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更新されゆく夏、終戦記念日。

記念日は、必ずしも平穏なものではない。

夏はあまりにも爽やかなのに、突然の憂鬱が襲うのはこのせいか。

8月15日、今日は終戦記念日。

物心ついたときから、うちではテレビで中継を見ながら黙祷をしていた。

そうめんを茹でる手を止めて、祖母も必ずテレビの前に来る。小さい頃は何をしているのかよくわからなくて、こっそり目を開けてはみんながなにかを祈っているのを横目にわたしも目を閉じた。

黙祷の1分間を境に、夏は更新されていくというのは言い過ぎか。

祖父の「あのときは」と繰り返す戦争の話、もう何度も聞いたよとまわりは途中から聞かなくなるあの話。

祖母はそうめんを茹でに戻り、母たちは昼ごはんの準備に戻る。何度も繰り返す話だからわたしも飽きているだろうと気を遣った祖母たちは「手伝って」とわたしを呼ぶ。

不謹慎かもしれないが、その繰り返される話を聞くのが好きだった。そこは、明らかにわたしの知らない世界。何度聞いたって、完全な想像などできなかったから。

もしかしたら…今の子どもたちにとって戦争なんて幻で、もしかしたらホラーのフィクションかなにかなのかもしれない…と思うと正直怖い。

でも、わたしの年でさえ完全に理解することは難しいそれを、どうして理解できようか。できなくて当たり前だ。

平成最後の夏、これからの平和について向き合わなければいけない。

故人たちが「お手上げだ」と受け入れた現実を手に取り、合わせ、黙祷をする義務がある。

もう起こしてはならないなんて聞き慣れた言葉を、今日という一日を重ねて証明していかなければならない。

#エッセイ #戦争 #終戦記念日 #夏 #日記

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。