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コロナとかキス病とか、たまに身体を壊すと大変なことになる

 11月はとんでもない月間になってしまった。
 11月7日の米光講座はコロナ発症日で。(コロナかわからなかったけど、体調が悪くリモートの講座を寝ながら受けた)
 11月13日の五百田さん主催おとなの寺子屋ではコロナ陽性の通知が来た日だった。
 11日に五百田さんへ「コロナかもしれないです」と連絡したら、リモート設備を用意してくれた。
 メンバーに優しい会だ。

 そんなこんなの、おとなの寺子屋11月は「初心に戻ってエッセイを書こう」だった。身近なニュースや、出来事を書き連ねるワークは、コロナの文字で埋め尽くされ、気づけば大学時代の入院エピソードまで触れていた。
 ホテル療養中、とにかく時間があったので、久しぶりにゆっくりじっくり、丁寧に書いてみた。
 長くなったので、note特有のもくじ機能に挑戦。

【ななこ、コロナ陽性】

 私の鼻はコロナウイルスに支配された。

 とにかく鼻づまりがひどい。鼻をかみすぎで、ツーンと目が痛くなるような感覚が常にある。
 4日以上続いたので風邪薬をもらいに病院に行ったら「紹介状を書いてあげるからPCR検査を受けなさい」と言われた。
「熱はないんですよ? ただ、鼻づまりがひどいだけなんですよ?」と何度も念を押したのに、お医者さんは冷静だった。
 翌日、大きな病院に行って検査を受けた。鼻で調べるタイプだったので、涙がにじむくらい痛い。斜め上を向いたまま、目をぎゅっとつぶって耐えた。
「インフルエンザの検査みたいだったよ。ただの鼻づまりなのに大袈裟ね」とテイクアウトしたインドカレーを頬張りながら、その時はまだ笑っていられた。
 2日後、陽性の電話を受けた私と同棲中の彼の顔には「嘘だろ」と書いてあった。(後に彼も陽性であることが判明する)
 だって濃厚接触者のアプリには通知が来ていない。
 会社には出勤していたけど、うがい手洗いを徹底していた。
 毎日熱を測っても37.5を超えた日がなかった。
 それなのにどうして?
 
 数々の疑問と理不尽さに対する怒り、何よりも「誰かに感染させていたらどうしよう」という恐怖が強かった。
 よりにもよって、13日の金曜日。ホラー映画以上に現実は怖い。

 鼻づまりのせいなのか、コロナのせいなのか、料理の風味がわからないのがツラい。カレーもキムチもまるで歯がたたない。ホテル療養のお弁当は、和洋中伊バランス良く、パウンドケーキやヨーグルトなどデザートもついてくる。
味覚のある人にとっては至れり尽くせりな献立だろう。
 ただ、私にとってはペペロンチーノも酸辣湯ごはんも、なんとなく口の中がピリピリする柔らかいものとしか感じない。

 きっと、おいしいんだと思う。から揚げはじゅわりと肉汁が出るし、アクアパッツァの魚はぷりっとしている。
「きっとこういう味なんだろうな」と想像しながら、舌触りを楽しむしかない。
 実に無念である。
 おいしいものが好きな両親のおかげで、匂いと味の判断には自信があったのに。
 玄関に入った瞬間に献立を察知する、夕食クイズは母が苦笑する程の正解率で、ミートソーススパゲッティ、餃子、トンカツは外したことがなかったのに。
 口に物を入れても、何かわからなくなる日がくるなんて。
 山岡士郎も真っ青だ。

【思い返せば10年前も似たようなことあった】

 そんな食いしんぼの私でも、今と同じくらい、食べるのが楽しくなかった時期がある。楽しくないどころか、苦痛だった。たった2週間、されど10年経った今でも忘れられない。

 大学2年生の冬、猛烈に喉が痛かった。食べ物や飲み物をごくんと飲み込めば、激痛でのたうち回るくらいに。扁桃腺は腫れてるし、喉の奥に白いできものがある。
 かかりつけの病院では、判断できないとのことで、大きな病院に紹介状を書いてもらった。
 血液検査の結果、伝染性単核球症というわけのわからない病で、即入院だった。別名キス病という、冗談みたいな名前で、彼氏もいないのにウイルスに侵されるコントみたいなシチュエーションだった。
「え? 今すぐ入院ですか?
 だって、着替えも何も持ってきていないし、もうすぐ期末テストがあるんですよ?」と何度も確認して、看護師さんを呆れさせた。
「いつ、何が起きてもおかしくない数値です。身体がだるくて、しんどいはずですよ」
 マジか。唾液を飲み込むときの激痛で気にならなかったけど、言われてみればだるい気がする。
 人の意見には素直で、自分の身体には鈍感な私は言われるがまま、用意された一般用のベッドに、ジーパン姿で横になった。
 私と同じく、まるで信じられないといったリアクションで、電話の向こうの母は苦笑していた。
「彼氏はいないし、まるで心当たりがない」と懸命に主張すればするほど、虚しくなるだけだった。

