米津玄師、逆にいつかとんでもない炎上をするんじゃないかって心配になるレベルの人間性

さよーならまたいつか!の話なんだけども。

さよーならまたいつか!は朝ドラ「虎に翼」の主題歌で、「虎に翼」は女性初の弁護士・裁判官となった方をモデルにしている、いわゆるフェミニズムのドラマである。超センシティブな問題だと思うのよ今これ。

で、オファーを受けた米津玄師は、まず「なぜ男性である自分なのか」から始まり、俯瞰的に描いてくれというNHKの答えに「そうなると”がんばる君へエールを”という形になるか? でもそれは無責任。自分の傾向を考えると、対象をミューズとして書くことになりそうだけど、神聖化と卑下は、根が一緒。」と考え、結局主観的に描くことにした。
……というようなことがナタリーのインタビューに書いてあったんだけど、すごくない……?

なんかこう、米津玄師は当たり前ながら男なのに、それでここまで誠実に向き合えるということ、冷静になるとすごすぎる。私が男だったら、”がんばる女性は美しい~”みたいな安直な曲を書いて無事炎上しそうだよ。(というか女の状態で書いても、そういう曲書いちゃいそうだもんな…。)

あとインタビューの中で、「強さとは何ぞやと考えたとき、そこはキレなきゃいけないよなって。どうあがいてもキレる必要がありますよねということを、この曲に宿すべきだと思ったんですよ。」(原文ママ)という発言があったんですね。

かつては(というかちょっと前まで)、「女性はおとなしく男性に従え」みたいな価値観が日本には蔓延っていたわけで、米津さんだってその空気の日本で生きていたわけよ? それなのに女性が「キレる」こと、キレて何かを成し遂げること、それを肯定すること、音楽にすること……。
何にも染まらない何かがあるよね、米津玄師。

この曲(とインタビュー)についてもさ、女性側にいるわけでもない、男性側にいるわけでもない、なんとも言えないフラットな誠実さがあって、私は米津玄師のそういうところをとても信頼している。

誤解されそうだから書いとくと、別に米津玄師は女性に肩入れしてるとか、そういうことじゃないんだよな。もう、何にも肩入れしてないのよ。そう。女性の味方だとか、そういうことじゃない。女性だからこの曲の良さが分かる、とかでもない。

まあ、そんでね。そういうインタビューを読んでから、しみじみ曲を聞くとさ、「女性のお話だから女性に依頼しましたよ」だと作れない、何か圧倒的な「女性」がそこにはあるわけですよ。
だからもう、私たちは言い訳ができないんです、「男性だからわからない」や「女性にしかわからない」みたいな言い訳もとい壁はもう、やむを得なくないんですよ。米津玄師は超えていったんだから。すべての物事に、米津玄師のようにまっすぐに向き合う必要がある。

でもさー、思うんだけど、ここまですごかったら、逆にちょっとでもなんか問題あったら大炎上しそうじゃない? 大丈夫? 大丈夫だと思うけど大丈夫?

米津さんも普通の人間なわけで、一挙手一投足が神様聖人様仏様みたいな扱いを受けるのは嫌だろうなあ、生きにくいだろうなあ(と思いつつ、でもね、ここちいいんですよ。美しい作品を作る人が、真っ当に美しく、かつ自分と同じ価値観・倫理観を持っていることは。すまんな米津さん)

だからさ、米津さんもいつか失言をしたり、炎上したりするかもしんないけど、それでも彼も彼の作品も相変わらず素晴らしいですねって、そう言えるような心の余裕をもって崇め奉りたいですね。


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