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まだまだ浅かったと気づいた瞬間。

こんばんは、むたきです🌱
数日娘からの胃腸炎でダウンしておりました💦
家庭に子どもがいるとあるあるでしょうかね😭
復活してきたのでもう大丈夫。

先日子育てについての投稿をしたばかりではあるのですが
自分では深めてたつもりが全然浅かったと気づきました。

ネパールで孤児院の再建、そして現在支援をされておられ
その他教育支援やストリートチルドレンへの働きかけ
日本でも子ども食堂に携わったり講演会を実施したり
たくさんの活動をされている方のお話を聞く機会がありました。

ネパールへ初めて行かれてから10年弱、
活動をされているそうです。
最初からネパールで子どもへの支援をしようとは
思っていなかったようですが
結果として10年弱も続けておられる。

これは本当に骨の折れることだったと思うし
自分でも意外な未来を歩んでおられることだろうなと思います。

そのお話を聞いてネパールや日本の
貧困の中にある方たちの現実を知り
何も見えてなかったと猛省しました。

フィリピンに行って見たものさえも
上辺しか見えておらずだったと気づかされました。

なぜその境遇で笑っていられるのか
自分たちの立場をわかっているのか

お金がなくても仲間がいて心強いつながりがある
だとか
その暮らしの中で楽しく生きている
なんてお花畑みたいなことしか見えてませんでした。

彼ら彼女らはコミュニティのつながりにおいては強いものの
明日生きる、生かす心配があり
十分な収入、安定した住まい、
栄養豊富な食料、何かあった時に頼れる病院、
全てにおいて持ち合わせていない。

講演会で教えていただいたある動画で
もう世の中の縮図がわかってしまったし
この縮図はきっと変えることができないけど
助け合うことはできるんだと感じたものです。
きっと感じること考えることがあるはずです。


一つのことが辛くて全てが辛くなるほどの余裕さえなく
その時間こそ楽しい時間、
楽しい時間さえ楽しまなければいつ楽しい気持ちになればいいんだと
そんな内容のことを
ネパールの子が話していたことがあったそうです。
私がフィリピンでみたのはその一瞬だったのかもしれない。
自分たちが多面的であることを理解しつつも
彼ら彼女らも多面的であることが
ちゃんと理解できていなかった。
またその笑顔はここで生きていくしかない
未来への蓋をした子どもたちの一種の諦めのようなものか
強く生きていくための振る舞いだったのかもしれない。


自分の見えてない世界を知ることで
自分の立ち位置を確認しできることを考えることができると思う。
知らないことだらけの世界。
これでもまだまだ浅いだろうな、
本当に現地で触れて
触れ続けてやっと理解できることがあるだろうなと思う。
知りたい。もっと。もっと。

今日はここまでです🙇‍♂️
ありがとうございました。

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