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海外文学のない町

隣町の新刊本屋さんへ行って来ました。普段はその隣りにあるBOOK OFFへ行くことの方が多くて、その新刊本屋さんにはほとんど足を踏み入れたことがありませんでした。あんまり素敵な本屋さんではないのです。チラッと入ってみたときに、半分は本屋さんだけどもう半分は雑貨屋さんなんだなあと思ったくらいの印象しか残っていませんでした。

でもたまにはBOOK OFFでは手に入らない最新の本を知りたいと思います。それにこの辺りには、ここしか新刊を扱う本屋さんはありません。だから今日はBOOK OFFには寄らず、あんまり素敵ではないその本屋さんへと向かいました。


そして、びっくりしました。

そこには海外文学が一冊もなかったのです。


今までいろんな本屋さんに行って来ましたが、海外文学コーナーのない本屋さんは初めてでした。ここは町にひとつの新刊本屋さんだから、この町では海外文学の新刊本は手に入らないのです。

都会の本屋さんでなければ、海外文学コーナーがないのは当たり前なのでしょうか。てっきり日本文学と海外文学のコーナーは、ふたつでひとつのセットなのだと思っていました。
本の売り上げは落ちる一方と聞きますし、そもそも小説を読む人口自体多くはなさそうです。それに日本文学に比べると海外文学は読みづらい印象を持たれやすい可能性もあります。人の名前が覚えられないから苦手、という意見も聞いたことがありました。

でも、本屋さんに海外文学が一冊も置いていないなんて。

そもそも手に取る機会もないのです。


幸い、私の住む山の町にも小さな図書館があります。蔵書は少ないですが、海外文学も扱っています。隣町のBOOK OFFにもわずかですが海外文学が置いてあります。探せばどこかには、少しは、あるのです。

でもそれは、探せば見つかる、という話。
本屋さんでの思いがけない、偶然の出会いはありません。今どんな本が翻訳されているのか知る機会も限られるでしょう。それに海外文学に興味のなかった人が"初めての一冊"に出会う機会はどこにあるのでしょうか。


都会と田舎では本屋さんの取り扱い書籍にも違いがあるのだと、今日、知りました。この町には海外文学を読みたい人は少ないのかもしれません。本屋さんだって売れない本を置くスペースを確保するのは大変でしょう。商売ですからお店の事情もあるはずです。今はネットで簡単に本が買えるから、本屋さんの役割も変わって来ているのかもしれません。


山にお引越ししてから、私もインターネットで本を買うことが多くなりました。それでも本屋さんに行かずにはいられません。隣町のBOOK OFFだって充実した品揃えではありませんが、本のある空間に身を委ねるだけでしか味わえない、ホッとする心地よさがあります。

インターネットであらすじやレビューを読んで本を選ぶのは、頭を使った選書です。本屋さんで本を手に取りパラパラと紙をめくって選ぶことは、感覚的かつ身体的な選書です。このふたつは異なる充実感を得られる異なる行為に感じます。
それにお値段の張る本であれば、手に触って中身をチラッと確かめてから買いたいもの。探している明確な一冊ではなくて、本屋さんをブラブラしていて何気なく惹きつけられる本にも良い出会いがあるものです。


パートナーとお店を開くときは本のコーナーを設けようと思っていました。
今日、お店には必ず本を置こう、と心に決めました。



子どもの頃、本は世界へと開いている大きな窓でした。

お家のテーブルに着いていながら、図書館のソファに掛けながら、電車の中で無心になりながら、本は私をここではないどこかへと連れて行ってくれました。
それは良いことなのでしょうか?万人に必要とされるべきことなのでしょうか?それは分かりません。でも私には、大切な愛すべきことでした。その気持ちは今も変わりません。


誰かが、どこかにある、まだ知らない遠い世界を覗くための小さな窓を、私たちのお店にも持ちたいのです。そこからはきっと、いろんな国の景色が見えることでしょう。



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