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「アレン中佐のサイン」を読んで何かが変わった?

子供の頃に読んだ本の中で印象に残っているものの中に、「アレン中佐のサイン」(庄野英二作、深沢省三 絵、岩波書店) という本があります。たしか小学校高学年の頃に推薦図書か何かで勧められて読んだのではないかと思います。

現在手元に本が無いので間違った記憶もあるかもしれませんが、それまで私が読んだことのある戦争ものの小説やドキュメンタリーとは違った作品でした。

小学校中学年くらいまでの私は、ゼロ戦のパイロットだった坂井三郎さんの子供向け自叙伝や、真珠湾攻撃を描いた映画「トラ・トラ・トラ!」などの戦争映画、アメリカのテレビドラマ「コンバット!」などに夢中になっていました。

当時、ゼロ戦、戦艦、戦車などの活躍や「敵」をやっつける場面に夢中になっていた私を、私の両親はよくもまあ静観していたものだなと思います。

しかし、小学校の高学年になって「アレン中佐のサイン」を読んだころから、私の中で何かが変わったような気がします。

それまで、戦っている人の人生や、戦渦に巻き込まれた人々の人生、捕虜となった人たちの人生などについて真剣に考えたことは多分ありませんでした。

「アレン中佐のサイン」では、捕虜収容所を管理する部隊の兵士と捕虜との交流の様子がたんたんとまるで日誌のように描かれていました。

戦闘場面や戦争の悲惨な側面をことさら強調して描いているわけではないのですが、捕虜の一部がタイ・ビルマ国境の過酷な鉄道建設に送り出される様子や、管理する兵士側と捕虜側の文化や考え方の違い、さらには戦時下における偏見などもある中で、捕虜を人間らしく扱うためのさまざまな葛藤などが描かれていたように思います。

捕虜収容所を管理する大尉も、捕虜代表のアレン中佐も理性的であるだけに、読み進めていくうちに戦争の非理性的な側面を強く感じてしまい、「どうしてこんな人たちが戦争にかりだされてしまったのだろう」「このような理性的な人たちにとって、「敵」と呼ばれる人々の命と向き合うことはどんなにつらいことだっただろう」そして「それでも非常に困難な状況の中で理性を保ち続けることの勇気」みたいなものを感じていました。

もしかすると、この本をきっかけに教養と理性に対するあこがれみたいなものが生まれて来たのではないかと思います。学校の勉強の出来、不出来とはまた違う、人としての尊厳を確固として守り抜くために教養とか理性を持ちたいという気持ちがわいてきたような気がします。

この本を読んだころから、私の中で、本や映画の中での兵器や戦闘場面に対する感じ方が明らかに変わったような気がします。

終戦を迎えたとき、捕虜であった「戦勝国側」のアレン中佐がどのようなサインを残したのか。またあとでいつか読み直してみたいと思います。

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