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メロンソーダを毎日好きなだけ飲めるくらい健康に無頓着になりたい

4月12日 金

メロンソーダを毎日好きなだけ飲めるくらい健康に無頓着になりたい
自分で自分をぞんざいに扱う人に憧れる

* * *

2024年4月の日記です。
最近仕事が忙しくて、noteにアップするのが遅くなりました。

写真はその日とあんまり関係ありません。

4月1日 月

18時半に退勤してグランドシネマサンシャイン 池袋に『オッペンハイマー』を観に行く。巨大なIMAXスクリーンで大満足の3時間だった。音の迫力がすさまじくて、爆発音の轟音はもちろんだけど、それ以外でも”嫌な音”が劇場に響き、生理的に核兵器を拒絶してしまう。

ロスアラモスでの”勝利演説”のシーン。聴衆が足を踏み鳴らす地響き。熱狂的な歓声。 それに応えるためにオッペンハイマーも「日本は大損害を受けたはずだ」「ドイツにも喰らわしてやりたかった」と言って煽る。さらに喜ぶ科学者や関係者たち。人を殺すことをこんなにも喜んでしまえるとは。
次第にオッペンハイマーの視界は白くなり、歓声は爆発音に変わる。笑いは悲鳴に、歓喜の涙は苦痛の涙に。外に出ても目眩のような幻想は続く。(おそらく酒の飲み過ぎで)吐いてる男が、原爆で苦しんでいるようにも見える。

どうして人間は、本来対極であるはずの感情すら、同じ形で表現してしまうのだろうか。わたしたちはうれしくても泣き、悲しくても泣く。楽しくて叫ぶときもあれば、苦しくて叫ぶときもある。 そこが人間の素晴らしさなのかもしれないが、世界を複雑にしている原因でもあるかもしれない。

大迫力で壮大な本作を観ながら、そんなことをずっと考えていた。

4月2日 火

温かいスープをスプーンですくって飲む。
ちゃんとスープが減っていくのを不思議に思うときがある。

すくうという動作の手応えのなさ。

4月3日 水

ずっと上を向いて歩いていると、路上に落ちた嘔吐物や犬のフンに気づかず踏んでしまう。

でも、ずっと下を向いて歩いていると、優しく光る月と無数の星の美しさを見逃してしまう。

開放的な夜は後者を選びたい。(今日は飲み会で帰りが遅くなった。駅から家までの帰り道、少し前を歩いていた人が、夜道に落とされた嘔吐物に気づかず踏んで行ったのを見てた)

4月5日 金

前の会社の人たちと焼肉を食べた。とても楽しかった。

こういうふうに人と喋ること、それ以前にあれを喋りたいこれも喋りたいと思うこと自体、昨年の夏に転職して以来なかった気がする。

自分はとんでもなく大事な人たちを遠ざけていたのかもしれない。
思いっきり笑いながら、自分の不誠実さが情けなくて、それを誤魔化すためにさらに笑った。

自分を大事にしてくれる人たちに正直であること。
自分の選んだ道をしっかり進むこと。
ちゃんとしなきゃだめだなと思った夜。

4月6日 土

夜に『パスト ライブス/再会』観た。

「イニョン」
今の人生(現世)、その前の人生(前世)、これからの人生(来世)。人と人のあいだのつながりに対する柔らかな捉え方が、現世を生きるわたしたちの視野をすっと広げてくれる。

“縁―イニョン―”はロマンチックな概念ですが、結局のところ、人と人との関係や親密さを表すものです

でも、夫の気持ちを踏み躙る行動の数々が、正直気持ち悪かった。

4月7日 日

アーティゾン美術館で企画展「ブランクーシ 本質を象る」を観て回る。

キウイブラザーズじゃん! と思ってタイトルを見ると『魚』らしい。
ただの棒じゃん! と思ったら『雄鶏』らしい。
さすがにそれは無理があるって・・・と思うのだが、そう思ってしばらく眺めていたら、たしかに魚っぽく雄鶏っぽく見えてくるから不思議だ。
そう見えてくるってことは、本質を捉えているってことだろう。

しかし、この垂直性こそが雄の特徴であるとして、それ以外を一切排除する大胆さがすごい。

そんなブランクーシも、愛犬とはちゃんと写真を撮れてなかった。残像すぎた。
これほどの芸術家だって犬は思い通り動かせないんですね。良い良い。

常設展の石橋財団コレクション選で好きだったのが、アンリ・ルソーの『牧場』。ひびわれた牛たち、集合体としての葉っぱ、きれいに整った芝、赤い帽子の少女、雲ひとつない空・・・。すべての調和がなぜか不気味で興奮した。

