学校が嫌いで精神疾患を患い行けない結果だったのだと思っていましたが、そもそもの性格で、みんな一緒で均一や頑張ろうや連帯責任のような、気持ち悪い集団凝縮性が嫌いだったのでしょう。いずれかは不適応を起こしていたか、しこりを持ちながら過ごしていたのには変わりないなと思いました。


新卒で教員をやって、中から変わればと思ったけど、たった1人の若造の力で変えられることもなく、結果論として、均一にする気持ち悪さにずっと違和感を抱いていました。そして、教員になれる立場の人間は、(※どこの分野にも言えますが)ある程度原家族が落ち着いている人がほとんどだと言うことで、そもそも全ての家庭に不全さはあるものの、虐待という事象を経験し、その行為に対しての意味と感情を繊細に捉える人は少数派のようでした。全員がそう言えるわけではないが、ナチュラルに下に見るようなスタンスを持っている人が多数派なこともショックを受けながらも、やっぱりねという世間の当たり前を確認できたような安堵感があり、世の中の序列のようなものにうんざりしましたね。期待をしていたのでしょう、期待をしたって何も変わらないのに。


所属できない悲しみを越えて、なぜ人間は集団性を持って、それが美しいものとして基準を設けなければならないのだろうと、幼稚園の頃から思っていましたね。所属をしないまま輝けたらいいのに、生きれたらいいのにと何度思ったことでしょう。今でも変わらず思っていますよ。


人間、1人では生きていけないというのはそうだけど、帰れる場所が一つでもあれば生き延びられることを、配偶者と結婚しておおよそ5年以上経ち、安全基盤として機能しつつある今、理解しました。これは本来原家族が担う機能だとも知識を得て、ようやく“ふうつ”の人々と同じラインに立てた気がします。遅すぎる反抗期を経て、私の配偶者のたった2人の家族でいろんなものを得ました。

“ふうつ”の人よりサバイブをして凄く努力して頑張ってきました。皮肉を言うようになったのも、私が私を守る全てで、必要がないなら、やるひつようはありません。ですが、過去を精算するためには、笑いにするか、何か形として消化されないと、今起こしている下痢のようにしつこく消化不良は続きます。


“中流家庭”から転落して、給食代が引き落とせずに、クラスメイトの目の前で「給食費がない◯◯さん」とプライバシーの配慮もなく呼び出された平成10何年のあの頃、恥ずかしい思いをしましたね。中学を卒業して、大学進学を目指すために高校へ行ったと思いますが、また一波乱あって、あなたは初手では大学進学はできません。お金もなければ、男きょうだいの理系進学のためにお金を使われて、世の中に対するジェンダーの区分けや、男きょうだいの男としての苦しさも理解しながら、私が女だからそうなったのには変わらないと、ずっと泣いてます。複雑な要因が絡まった事象に対して投げ出しながらも真摯に向き合い、よく生き延びました。そこから他人とより一層、境界線の溝を深く持つようになりましたね。金銭的理由もあって、お金に対して憎悪と執着をさらにするようになります。


ただ、自分で稼げれば、お金で自分を守ることも、好きなこともたくさんできます。コロナだと皆が一緒に鎖国された時代を経て、あなたは再び海外旅行をして、あらためて学生時代に海外留学をできなかった悔しさと、海外旅行の楽しさに触れるでしょう。きっと、私はこれからもたくさん旅行に行くでしょう。そして、外国語を学ぼうと努力するでしょう。


相変わらず、体が強くないことは、下痢になった今、自分の身体の機能を恨みながら休みながら再確認しています。

大人になれば、自分でお金を得て先は広がります。中学生の頃に、初めて自死を選択しようとして、そこからも幾度か試みましたね。あれからおおよそ10年経ちました。

ハッピーエンドの物語のように、生きていて良かったとは言いません。だって、そんなありきたりに「生きていてよかった」なんて溢さないなんて、私の性格なので私が1番知っているでしょう。

それでも、死ななければ、やれることは広がります。あなたの人生はまだ始まってないから苦しいんです、親に支配されて、暴力に支配されて、そんなの消えてしまいたいと願ってしまう機能は当たり前のことです。みんな思います。


周囲は自死を選択しようとした私を責め、自死は悪いことだと子ども相手に一方的にケアもせずに諭してきますが、無視をしましょう。大人になって教員になった私は、嫌いだった教員になり、生徒に向かって過去の自分をケアするかのように、繰り返してそんな説教はせずに、外部機関との連携に励んでいます。道徳性を諭して気持ちよくなる、一昔前の自慰的な教師像をドラマにした主人公のような姿はダサすぎると当時から思っていて、そんなふうには振る舞いません。もっと実利的で、尚且つ、ケア的な様子を含んだ、彼女らの選択肢が広がる繋ぐ役割を仕事として頑張りました。すごいよ。


ベトナムの土地より、日記にて。何かにあたって腹を下してしまった20代後半になって、今後は少しだけ明るいものだと期待を抱いている私より。

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