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衣替えをやっているのですが。わたしの日常は、ルーティン期間と博奕(ばくち)期間を繰り返し繰り返し。でも博奕はもういいかも。穏やかで何もない日常が最大級によくなってきた。

わたしの日常はほとんどルーティンです。


ルーティンにしていないと気がそわそわする……というわけではないのですが、無理のないルーティン(無理しないのが大事。無理=蓋 をするとリバウンドするので)にしたほうが、無駄遣い(お金、気力、体力など)が圧倒的に少ないからです。

とはいえ、一年に一回とか、二年に一回とか、”無駄をする時期”を作ってきました。
「博奕(←「ばくち」。森巣博の真似でこの字を使います。)」期間と決めて、いろいろ多動します。
多動=出費。
※あくまでもわたしだけの定義(ルール)の博奕です。勝ちも負けも定義は超独断。

例えば、いろんなひとに会ったり、交流したり、挑戦したり、本もさまざまなジャンルをどんどん読んだり。
交通費、購入費、体験費用などなどで出費=浪費する軍資金の上限は決めておきます。予算を組んで、博奕期間を楽しむのです。(小さな枠のなかの博奕ですね。)

で、博奕というのはほとんど「負ける」のです。そういうものなので、結果を残せなかったもの(=成果に繋がらなかったもの)は負けと潔く認めて、損切りはさっさとします。
わたしの損切りはめちゃくちゃ速いので、ある意味ではチキン🐓なのかも。いや、チキンです。🐓🐓🐓🐓🥚
つい先日くらいまで、博奕期間と決めていろいろな動きをしましたが、ほとんど全負けです。損切りはさっさとしました。(あくまでもわたしの超独断定義の「負け」です。行った先、関わった方のすばらしさとつながっていない定義です。)
博奕期間を設ける、そうすることがわたしにはなぜか必要なのです。

で、あとはルーティン生活に戻ります。

・お酒、たばこはしない。(ずっとしていません。)
・食べるもの(=ほぼ100%自炊)の献立はほぼ決まっている。同じおかずを数日連続で食べることもよくある。
・聞く音楽はほとんど一曲から二、三曲をずっと繰り返し。青春期に耳慣れた音楽たち、あとはクラシックのボレロがなんでか死ぬほどすきで、それを何十年も聞いています。CDウォークマンです。
・気に入ったyoutuberの動画をみる。
・起きる時間寝る時間はほぼ固定。
・お風呂のなかの行動もほぼ同じ。
・みる映画もずっと同じものをDVDで。でも、定期的に新しい映画のDVDは仕入れています。ここ一年は仕入れていないので、次、予算を組みます。

など。

あとは、洋服も同じものを数枚持っていたりします。
気に入った服、靴、バッグなどを長年愛用するので、買い物はほぼしません。わたしはあまり似合うものがないし、わたし自身いろいろ頭打ちなので。。

そんなわけで。
わたしはある程度まで自分で自分をコントロールできる感じがしています。
その分、余力(=気持ちのゆとり。心の貯金みたいなもの)がふんだんにあるので、臨機応変に、ひと(他人。わたし以外のすべてのひと)の波(ひとの希望とか)に容易に乗ることができ、またその波を楽しむことができる。それがなんか幸せなのねん。