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毒舌「すっぽん三太夫」シリーズ 「Iターン移住者を襲う 村八分という洗礼」

 2019年1月21日、大分地裁に損害賠償請求事件が提起された。いわゆる土地に縁のない「Iターン移住者」が“村八分”に遭ったことを訴えたのだ。昨今、移住者による村八分問題がときおり耳目を集めるが、大分のケースはこれまでの類似案件とは少々、異なる。移住者が阻害感を抱くケースの多くは、そもそも移住当初から馴染めず、「集落」に溶け込めない状況がほとんどだ。しかし今回のケースは、移住者は地元組織の役員まで務めながらも、「あるやりとり」を境に、村八分状態に一転したというものだった。さらには、その「阻害状態」は、ゴミ収集拒否に加え、飲料水までもが“止められる”という生活の根幹に及んだという。

 訴状に記された原告の訴えはなるほど、壮絶なものだった。移住者に対する村八分やそれに準じた扱いは、これまでも数多く見聞してきた。ただ、今回ほどのものは聞いたことがなかった。

 飲料水を止められた―。

 そんなことがあるのだろうか。

 1月21日付けで大分地裁に提出された訴状によれば、訴えた移住者は3人家族。一家は平成20年に、同じ大分県内から越してきたという。移住先に知人がいたこともあり、その勧めでの移住であった。環境が特殊だったのは、移住先には水道管が敷設されておらず、家族が新たに新築した場所は、隣接する溜め池から取水せざるをえないことだった。この溜め池の水を地元の同意を得て利用し、飲料水はもちろん、風呂やトイレの洗浄用に転用してきたという。

 もとより先に移住した知人を頼っての移住であったこともあるのだろう。移住後の人間関係は順調で、移住者は集落にも馴染み、ついに地元の神社総代や自治会の会計係なども担うようになった。どのような過疎地であっても、地元に血縁のない移住者がそうした役を任されることは極めてまれだ。形式的には、強い信頼関係が構築されていたように映る。

 転機は唐突に訪れた。

 移住者は、周辺7集落の自治会費の決定、徴収、使用方法に疑問を抱き「運営の改善等を申し入れしたものの、全く聞く耳を持たない様子であった」(訴状)ことから、平成28年に集落の集会で役職を辞したい旨を表明したという。すると、被告人ら他の住人らが、今後は「集落のゴミ集積所を原告らには使用させず、市報その他の閲覧物も回さないなどと公言」(同訴状)する事態となった。

 その後、「集落の構成員全員で原告らを無視して挨拶も交さないなど共同断交ないし村八分の状態にしたばかりか、それまで原告らが(中略)使用承諾を得て生活雑用水を取水していた本件溜池からの取水について」、従前取り交わしていた取水同意書を取り下げさせたという。その結果、溜池の貯水量は移住者らの取水用ポンプ以下にまで干上がることになった。

 生活用水が枯渇した一家は、「その後しばらくは地域外の銭湯施設などに通い生活していた。しかし、やはり水がなければトイレも使えず、汚物も流せない。さらにゴミの収集も拒否されたままの状態には堪えかね」(記者会見などでの原告発言)、地域外に転出を余儀なくされたと訴えるのであった。

 損害賠償の請求内容は、慰謝料や転居費用など約2920万円に上る。

 この移住者が移り住んだ集落は、もともとの住人数もすでに10人程度の「限界集落」である。同地に移住していた知人を介し、移住前の下見や準備、さらに地元住民への挨拶を含めた周旋も極めて入念に行われていたようだ。

 だが、訴訟提起に対する地元住民の反応を聞けば、移住者という存在に対する感情の根深さがうかがえた。なかでも、移住者への感情として率直なものであろう、当該集落のある老婆による次の発言は、根深いものを感じさせた。

〈たかだか10年くらいいただけで…〉

「たかだか10年」。地元住民の心からは決して拭い去られることのないこうした感覚は、地方集落に定着しているある種の価値であり、同時に文化でもある。それゆえに否定もしがたい。

 長野・軽井沢町の高級別荘地に隣接するある集落では、かつて隣の集落から嫁いできた85歳を越えた老婆でさえ、公共の場所での扱いは「よその者」である。この老婆は、移住した直後に集落で一番初めに我が家の戸を叩き、初対面でこう告げて私を驚かせた。

「みんな、口はわりいけど、その場限りとこらえるんだ。とにかく、言葉を返しちゃなんねえよ」

 なるほど、老婆の振舞いはまさにその言葉通りだった。ゲートボール場でも相槌以外は返すことはない。お茶菓子を前にしての歓談の席でも、ひたすら笑顔を絶やさぬだけで、決して自身から言葉を発することはなかった。嫁いで半世紀を優に超える、こちらから見ればれっきとした地元住民でさえ、意見を述べることさえ憚られる現実を目の当たりにした。

 若い世代とて決して新しい価値観に生きているとは限らない。山梨県北杜市では2018年、県下保育園の保護者会で「ブラックリスト」を作成し、地元出身の役員らで代々引き継いでいた“事件”が発覚した。役員らが「厄介者」と呼び、リスト化していた理由は独特なものだった。保育園の保護者会などで「質疑に挙手をした者達」を、いつ保護者会運営に口を出してくるかわからない気構えを備えた“危険家族”と見做していたのであった。この実態が発覚し、市役所に是正指導を訴えた移住者家族は現在も、子供の同級生保護者らから完全に無視され続けている。この親子は小学校への進学に当たり、東京に戻ることを決めた。理由は「小学校は学年にひとクラスしかなくて、延々、無視され続けるのは子供も可哀想だから」。

 こうした文化・習慣が延々と続いている場所に移住するうえで、「居住10年」がどれだけの意味を持ちうるのかは想像できよう。群馬県長野原町のある集落などは「3代続いて、初めて村人として認められる」(当該地域の菩提寺住職)のだ。

 移住の背景にある、語られざる風土・習俗をいかに移住者に伝え、納得してもらえるのか。実はそこが移住奨励の制度以上に、受け入れ自治体側が準備しなければならない点かもしれない。

 東京近郊の移住希望者にはこう勧めている。

「港区広尾の有栖川公園のなかに東京都立中央図書館がある。そこにいけば全国の町村誌がすべてそろっているフロアがあります。移住希望地が浮かんだら、まずはその当該町村誌の「民俗編」を開いてみたらいかがでしょうか。古いものであればあるほど、その土地独特の習俗や歴史が意外なほど生々しく載っていますよ」

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