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勝手に1日1推し 174日目 「福田村事件」

「福田村事件」監督:森達也     映画

1923年春、澤田智一(井浦新)は教師をしていた日本統治下の京城(現ソウル)を離れ、妻の静子(田中麗奈)と共に故郷の福田村に帰ってくる。智一は、日本軍が朝鮮で犯した虐殺事件の目撃者であった。しかし、妻の静子にも、その事実を隠していた。その同じころ、行商団一行が関東地方を目指して香川を出発する。9月1日に関東地方を襲った大地震、多くの人々はなす術もなく、流言飛語が飛び交う中で、大混乱に陥る。そして運命の9月6日、行商団の15名は次なる行商の地に向かうために利根川の渡し場に向かう。支配人と渡し守の小さな口論に端を発した行き違いが、興奮した村民の集団心理に火をつけ、阿鼻叫喚のなかで、後に歴史に葬られる大虐殺を引き起こしてしまう。

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見ようかどうしようか、とても迷いました。この凄惨な出来事について、事実として知ってはいましたので、見る覚悟が必要だったし、見たらどんな気持ちになるか分かっていたし。
でも見ようと思いました。公式HPの森達也監督からのメッセージを読んで見ようと意を決しました。(メッセージ、是非お読み下さい)
森監督と言えば「A」の強烈な印象があり過ぎて、ドキュメンタリー作家で、社会派でってなりますよね。その森さんがこの実際に起こった悲惨な事件をドラマとして撮ることに震え上がりましたよ。実際、震え上がりましたし。

僕は映画監督だ。それ以上でも以下でもない。ドキュメンタリーにはドキュメンタリーの強さがある。そしてドラマにはドラマの強さがある。区分けする意味も必要もない。映画を撮る。面白くて、鋭くて、豊かで、何よりも深い映画だ。

森達也より、みなさまへメッセージ

監督自身、このように語っていました。
企画、脚本と荒井晴彦さんなどの自らが監督もする映画人たちが関わっているのも興味深いです。より良い作品にするための適材適所感と言うか、そのプロ魂に痺れます。でも、正直、脚本がどうとか演出がどうとか言ってられないほどに圧倒、圧迫、過呼吸、つら。

戦争の爪痕を大きく残したままの暮らし。次の大戦をひしひしと感じさせる軍国主義的な士気が本当に禍々しくて、事件が起こる前からそこら中に蔓延している不寛容さにずっと息が苦しいです。
死や貧困から人々が抱える悲しみや怒り、そこから派生する息苦しさを発散するかのように、弱い者へ、少数派へ、未知の世界へと、過度な圧力や暴力が向かっていくんです。そして、結果大きな惨劇を生む。必然のように思えるほどです。
流石の構成力!やっぱりプロ魂の集結がなせる最高の業ってことですな!

弱い者たちが夕暮れ~、さらにに弱いものをたたく~♪ブルーハーツです。「トレイン・トレイン」です。はぁ、渡し船ではなく、列車で利根川をぶった切れたら問題なかったのになあ。

あまりにも残酷だし救いもない。でも目をそらしちゃいけないんですよね。この事件は民族的な人種差別として理解していたんですけど、それだけじゃあなかったんですね・・・。部落的人種差別も共にあったんですね。女性に対しても戦争への参加の有無についても差別に値するし、差別の層がぶ厚過ぎた。根深過ぎたーー。村八分なる問題も絡んでくるし闇が深過ぎたーー。

にしても、はぁ、部落差別かぁ。学生の時「橋のない川」を読んだなぁ。って遠い記憶を手繰り寄せました。なんでそんな身分差別・・・なんなのってなった思い出(涙)。

受け止めるべきことが多すぎて、なんも言えねえってところが本音です。

でも1つ言えることは、100年後の現在に生きる私たちは、彼らより自由で柔軟で、情報を持ち、教育を受け、彼らのおかれた状況を理解しようと試みることができます。
このような集団心理の暴発は、SNSの誹謗中傷を含め、現代でも多く起こっている訳で、過去の出来事で終わらせていい話ではないということです。歴史から学ばず何から学ぶんじゃ!!

実際、彼らの中にも正しい声、正直な声はあった。でも埋もれてしまった。正しい声は、大衆とは違い過ぎてあまりにも小さ過ぎたことが分かります。
ドラマだからああなったのかは分かりませんが、私はそこに学びがあったと思います。今からすぐにでも心がけられる学びが。
どんなに小さかったとしても正しい声を、みんなとは違う声を聞き分けられるように、そんな声に耳を傾けられるようになろうって思いました。

とは言え、公正であるはずの新聞さえも民衆を煽るような、敵を作るような、差別的嘘八百を平気で報じていたんですから、おったまげ。いくらなんでも乗っかっちゃうよねぇ、ってなります。ほんと、こんな状況だったら、誰もがなり得る、誰にもでも起こり得るって出来事ことだからこそ、終盤の行商の生き残りの少年が「殺された行商人一人ひとりに名前があった」という言葉がずっしりきます。あのセリフに強い思いが込められていたと思います。実際に一人ひとりの名前を列挙したことにも意思を感じました。
争い、対立、いざこざもろもろが起こった時には、一人ひとりに名前があることを忘れないで対峙すること、決してモンスターや架空のキャラなんかではなくて、彼ら一人ひとりに名前があり、夢があり、家族があり、この世に生まれた血の通った一人の人間であるってことに立ち戻ることで違う側面が見えてくるってことなんだと思います。
当事者であればあるほど、視野狭窄に陥って周りが見えにくくなるんだけれど、そんな時こそ想像力を働かせる必要があるってことなんだと思います。
はあ、本質を見失わない記者の誠実で真摯な勇気に敬服。

ま、再度言っちゃうけど、受け止めるべきことが多すぎて、なんも言えねえってところが本音なんですけどね・・・。
多くの人が鑑賞して、何かを思って、ほんの少しでも行動を起こしたら、バタフライ効果で少し世界が良い方に変わるかもしれないです。そんな思いが込められた作品だと思います。

それから、東出昌大さんっていい役者だよなあって思いました。色々あったけど。金太郎みたいな前掛け(?)も、見慣れるとなかなかいいなってなるし。大人も着るんだなあって、どうでもいい発見があったことをここに記します。

彼以外の役者陣のメンツも演技も最高で素晴らしかったです。
コムアイさんが普遍的な素の女の子で可愛らしかった!「寂しかった」って訴えたところ、本当に良かった!誰かに否定されるべきことじゃないもん。あなたの感情はあなただけのものだもの(by槇生)。

ということで、推します。




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