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液状化被害と国道116号の思い出

新年早々発熱のため寝込んでしまいました。前回の冬も年末に熱を出し、この冬も年明け早々熱を出し、どうもこの時期体調管理がうまくいかないようです。

この間、能登半島地震のニュースを見ながらその被害の大きさに愕然としていました。被害は最大震度7を記録した石川県だけにとどまらず、新潟県、富山県、福井県など各地に広がっています。

私が地震の前日まで滞在していた新潟市でも震度5強を記録し、特に液状化による被害の様子がニュースで流れていました。

一般に砂勝ちの地盤では、普段は砂粒同士がかみ合っていて、砂粒同士の摩擦で安定が保たれています。そして地下水面より下の地盤では、砂と砂の間は水で満たされています。このような状態で地震による振動が加わると、一時的に砂粒同士のかみ合いが外れて、砂粒を支えるものがなくなり液体のようにドロドロになります。この状態を「液状化」と呼んでいます。砂粒同士のタガが外れて、再度砂粒が沈降・充填することで砂層の体積が減り、地盤沈下や、行き場を失い高圧となった間隙水が砂とともに地表に噴出することもあります。

日本で液状化が大きく注目されるようになったのは1964年の新潟地震からだそうで、私も学生時代、大学の授業の一環でその痕跡を見学するために新潟市内を歩いたことがあります。

今回被害の大きかった新潟西区のエリアは砂丘が発達しており、その中でも比較的標高が低く、地下水位が高い (地表に近い) 地域だったのでしょうか?今後の被害状況の詳しい調査と地盤、地下水位の関連調査が待たれます。

学生時代私が住んでいたアパートは新潟市から柏崎市に向かう国道116号沿いでした。まさに砂丘の上で、近くの畑ではスイカや大根などが栽培されていました。

そう思いながら地図を見ていると、当時国道116号だった一部の区間 (曽和交差点~昭和町交差点) がルート変更になっていて、現在は市が管理する道路となり、「西大通り」という名前に変わっているのに気がつきました。

調べてみると2008年4月から変更になったようです。この旧国道区間を私たちは学生時代「ピンピンロク」と呼んで、新潟駅方面に向かう時も、深夜おなかがすいたときにラーメン屋に行くときも、もちろん大学に行くときもいつも利用していたので、ちょっと寂しさを感じるとともに、なんだか立派だけどちょっと味気ない通り名になったかなとも感じました。でも覚えやすいかもしれないですね。

そういえば新潟駅もがらりと変わっていて驚きました。

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