あと、青が息を呑むほど美しい『針仕事』(黒田清輝)と、
青の使い方がかっこいい『青年像』(海老原喜之助)。

アーティゾン美術館は週末でも人が多すぎなくて好き。

ショップで我慢できずに、Tシャツや犬のぬいぐるみなど6,500円くらい使ってしまった。

その後、mont-bell京橋店でO.D.ジャケットを買った。
久しぶりにたくさん買い物をしてしまった。支払いが怖い。

4月8日 月

忙しい。21時過ぎまで残業するのが当たり前になってきている。
ううう。運動もしてない。

少し遠回りになっても、雰囲気の良いお気に入りの道を通って帰るみたいな健やかさが必要。

4月9日 火

小学生の女の子が、駅のホームで行き先表示を指差し確認しながら電車を待っていた。
かわいくて勇敢だ。

あるエッセイを読み始めたとき。名前から勝手にこの作家は男性だと思い込んで読み進めていた。
30ページくらいのところの一文で、この人は女性なんだと気付いた。

気付いた途端に、それまで読んだページの印象もかなり変わった。例えば、バターパンに切れ込みを入れて生ハムを詰めた朝食を作ったり、夜道を缶ビール片手に歩いたりといった場面。そこに男性の姿を浮かべるのと女性の姿を浮かべるのとでは、やはり結構違う。外見と行動のギャップの大きさからだろうか、そこに感じる可笑しみだったり愚かさだったりの種類が変わってくるのだなあ。

4月10日 水

転職して9ヶ月くらい経った。
自分より社歴が長い年下の後輩と話すとき「仕事できないなこいつ」と呆れられてるんじゃなかろうか。みたいな被害妄想してしまう。

小川洋子の短編集『寡黙な死骸 みだらな弔い』を読み返す。いつも倉俣史朗の「割れガラスのテーブル」が頭に浮かぶ。ガラスがもっとも美しい瞬間、つまり割れる瞬間を永遠にとどめたテーブル。そういう甘美な冷たさがある。

4月11日 木

理不尽な理由で上司に怒られた。やる気を失う。

ドキュメント72時間「国道4号線 ドライブインは眠らない」を観た。良い回だった。

地元に帰省した自衛官の息子(22歳)と、父母の3人。
息子さんは「日本は災害が多いんで 少しでも自分も役に立ちたいなって思いで入隊しました」と語る。こんな若者がいるんだと思うと、まだまだ力がもらえる。
その日は息子さんがごちそうしてくれるそう。ご両親は「今日は特別おいしかったですね」「大人になったなあって」とうれしそう。
ちょっぴり恥ずかしそうで、すごく誇らしそう。

50代のお母さん。シングルマザーで娘が小さいときは、工場勤めに家事に育児に苦しい生活が続いていたという。
「もうずっと20年前 そのころ2人分頼めなくて、(1人分を)分けて(娘に)食べさせてたんですけど。必ず子どもの分の器を(お店の人が)持ってきてくれて。ごはんサービスじゃないですか。
おみそ汁も持ってきてくれたのは、とても感謝と思って」
「(お店の人は何も言わないけど)見ててくれるんだなと思って」
それから20年が経ち、娘さんも社会人として働く今、ここに来る度にいろいろな思いが巡るそうだ。
「だからそのときがなかったら今もなかったかなと思います。毎回来るときには じわっと味わいながら かみしめて食べてます」

おいしさと優しさを力に変えて、それぞれの道のりを前へ。

4月13日 土

夜中から「階段の先には踊り場がある」を観始める。

監督の初期の作品だし、レビューはあまり高くないし、コメディだし、ということで油断していた。

終盤がすごすぎた。もっと真剣に観るべき作品だった。やってしまった。

『違う惑星の変な恋人』『このハンバーガー、ピクルス忘れてる。』『階段の先には踊り場がある』のKCU(木村聡志・シネマティック・ユニバース)については、またどこかで愛を書きたい。

台所のいろいろを配置変更して満足!

4月14日 日

26度でもう結構暑い。夏って今日くらいの気温でよくないですか。

川越の雑貨屋の2階で、みらんと井上杜和の弾き語りツーマンライブ。観客は20人くらい。小さくて雰囲気の良い部屋で、すごく近い距離で歌を聴ける幸せな時間だった。

みらんの1曲目『低い飛行機』で鳥肌が立った。「きみと雷を見た午後」って。なんでこんな時間を切り抜けるんだろうか。不穏で怖くて、でもちゃんと健やかだ。

ある曲では、1番が終わった後に「2番の歌詞忘れちゃいました」と言って、2番を飛ばして最後まで演奏。その後「悔しいからもう一回やります」と笑って、2番からまたその曲を歌っていた。
正直で、優しくて、とても自由だった。開けっ放した窓から入る春風を味わいながら、音楽って本来こうだよなと思う。

