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会いたい石


記録。


訳あって10年以上連絡をとっていなかった父と、1年ほど前から連絡をとっている。といってもお互いの誕生日に「おめでとう」と送るくらいのあっさりしたものだけれど。
先日、父から誕生日おめでとうメールが届いた。「ありがとう」と返事を送って、自作のケーキの写真も添える。父からの返事はなく、既読のみ。
いつもならここで会話のラリーが終わるところだけれど、翌日になって私は「そういえば……」と、ずっと訊きたかったことをきいてみた。


「実家に私が残したままの荷物ってまだある?」

父からの返事は、
「もう引っ越したからないよ……」


ほんのりとした可能性は砕けて、ぐらっときて。
表情も、声色も、返事の間も、伝わらないメールでよかった。なんて思う。


……そっか、そうだよね。ずっと連絡もとらず帰ることもできていなかったから。残念だけど仕方ないよね。
最後に「ありがとう」と伝えて、父とのやりとりは途切れた。


私が小1から高3まで過ごした実家。もうあのアパートには家族のだれも住んでいないんだね。
最初は母だった。私が高校3年生のときに両親が離婚して、母が家を出た。
次いで私。高校卒業と同時に大阪へ引っ越した。
そして弟。結婚して家を出た。その少し前に、猫のチビが亡くなった。
最後に残ったのは父。もう、あの家に1人でいる理由がなくなったのだろうな。いつ引っ越したんだろう。それすら私は知らない。それくらい長い間、連絡をとっていなかった。

連絡を取らなくなってからも住所と電話番号はずっと覚えていたけれど、もう必要なくなってしまった。
実家に残してきたものも無くなった。CDや本、特にお気に入りの音楽雑誌や幼い頃の写真など、大切なものはほとんど、大阪へ出てくるときに持ってきている。だから、ある程度のものは諦めもつくけれど……

ひとつ、どうしても心のこりなものがある。
小学生のとき、帰り道でみつけたきれいな石。
淡い緑色で、透き通っていて、ところどころに虹がある。透明〜半透明の水晶?もくっついていた。
何かの宝石の原石じゃないかと思う。名前が分からないけど、グリーンカルサイトっていう石に似ている。
もともと石の好きな子どもだったけれど、こんな宝石みたいな石は見たことがない。どうしてこんなところに?自分にこんな幸運が訪れるなんて!
ものすごくドキドキして、夢を見ているようで、何かが始まる合図のようで、ときめいた。

石は子どもの手のひらくらいの大きさのと、その半分くらいのと、それよりさらに小さいのの3つ。私はそれらを大事にしまった。
いちばん大きいのと中くらいの大きさのは衣装ケースの奥、いちばん小さいのは「たからばこ」と書いた箱に入れて、なぜか両親の部屋のクローゼットに隠していた。
中学生になっても、高校生になっても、ときどき取り出してながめては、うっとりした。

大阪に出てくるときにも、もちろん持ってきたつもりだった。なんなら衣装ケースごと持ってきている(その衣装ケースは今でもうちにある)
だけど、ある日いつものように取り出して眺めようとしたらあるはずの場所になかった。どこを何度探してもない。家中ひっくり返しても出てこない。何度か引っ越しもして家が空っぽになったけれど、それでも見つからなかった。

まさか、実家に置いてきてしまったの……?
そんなはずはない。けれど、それ以外に考えられない。
それ以来ずっと、定期的に石のことを思い出しては焦がれて、嘆いて、実家に帰りたいと願った。

思えばその時点で、連絡をしていたらよかったのかもしれない。でも怠ってしまった。
実家を出たばかりの頃は、「またいつでも帰れる」とかるく考えていたから。まさかその後何年も帰れなくなるだなんて、思っていなかったから。
15年ほど前、成人式で帰郷した際にちょこっと実家に寄ったのが最後になってしまった(その日は母の家に泊まらせてもらったので、「実家」にはほんの一瞬寄っただけで石を探す余裕もなかったけれど)
いつか帰ったらあの石を探そう。そう思いながらその「いつか」は訪れないまま10年以上、帰れず連絡すらとれないまま時が経ってしまった。


正直にいうと、1年前に私が父と連絡を取ろうと思った理由のほとんどはその石だ。
今までにも何度も、いろんな口実をつけて父に連絡を取ろうと考えた。でも、その奥にひそめた「石に会いたい」という本当の理由へのうしろめたさもあって、踏み切れなかった。
石というきっかけがなければ今でも父と連絡をとれずにいたのかと思うと、薄情な娘でごめんなさいと思う。