【ウイルスに打ち勝った瞬間】


 つるつるとした肌触りのベッド、どこにいても薬っぽい匂いのする病院特有の空気、決まった時間に出てくる食事とお医者さんの問診。
 人と触れ合える環境だったこともあり、入院生活はそれほど苦ではなかった。先生が速水もこみち似のイケメンだったし、病院食はおいしくいただいた。
 特効薬はうがい薬で、毒々しいくらい濃厚な青紫色を水で薄めて、コップ1杯分うがいをする。最後に薬まじりの唾液を飲むのは激痛を伴ったけど、喉元を過ぎて息を吸い込んだときのミントの香りに癒された。

「このままずっと治らないんじゃないか」と不安で寂しい夜は、長い。当時は携帯にゲームも入れておらず、Kindleもなかった。
 トイレに行くふりをして、何度もナースステーションの前を通った。
「眠れませんか?」と聞かれては「昼間たくさん寝ていたので」と笑顔で返していた。喉は痛かったけど、本当は看護師さんと夜通しお喋りしたかった。

 入院生活に慣れてきた頃、事件が起こった。
 朝のうがい中、喉のヘンな所に薬が入ったのか、もの凄く咳込んでしまった。青紫色の薬を洗面台にぶちまけ、鼻の奥に逆流した液体がツンと染みる中、しばらくゲホゲホとむせていた。
 咳が落ち着いても、鼻の奥の異物感が取れてくれない。
 再度うがいをしても、水を飲んでも、頭を振っても、どうしようもなく、結局、鼻から息を強く吸い込んで、喉に流すのが一番有効とみた。
 何度も息を吸い込んで、唾液を飲み込んだ。
「あっ、流れてきた」と思い、こくんと飲み込んだ瞬間、するりと何かが抜け落ちるような感覚があった。
 もう一度、うがいをして、喉の奥をみると白いできものがなくなっている。
 入院から5日目のウイルス飲み込み事件だった。

 それからみるみるうちに回復した。明らかに今までとは違う、確信があった。「もう大丈夫だ」と高らかに宣言をして、退院した。
 ただし、帰宅した後、今度は原因不明の発疹で、全身が紫のアザだらけになったので「あのウイルスを飲み込まなければよかった」と後悔をすることになる。
 その発疹とアザも、大学に戻って日常生活を過ごすうちに綺麗さっぱりなくなった。

【コロナに勝つ瞬間は来るのだろうか】

 ホテル療養中、4月にコロナにかかっていた友達から「味わからないのも今だけ。私もケチャップがわからなかった。治っちゃえばどこでも行けるし、何でもできるよ」と力強いメッセージをもらう。未知の病だからこそ、経験者の声は偉大だ。
 誰にも会えなくて寂しかった分、ホテル療養の方が時間が過ぎるのが遅かった。
 思うこと、考えること全てがネガティブになりがちで、テレビの感染症対策のニュースを見ては「オマエはこれをやっていないからコロナにかかったんだ!」と責められているような気がしていたし(ただの妄想)、旅番組やグルメ番組を見ても「もうこんな風にどこかへ行ったり、おいしいものを楽しめる日なんて来ないんだ」と自暴自棄になったりしていた。

 気持ちだけ弱った私は、友達と職場からの言葉がなかったら、そのまま引きこもりになっていたかもしれない。

「私の体調は大丈夫だよ。ななこは責任感じないでね」
「不安で気持ちも沈んじゃうと思うけど、ゆっくり休んでいればきっとよくなるから、前向きに!」
 この人達に、何をどうしたら恩返しができるだろうと、何日も考えながら夜を過ごした。
 あとじわじわと効いたのが「コロナにかかった人、僕の知り合いでななこさんが3人目です」と、淡々と言われたときには噴き出してしまった。かかったのは私だけじゃないし、元気にだってなるんだ。

 味覚と嗅覚は治っていないものの、他者へ感染させるリスクがないとのことで、私と彼はホテルから退所した。家でも一緒にならないよう生活をしていたので、約2週間ぶりの再会だった。

 退所後に、運動不足のリハビリも兼ねてふたりで公園を散歩した。雲ひとつない青空で、太陽の光が気持ちいい。あんなにぎんなん臭かった銀杏の木の下も、コロナ鼻のおかげで、純粋に景色を楽しめた。
 銀杏も紅葉も美しく、どんぐりも松ぼっくりもてんこ盛りな道をざくざく歩いた。
松ぼっくりを拾って、彼にぶつけてみたり、追いかけっこをしてみたり、はしゃぐ三十路。会社を長く休むと童心に帰る。
 少し歩いただけなのに、すぐに疲れてしまったので、シートを広げて、ミニあんぱんを分けっこした。舌への刺激であんこの甘さはわかる。
 神経を研ぎ澄ませながら息を吸い込むと、微かにあずきの匂いを感じた。豆っぽくて、甘い、ほっとする匂い。
「あんぱん、すごくおいしいよ」
 そう言って、彼に笑いかけた。

【完】

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