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創作者は自我を出すべきか否か

定期的に議論になりますが、答えのない議論は無駄以外の何物でもないですよね。
いち創作者として、いちファンとして、こういう考え方もあるんだなーくらいに感じていただければ幸いです。

まず創作者側としてですが、自我はあまり出したくないタイプです。

さんざんnoteで自分語りをしておいて何を言っているんだと思われそうですが「ひとりの人間」として表に出たくない派です。
私は作風と真逆の性格をしているのでイメージを壊しかねないからです。
作品を見てほしいのに本人が邪魔をしたら本末転倒。嫌われたくありませんし(本音)
作者なんて人形劇の黒衣みたいな存在で良いんです。

キャラクターには必ずどこか私と似ている部分があり、物語には思想や願いが含まれています。
そこで自分を出しているのに、本人がそのまま出ていく必要は無いでしょう。
作者本人にも興味を持っていただけるのは嬉しいことなのでしょうが、残念ながらそれを受け容れる心の余裕が私にはありません。
私を好きと云ってもらうより、(オリキャラ)ちゃんが好きと云ってもらえる方がずっとずっと嬉しいです。
ただしSNSや即売会での交流が嫌なわけではなく、むしろ歓迎の立場です。
関わり方のイメージはママ友です。子供(作品・キャラクター)を間に挟んでその親(作者)とも親しくさせてもらえて楽しい、みたいな。
私は創作物を媒介にしないと世界と関われない哀しきモンスター……(?)
だから創作物を好きと言ってもらえるだけで充分です。

そのため〈X〉やBlueskyのように情報が飛び込んでくるようなところでは特に、創作に関係ない話は控えめにしております。
(その反動でnoteは好き勝手書いているのですが……)
もし私のイラストや漫画を見てこのnoteまで辿ってくださっている方がいたら、幻滅していなければ良いなあと願わずにはいられません。

そんな考え方をしているので、ファン側になっても作者の人間性までは知りたくない……と思っています。
作者と作品は別物とは理解しつつも、SNSをみて正直に平たく言うと幻滅した事があります。
好きだった有名人が引退した数年後に暴露本を出したり、不祥事を起こしたりして悲しくなるのと似たような感じでしょうか。

一度そうなってしまうと、作品と御本人をうまく切り離せなくて純粋に作品を楽しめなくなってしまうタイプなので、作者さんのSNSが苦手だなあと思ったら見なかったことにして静かに離れます。
作者さんに興味が無いわけではなく、美味しいものを食べたり推し事したり、健康に生きている様子は受け入れられるのですが……。
ご本人に凸ったり、SNSや匿名ブログでお気持ち()を述べたりなんて愚かなことはしません。
SNS等を見るのは自由ですし、見ないのも自由ですから。

私は臆病なので自我控えめ派ですが、何を言うかより誰が言うかが重視される現代に合わない考え方だなとは思っています。
特にこれだけイラストを描く方が多ければ、絵の魅力以外の付加価値をつけないと埋もれてしまうでしょう。
しかしその付加価値は自我を出すこと以外にもあるのではないか? なんてぼんやり思っている今日この頃です。


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