ライブ終わりには、一人の男性から、今日着ていた台風クラブ(映画)のTシャツ褒められてうれしかった。

霞ヶ関駅は商店街にかわいい看板がたくさんあって良い街だった。
(デジカメを家に忘れたことを後悔。また近々来よう)

4月15日 月

会社の偉い人との飲み会。緊張してたけれど、意外と楽しかった。
(キャリアプランとか将来の夢とかを聞かれたら嫌だなと思ってたけど、聞かれなくて安心した)

はじめて餃子を酢胡椒で食べた。さっぱりして美味しい! こんなに美味しいならもっと早く教えてほしかった。

4月16日 火

久しぶりにスティックのりを使った。
塗ったら青色になるのとかが懐かしくて、ちょっと時の質量をくらってしまった。

『ほつれる』を観た。
理性的に追い詰める夫の一挙手一投足に息が詰まる。家にそんなパートナーがいるという状況を想像したらしんどい。
良い映画でした。

4月17日 水

仕事が多すぎて、本来やりたい業務に全く時間を割けていない。
22時前まで残業した。くそ。

4月20日 土

『異人たち』を観る。
ファミリースペシャルのシーンは素晴らしかった。

「星になれたら」って歌や詩ではよく言うけど、本当になりたいか? と疑問に思っていた。

本作のラストで、ベッドで抱き合う二人が眩い光を放ち、文字通り星になった。とても美しかった。こういうふうに誰かと抱き合いながら光を放てるのであれば、わたしも星になりたい。

映画が終わって、カツカレーを食べて、無印でサコッシュとサンダルを買った。夏の準備。

4月22日 月

ミーティングで他部署のマネージャーに「意地悪な質問」をされた。みんなの前で恥をかいた。
強気に出るところは強気に出なければならない。舐められたら損をする。

夜は映画館で『メメント』を観た。

4月24日 水

わたしは友だちが少ない。とても仲の良い友だちが3人いるだけで、それ以外の人とはもう会わない。

それで時々感じるのは、自分の彼女にとって「友だち」がどういう存在なのかを解ることができないということ。

彼女も交友関係が広い方ではないけれど、「年に1回会うか会わないかくらいの友だち」や「大学卒業以来会ってない友だち」もまあまあいるよう。結婚式にも年に数回お呼ばれしている。

わたしの引き出しには「年に1回会うか会わないかくらいの友だち」「大学卒業以来会ってない友だち」がないため、そういう友だちとはどの程度立ち入った話をするのか、何人くらいで会うのか、今回断るとどうなるのか、みたいなことの予想ができない。

だから彼女のなかのその人たちの優先度が測れず、予定を聞くと戸惑ってしまう。

別に彼女に対する不安・不満もなければ、自分の友だちの少なさに対する不安・不満もないからいいのだけど、ちょっと解ってみたかった。

4月25日 木

半額セールで買ったヘラルボニーのスカーフとクッションが届いた。
家に異彩があると気分が高まる。

4月26日 金

仕事の愚痴や同僚への文句ばかりが並ぶ、レベルの低い飲み会を愛想笑いでやり過ごした。

帰りはJRのあらゆる路線が遅延・運休していて、どっと疲れを感じた。

家の最寄駅には着けなかったので、いつもと違う路線の、家から少し離れた駅から40分くらい歩いて帰った。夜風が気持ちよかった。

4月27日 土

北千住で海鮮丼を食べた後、夏用の薄い靴下を買い足した。

欲張りな人が好き。一緒にいる人には欲張りでいてほしい。
わたしのこの願望も欲張りだろうか。

4月28日 日

ル・シネマ渋谷宮下で『悪は存在しない』を観る。

水挽町へ向かう車内でマッチングアプリの通知が来て高橋と黛が笑い合うシーンなど、どうしてこんな場面入れたんだろう? と思うところがいくつもあったけれど、それらが重なり合って、”何か”が醸成される。される気がする。わからんけど。

最近物欲がすごい。(買ってはいない)
夏用の軽やかなカバンと、喫茶店とかで日記を書けるように持ち運びのキーボードが欲しい。

人生で無駄な買い物をしたことがない人っているのだろうか。
いつかみんなの無駄な買い物を聞いて回って記事にしたい。
買って良かったものを聞くより絶対におもしろいはずだ。

4月29日 月

9回ウラに柳田が逆転サヨナラ3ランホームランを打ってホークスが勝った。
何の予定もなく家でボーっと過ごしていた祝日の救世主だ。

そういえば、コロナ禍は本当に野球に救われた。
日の当たらない6畳1ルームの牢獄のような家で1人ずっと仕事をしていて、発狂しそうになっていたあの頃。
野球を観ているときだけ、辛いことを忘れられた。
あんな状況下でも毎日試合をしてくれる選手たちがヒーローだった。
こういうふうに人を感動させられる仕事をしたいと思った。

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