作家・七尾和晃のオワコンワールドへようこそ 「人生、バズらなくてもいいじゃない」

作家、七尾和晃の「昭和百景」が始まりました。懐かしくもいまだ知られざる昭和をぜひ。公式…

作家・七尾和晃のオワコンワールドへようこそ 「人生、バズらなくてもいいじゃない」

作家、七尾和晃の「昭和百景」が始まりました。懐かしくもいまだ知られざる昭和をぜひ。公式HPはhttps://sites.google.com/view/kazuakinanao/ 公式Xはhttps://x.com/nanaokazuaki こちらもぜひ。

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縄文ヒルズの朝 たった一人の読者様とのお別れ

    • 再生

      辞世の唄「小さく生き、小さく死ぬ」

      • 悲しきかな “出版フィクサー”、産経新聞社・坂本慎平から送りつけられた「トドメのメール」に、涙枯れるまで

         まだコロナ禍が続く、数年前のことであった。 沖縄返還の取材で知遇を得た、産経新聞社の那覇支局長さん(当時)からメールが届いた。  七尾さんに連絡したいという者がいると、そんなご連絡だった。  基本は、人間と出会いが嫌いでないボクは、どんなお相手であれ、まずはご連絡を差し上げてしまう。  今となっては、まずそのオメデタサが常々裏目に出る人生であることを毎度忘れてしまうのが、未熟さの至りなのだろう…  それにしても、コロナ禍で「初対面」なる機会から遠ざかっていたとはいえ、久

        • 没後11年 堤清二の“遺言” クリアケースから発見された西武創業家「株支配の秘法」

           昭和50年代からバブルに向かう時期、池袋を発祥とするパルコや西武百貨店を展開するセゾングループは、若者向けのファッションからライフスタイルに至るまで「セゾン文化」とも呼ばれる新しい潮流を生みだし「昭和後期」の代名詞ともなった。2013年11月25日、かつてセゾングループを率い、辻井喬という作家としても知られた堤清二が亡くなった。86才だった。亡くなる5年前―。清二は、ひとつのクリアケースを見つける。なかには、何年来もその行方を捜していた貴重な資料が入っていた。それは同時に、

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        • 毒舌!!すっぽん三太夫
          48本
        • 移住・転住の相談クリニック セカンドオピニオンはこちらから
          31本
        • 七尾和晃の世界 昭和百景
          36本

        記事

          この秋、科学界伝説の泰斗を知る“二つの発見” 『アインシュタインの旅行日記』から

           この秋(と呼ぶには暑すぎるけれど)、“二つの発見”があった。         一つは、アルバート・アインシュタインがノーベル賞を受賞したのは、実は相対性理論ではなく、「光にはそれ以上分割できない最小単位の塊(光量子)があるという光量子仮説」(ニュートン10月号)の功績によるという事実。 もう一つは、アインシュタインがノーベル賞受賞の報せを受け取ったのは、日本郵船が所有する「北野丸」の船上で、シンガポールから香港、上海を経て神戸に着く直前のことだったという事実である。 神戸着

          この秋、科学界伝説の泰斗を知る“二つの発見” 『アインシュタインの旅行日記』から

          2001年9月11日 テロは空からやってきた

          2001年9月11日 ワシントンの空は快晴だったニューヨークでビルが崩れ落ちたそのとき ペンタゴンと呼ばれる国防総省のビルにも一機が突っ込んだ黒煙のあがる方向へ ポトマック川にかかるその橋を、懸命に走ったモトローラ製の国際携帯電話がけたたましい上空をF15が幾度も低く飛び 道路は次々に封鎖されていくジェット燃料か  嗅いだことのない臭いが川を渡ってくるペンタゴン裏手の芝一面には、搬送された人々と救急キットが散乱する川からの低い風が、絶え間なくキットの紙屑を空に吹き上げるその脇

          女性読者からの『戦場の人事係』への唯一の感想はきっと、全「note」への希望の光 

          若い頃から、僕の書き物には罵声しか寄せられたことがない。無能、非才、面白いものをつまらなく書きやがって、という、ギョーカイ内外を問わない罵声にも、まだ血気盛んな若い頃であれば、逐一、血圧を上げていた。しかし、死線をさまよい、死期を意識して生きる日々となってからは、諦念以前に、療養費用の工面と終活に忙しすぎて、罵詈雑言を含めて他人様のどんな言葉も、たいがいのものは心に届くことさえなくなった。心を打つのは、日高屋で注文した、キクラゲ炒め定食と生姜焼き定食のダブル注文が同時に届くと

          女性読者からの『戦場の人事係』への唯一の感想はきっと、全「note」への希望の光 

          『戦場の人事係 玉砕を許されなかったある兵士の「戦い」』 草思社より刊行   地味に、好評販売中です

          そのときだった。 石井は、まだ帰るなと言わんばかりに私の目を見据えた。 気圧されたような気がした。 石井の重い手が、ようやく決意を得たように不意に解けた。かたわらに手を伸ばし、机の上に置いたのは、濃い茶色の紙でカバーされた大判の一冊だった。 ガマから掘り起こしてきた戦時名簿とメモが、予期せずに私の前にあらわれた。 一人の兵士に託された「最後の命令」 そして、男の戦いは終戦とともに始まった… 「戦場がもたらす罪は決して戦場だけでは完結しない。永く人間をとらえ、そして蝕むのだ

