クリエイターの父の言葉は、ずっと目の上のたんこぶだったはずなのに、いつの間にか私の心を支えていた

●まえがき
 2021年1発目の「おとなの寺子屋」は「どうして書くのだろう?」というテーマで哲学対話をした。なんとなく「なんであなたは書籍編集者をしているの? 動画じゃだめなの? 他の道はないの?」と、問われているような時間だった。
 1年ちょっと前から、商業出版社で書籍の編集をしている。でも、それは新卒ですんなり入れた会社ではなく、新卒の就活で何社も落ちて、仕方なく全然異なった業種に入り、それでも諦められず、自費出版会社に転職をして、働いて学んで仲間に背中を押してもらいながら何年もかけて手に入れた場所だった。
 ようやく叶った夢なのに、企画書が全然通らない。
自費出版では目が回るほど忙しかったのに、企画が通らないと仕事にならない。
 売れている本を読み、自分の興味を掘り起こし、セミナーや講演会に足を運んで、そのままパソコンに向かって企画を書いているのに「なぜ!?」
そんなときある書籍の帯文が目に入った。
――やばいやばいマジやばい。明日プレゼン、まだできてない。助けて!――
「私の心の声か」と思った。できてないんだよ、まだ企画書が。

●『面白いって何なんす!?問題 センスは「考え方」より「選び方」で身につく』は作者の奮闘記であると同時に、どこかで聞いたことのあるメッセージが詰め込まれていた

 この書籍の内容をざっくりと伝えると、博報堂のCMプラナーである井村光明さんがクリエイティブという壁の前でもがいている話だ。
 どれくらいもがいているのかというと、目次を見ればわかる。
「グルグルグルグル同じ所を回るばかりで一歩も進まない感覚」
「クリエイティブ、楽しんでますか?」(問いかけであり「楽しんでいない」という反語)
「もう三十なのに、まだ結果出せてない。助けて!」
 本当にもがいていないと、出てこない言葉たち。私は感情移入とかじゃなくて、完全に同化。

 第1章の中で「理想のスーパー先輩」という項目がある。「アイデアの先輩」「クリエイティブな先輩」など、ふらりとやってきては的確なアドバイスをして去っていく井村さんの妄想の中の憧れの先輩像として描かれていた。
 うんうん、いるよねこういう先輩。これ、妄想じゃなくて本当にいるよ。だって聞いたことあるもん。身近すぎるけど、そう、私の父とか。
 理想のスーパー先輩は、私の父であり、いつも私の目の上にある、重くてデカいたんこぶだった。

●「人と違う人間になれ」

 父の職業はコピーライター。書籍を書いた井村さんと一緒だ。
 小学生の私は父が大好きだった。一緒にゲームをしてくれたり、おいしいお店に連れていってもらったり、とっても仲良し。だけど勉強を教わるときだけは、毎回大喧嘩になっていた。
 身内ならではの遠慮のない指導法が悪かったのか、私が甘ったれだったのか。とにかく親から何かを教わることは大変リスキーであることを、小学生の私は知った。

 そんな父から何度も聞いた教訓は「人と違う人間になれ」だった。
ただ、小学生の私は、学校で協調性を学び始めたばかり。「みんなと同じように、普通になりたい」と叫んだ。

 にもかかわらず、中学に上がった私の将来の夢は「舞台俳優」もしくは「作家」という、クリエイティブな職業だった。普通になりたかったはずなのに。自分の世界を表現する魅力にとりつかれてしまった。

●「作家になりたいなら、もっと言葉を尽くせ」

 小学生からちょこちょこ父の教えには逆らいつつ、中高では「黙って、親の言うことを聞かないレジスタンス運動(普段は仲良くしながら、言うことを聞けない部分では黙る)」を行っていた。それこそが親と一戦を交えない方法だと思っていた。

 しかし父は「オマエ、作家になりたいなら、もっと言葉を尽くせ。伝えろ」と父は言った。あまりにも正当で悔しかったので、あっさり私は口を開き、おかげで、屁理屈をこねる口喧嘩だけは強くなってしまった。人生で全く役に立たないスキルである。
その時から自分の感情はなるべく正確に、言葉を駆使して表すようにはしている。

●「オマエはこっち(クリエイティブ職)には来るな」

 残念ながら、この言葉だけは今でもずっと反抗している。中学の演劇部、高校の歌劇部、演劇科のある芸術大学に進むとき、父はいつも反対していた。「クリエイティブがタダになる時代が来る。AIに取って代わられる時代が来る。俺はギリギリ間に合ったが、オマエは渦中で働くことになる。演劇も文学も趣味に徹して、仕事は別の道を進め」とも言っていた。(AI問題については『面白いって何なんすか!?問題』でも少し、触れられていた)
 今なら少し、父の気持ちがわかる。私に子どもが生まれたら、同じことを言うかもしれない。
 クリエイティブはタダにはならなかった。むしろ価値を見出されたら、無名の人でもお金をもらえる。noteだってそうだ。でも「価値を見出されるまでクリエイターたちはどうやって食べていったらいいのだろう?」
 もし子どもが生まれたら、その子どもに「クリエイターになりたい」と言われたら、私はこう問いかけ続けるしかないのだと思う。

●「見ている人は、ちゃんと見ている」


 企画が通らないとき、タイトル・帯文の承認がおりないとき、父はいつもこう言ってくれていた。今でも、アイデアと格闘しているときはこの言葉を思い出す。
 仕事の相談をするといつもダメ出しをする父。
 自分の甘さを突かれた私は「もう父の教えは請わない」と逆ギレ。
結局そのあと、考えても考えても仕事は進まず、ボロボロになってリビングの椅子に座り込んだ私に「お前の頑張りは誰かが見ている」と父は言って、去っていく。
 ほらね。スーパー先輩なんだよ。私の父は。


 転職後、私が初めて編集した1冊目の本を手に取り「良いタイトルだ。そしていいコピーだ」「これは一体だれが書いたの?」と父は言った。
「本当に? 本当に良いコピーだと思うの? それはね、私が書いたんだよ」
 はちきれそうなくらい嬉しくなると同時に、いくつも案を上げて、絞って、やり直して、頭を抱えた私自身、相談に乗ってもらった先輩や編集長、つい愚痴ってしまった母の姿が浮かんだ。ちゃんと私には見ている人がいる。そして一番認められたい人に、認められたのだ。

●父の言葉を思い出した書籍


 ずっと目の上のたんこぶだった。私の心の支えでもあった。
 でも父の言葉だから、素直に受け入れられないときもあった。
 そんな言葉たちをあれこれ言い換えて、具体例を挙げて、私でも納得できるように説明してくれたのが、この書籍だと思う。
 書籍の一番最後P278に書かれた2行に衝撃を受けた。父の背中が見えて、上手く伝えてくださった井村さんへの感謝も溢れて、書籍を抱えてわんわん泣いた。
 
 これからも私は、書籍編集者として生きていく。グルグルグルグル考えて、迷子になりながら、人に刺さる作品を模索する。
 だって、私はひとりじゃないから。

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