誕生日に伝えたい『ありがとう』
(この投稿はshoが書いてます)
去年の誕生日はディズニーランドで過ごしました。
2022年5月10日。
あれから1年経過したんですね。
ディズニーで誕生日を過ごすことめちゃくちゃ楽しみにしてたけど、実際はちょっと迷ってた。
なんせ、つい数日前に突然の事故で2年半ぶりにやっと会うことができた母親を亡くしたばっかりやったし、こういう時は自粛するのが世間一般の慣習なのではって思ったし、楽しめるかなぁっていう気持ちもあったので。
ずっともやもやしてたけど、結局行くことにしたのは多分僕の母親やったら
って言うんじゃないかと思ったから。
もちろん亡くなってるからその台詞を母親の口から聞いたわけではなく、僕の思い出の中にいる母親に代弁してもらったわけやけど。
行ってよかったなぁって思います。
母親が亡くなり葬儀が終わった翌々日には東京で仕事があったし、そこからも人に会う予定が色々詰まっていたりで、なるべく普段通り元気よく振る舞わないと相手に心配かけてしまうって思ってたから、ちょっと無理しながら笑ったり、母親が亡くなったことも『考えようによっては僕が帰ってきてるタイミングで本当に良かったと思います』って言ったり。
確かに2年半帰れてなかった間に亡くなってたらめっちゃ辛かったと思うし、僕が帰ってきてるタイミングで良かったことに違いはないけど、本音を素直に言えば
だったので。
後半部分は口にせず、堪えないといけないって思ってた。
でも、自分の誕生日はお祝いして楽しみたいっていう気持ちになりました。
母親が僕を産んだ日で、きっととても喜んでくれた日で、僕の成長と幸せを願ってくれた5月10日っていう日。
その日を本人である僕が喜ばないなんて、そんなこと母親に申し訳ないって思いました。
だからめっちゃ楽しみました。
きっと翌日からはまた誰かの優しい言葉に触れるたびに、自分の本心は口に出さずに堪える日が続いていくから。
誕生日の当日は、僕を産んで育ててくれた母に感謝するためにもめっちゃ楽しみました。
昔から何回も聞いた言葉やけどまさにその通り。
もっと親孝行したかった。もっと親孝行できた。
そんな風に思うけど、母親への親孝行を僕はもうできないんです。
でも『やってよかった』と思える、僕の中では記憶に残る親孝行をしたことがあります。
2018年の僕の誕生日に母親と旅行に行きました。
といっても体力がそんなにないので近場ですが、温泉に行って
その後、なぜか牧場に行きました。
羊を触りながら嬉しそうにしている姿を見て
僕の誕生日を『僕を産んでくれた人へ感謝する日』にして本当によかったと思いました。
僕が母親へこの言葉を伝えたのは僕が覚えている限り2回だけでした。
1回はこの誕生日の時。
もう1回は亡くなった母の棺へ花を添える時。
伝えたい言葉はもっとあったのに。
もっとありがとうを言いたかったのに。
きっとどれだけの親孝行をしていても、親が亡くなった時には『もっと親孝行したかった』と思うのかもしれないんですが、たった1回でも【この親孝行はしてよかった】と思えるものがあると少しだけ救われたような気がする。
自分が生まれた誕生日は“誰かにお祝いをしてもらう日”なことが一般的かもしれませんが“自分を産んでくれた人に『ありがとう』を伝える日”にしてみるの、とっても良いのでご両親のどちらかでも健在な方は是非一度やっていただけたらなぁと。
そんなことを自分の誕生日に思ったのでした。
僕を産んでくれてありがとうね、ママ。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
そんなわけで今日は僕の誕生日なんです。
noteへの好きでおめでとうでもめちゃくちゃ嬉しいですし、有料コンテンツの購入でお祝いしてくださる方がいらっしゃいましたら、美味しいものを食べに行ってサルサでも踊ろうと思います。
有料コンテンツにはアルトゥルとうちの母親のお話を写真付きで書いておりますので是非どうぞ。
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