          『戦場の人事係 玉砕を許されなかったある兵士の「戦い」』 草思社より刊行   地味に、好評販売中です

          ドキュメント「報道責任」 山梨県の県政記者会が「伝えなかったこと」

           あらかじめ告白するならば、私は山梨県と富士急行株式会社における県有地のあり方について、その是非は「多角的に論じられるべき」と考える立場である。同時に、県有地のあり方をめぐる2020年から23年までの直近3年余りの県内世論では、その論点が多角化されず、論点を県民自身が判断するに資するだけの材料も視座も、他ならない県民そのものに提供され尽くしたとは言えないと受け止める立場でもある。  以下は、筆者のそうした心理的境地を前提としてのものであることをご了解いただければ幸甚である。

          ドキュメント「報道責任」 山梨県の県政記者会が「伝えなかったこと」

          終わりなき漂流 ボート難民、日本に没す 「我々は人生において二度、難民になった」

           一九六〇年、ベトナム共和国で内戦が勃発する。米ソ両大国の介入によって、ソビエト の支援を受けた解放戦線側(北政府)とアメリカが支援する南政府とは激しく拮抗し、 内戦は泥沼化する。一九七五年、南政府の首都であったサイゴンが陥落し、北政府の弾 圧を逃れ、市民らは小さな船で東シナ海へと漕ぎだした。「ボート・ピープル」と呼ばれ た彼らのうち、これまでにおよそ一万人が日本に漂着し、日本各地で生活を続けている 。  難民たちの漂流は戦争終結とともに始まり、今も終わらない。来年二〇二五

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          シリーズ昭和百景 メコンの蛍     国境を越えた「終わりなき戦禍」

           川べりにホタルの黄色い光が明滅し始めると、それを合図のように、紅玉の陽はメコンの上流に急いで姿を隠す。かつて、この大河に闇が訪れるのを待ち、数多の船が密やかに東シナ海へと下った。「ボート・ピープル」と呼ばれた彼らのうち、1万人ほどが日本へと流れ着く。それから30年…。政府・自民党は今、新たな労働力確保策として、「移民受け入れ100万人」を計画し、「移民庁」の設置を視野に入れる。だが、そこには「ボート・ピープル」と呼ばれた彼らの〝無国籍〟状態を解消する具体策は盛られていない。

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          シリーズ 昭和百景 「“戦後政治の床柱”を見守った、女の一生 総理の乳母 久保ウメ」

           歴史の陰に女性あり。  久保ウメさんはまさに、そんな言われ様を、自らの人生を賭して体現したひとりであったのかもしれない。  岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三と続く政治家たちをまさにその最奥で見守った女性であった。  私はそんな彼女の言葉に敬意を持てども、一度として暴露趣味の嫌らしさを感じたことはなかった。  彼女は安倍家を離れてなお、おそらく最後まで安倍家を守り続ける、そんな矜持に満ちていた。  ただ、彼女に誤算があったとすれば、それは“知り過ぎた女”であった彼女を取り巻く、周

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          シリーズ 昭和百景 「疎開とダム移住」 歴史に学ぶ、移住の成功体験は「集団で」「コミュニティごと」。

           移住ブームもついに平成から令和へ、さらにコロナ移住という新しいニーズを取り込み、久しぶりの「地方回帰トレンド」として定着した。    あらためて現代における「移住」の歴史を振り返ってみたい。     現在、移住誘致を積極的に行う自治体は、基本的に「個人」を対象にしている。  移住におけるトラブルは行政による制度や仲裁を経ても、決して解消されることはない。もちろん、その場その時の個別状況に行政が目配りして手当てをすることは必要だろう。しかし、それはどこまで行っても「対症療法」

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          毒舌 「すっぽん三太夫」シリーズ 「震災と移住 仮設から公営住宅へ、の死角」

           東日本大震災から8年―世界にコロナ禍が発生しようとする前夜―。2019年3月末で仮設住宅の多くが入居期限を迎えた。仮設住宅を出た被災者は「避難者」としての扱いを終え、「災害公営住宅」に移り住むことになる。それは同時に、新しい地域に移住し、そして定住へと向かう過程でもある。「新しい住民」として、それぞれの土地に新たに根を下ろすことになるが、そこにも、新旧住民の齟齬と、その間に立つ自治体という三者の構図が発生する。仮設住宅から公営住宅へと向かうもうひとつの“移住”に死角はないの

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          新・田舎暮らしの教科書 “見えざる障壁” 「自治会の財産」問題に解決策を見出した「沖縄の知恵」

           沖縄県恩納村–。沖縄県内でも有数のリゾート地で、とりわけ海がきれいな東シナ海に面する。沖縄本島中央部の西側に広がる同村の面積は、兵庫県尼崎市とほぼ同じ。人口は1万1千人ほどだが、世帯数はコロナ禍を経ても増加傾向が堅調だ。人口では尼崎市の約45分の1にすぎない。年間を通じて観光客が訪れるため寂れた雰囲気からはほど遠いが、移住者の増加に伴い、長らく、訴訟一歩手前の「新しい問題」がくすぶり続けてきたことは知られていない。そして、そこに「ある知恵」を見出したことも…。  1990

          新・田舎暮らしの教科書 “見えざる障壁” 「自治会の財産」問題に解決策を見出した「沖縄の知恵」

          毒舌 「すっぽん三太夫」シリーズ 「役員が決まるまで記念写真は撮らせません! PTA  “軟禁方式”という事情と醜態」

           友人から怒りの電話が入ったのは4月上旬のことだった。お子さんが中学校に進学すると聞いていたので、その報告と思いきや、開口一番、怒り心頭の言葉が響いた。 「なんだありゃ。入学早々、あんな醜態をさらして教育もなにも、あったもんじゃないっ」  三百六十五日、血圧が上がりっぱなしのこちらが常々は諌められる側だが、今度ばかりはこちらがなだめる珍しい展開となった。  いつも冷静沈着で穏やかな性格の友人をそこまでに怒らせた〝事件〟は、案の定、中学校の入学式で起きたのである。  現

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