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古人も多く旅に死せるあり

中学3年の古典の授業では、修学旅行で東北にいく関連で、奥の細道について学んだ。それまで、古典の中では百人一首や万葉集といった和歌が好きだった。しかし、奥の細道を読み進めるにつれ、その漢詩由来のリズム感や、放浪の旅の美しい描写に虜になった。

同じく中3の書道の授業で、好きな漢字をお皿に彫るという課題があった。他の生徒は、楽に課題を終わらせるため(もちろん他の理由があった人もいただろうけれど、)漢字一文字を選ぶ人がほとんどだった。

奥の細道にハマっていたその頃の私は、どうしても序文をお皿に彫りたかったので先生に相談し、「時間かかるだろうけど、やりたいならいいよ」と許可を得たので、授業後に残って課題を進めた。そしてついに、


【月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。】


ここまでの序文を、手のひらより少し大きいお皿に、小さな文字で懸命に彫って、完成した。我ながらにして見事なものだった。家に持ち帰ると、想像以上に家族に好評で、特に父が気に入ったので、父にお皿を譲った。


もともと私は帰国子女だったり、転校生だったこともあって、一つの場所にとどまらない生き方というのには慣れていた。しかし明確に、旅というノマドスタイルに憧れたのは、奥の細道を通して芭蕉に惚れたのが原点なのかもしれない。

松尾芭蕉が序文で李白を意識したというのは有名な話だが、他にも色々な箇所で、放浪の旅をして漢詩を綴った偉人たちをリスペクトしている様子が分かる。私も今、彼らの跡を追うように、こうして紀行文を書いている。

10年前の私は、いや、5年前の私も、きっとこんな未来を予想していなかっただろう。行動力というのは、なんて偉大な力だ。夢を見て、そのうちの一つを掴んだ今、そんな感慨を抱く。


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