1年前に父と繋がったとき、本当はすぐにでも石のことを確かめたい気持ちを飲み込んで子どもたちの写真を送ったりした。
そして1年が経ってようやく、父に訊けたのだ。石のことは言えなかったけれど、「たからばこ」の存在や、それを隠していた場所のことも。
そして、それらはもう取り戻せなくなったことを知った。写真にすら残していないことが悔やまれる。
もし、もっと早くに連絡していたら…… 希望はあったかなぁ。


正直今でもまだ、どこか諦めきれていなくて。やっぱりちゃんと大阪に持ってきていて、いつかひょっこり出てこないかな、なんて思ってしまう。
あの石さえあれば、他のなくなってしまったものは諦められるのに。
自分でもどうしてあの石にこれほど執着してしまうのか不思議だけれど、どうかまたあの石に会いたいと願ってしまう。

同じ石にはもう会えないかもしれないけれど、あの石に出会ったときのような「ときめき」にいつかもう一度出会えたら。この気持ちも手放せるのかな。


実家も石も(多分)なくなったことを知ったとき、以前ある方が私にかけてくれた言葉が頭に浮かんだ。

「たとえ帰れる家がなくても今家族が離ればなれになっていてもひとちゃんを温かく迎えてくれる人がいる限りそこは実家なんだと思うよ」

今まで、何度も私の支えになった言葉。
ふとした瞬間、思い浮かぶ人がいて。思い出す出来事があって。
思い出したとき、心があたたかく懐かしくなるような場所。心の中にも「実家」は存在するんだなって、同じ人に再びいいことを教えてもらった。


父とのやりとりの数日後、母の日の朝のこと。
父方の祖母からとても久しぶりの着信があった。あまりに久しぶりで突然だったので、一瞬何かあったんじゃないかと心配したけれど
「声を聞きたくなったから電話してみたんよ。ちょっと過ぎたけどお誕生日おめでとう〜」って、懐かしの訛りで。元気そうな声にほっとした。
田植えが始まったんだって。そんな季節だなぁと、水田の風景や匂いを思い出して懐かしくなる。

離れ離れとはいえ、両親も弟も健在で、それどころか祖父母まで健在なのだから、すごいことだと思う。当たり前なんかじゃないよね。

みんないつまでも元気でいてくれるような気がして、つい「いつか」と甘えたことを考えてしまうけれど、そして願ってもどうにもならないこともあるけれど、取り戻せなくなる前に、お互いが元気なうちにまた会いに行きたいな。

父にはこれからもメールを送ろうと思う。
年に数回の簡単なメッセージでも。
父が私のことをどう思っているかは分からないけれど、それでも。


【おまけ】

これも同じく小学生くらいのときに拾った宝物のつるつるすべすべ石(これは今でも手元にあるよ)


【補足的な追記】

父とは長年連絡をとっていませんでしたが、母とはずっと定期的に連絡をとっていました。

また、「実家」に帰ったのは15年前?の成人式が最後ですが、7年前に一度だけ「地元」には帰ったことがあります。弟の結婚式で。
その際、父母弟私で久しぶりに会って食事もしていて、そのときの父はとても嬉しそうに見えました。
両親はあのときが孫と初のご対面(当時7歳と0歳)で、それ以降はまた帰れず会えていません。
また、子どもたちも含めて会いに行きたいな。


【おまけのおまけ】

最後に、いつも読んでくださる方、ときどきでも読んでくださる方々へ。

いつもありがとうございます。最近あまりお見かけしない方もいらっしゃいますが、元気でしょうか。
私も、元気だったり元気じゃなかったりしています。フォローしている方々のnoteも、前ほど読めなくなっていてごめんなさい。

今年に入ってから、大好きな音楽をあまり聴けなくなっていて、大好きなアーティストさんたちの新譜もあんまり聴けていなくて、そんな自分に落ち込むこともあるけれど、今はそういう時期なのかなって思いながら、その他の「好きなこと」にも支えられながら、ぼちぼち暮らしています。

実は月末、久しぶりのライブに行きます!サカナクションです。
一時はほんとに行けるのかなぁ、行ってもいいのかなぁと不安や迷いもあったのですが、今は「何があっても行く!」と、前向きに純粋にライブを楽しみにしています。
ライブに行ったら、きっとまた私の中に音楽が帰ってくるんじゃないかなって。ライブの感想も、「書きたい!残したい!」ってエネルギーが満ち満ちて、元気があふれてくるんじゃないかなって思っています。
そのときはまた、ここに書きにきますね。

元気でも、元気じゃなくても、またお会いできたらうれしいです。 ではでは。


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