七色アガサnanairo_agasa
私は旅をしている。この地球を、大宇宙の煌めく星々を。気の遠くなるような時の流れを、或いは瞬間の連続体を。現在は未来であり、未来は過去である。今が今であるように、過去は未来でもあったのだ。
七色アガサは、ひたすら思考する。あたかもそれが、使命であるかの如く。思考こそが、七色アガサである証明でもあるかのように。七色アガサは思考を重視する。この、脳内の自由行為であるところの思考。第三者により見聞きされることのない行為であるからこそ、これらは、ともすれば、取るに足らぬことを延々と繰り返すという愚行を孕んでいる。自戒せねばならぬのは、ガラクタの思考からは、ガラクタの産物しか生まれないという事実。詰まるところ、稀有な思考には、稀有な思考材料が必要という事実だ。その内奥に、煌めきを秘めた稀有な思考。稀有な精神、稀有な魂と言い換えてもよい。煌めく魂が思考する行為にこそ、真実の目は開かれる。この最も難解で困難でもある挑戦こそが、七色アガサたる所以である。
市川翔自身の言葉をしたためる。彼の脳裏を駆けめぐる言葉を。事実も想像も、あらゆる思考が言葉に変換されて表現されてゆく。彼にとって、言葉は思念。ときに言葉は、現象そのものとなる。それこそが彼にとっての呪縛だ。 ichikawa.shou001@gmail.com
市川翔は物語の主人公である。彼の世界と我々のこの現実世界は、同時に進行する並行世界だ。もしかすると、我々こそが仮想で、並行世界こそが現実なのかもしれない。思考は想念であり、想念というものは、多かれ少なかれ、常に現象化するものなのだ。ここでは、市川翔について語る。
暮れゆく時の 静けさよ 心静かに ここに在る 過去現在の あらゆる事象を 悔いて帰らぬ 時の流れよ ただここに 有り難く つなぐ輪の 新たなる はじまりは 終わりなき こと也 未来へと
夢見ることの 素敵さよ 信じることの 尊さよ 清きあることの 貴重さよ
ふわっふわっと 優しい風が 吹き下ろす 光と大気を 額に頬に 受けながら 知らず知らず 微笑みが こぼれてくる 柔らかい 優しいって とっても とっても 心強い よ ね ♡
輝く太陽よ 変わらぬ光よ この地を照らし この地を肥やす 恵みをもたらしながら 自転公転を繰り返す 幾多の天体を支える 真理の源よ
いつだって 希望はある どこにだって 光は見える きっと きっと そう
日差し やわらかな午後 窓を開け放ち ゆっくりと 呼吸する 息を吐き 空気吸う 体の隅々まで 大気を 取り入れる 血液を 行き渡らせる 落ち着いていこう ね
この季節の 特別な 薫り豊かな 緑の野菜 友人の 畑で採れた 山盛りのパセリ 仕事の傍ら 畑を借りて 土作りから がんばって かれこれ 20年余り 野菜を植えてる 彼女は 畑のアサちゃん ここ数年の間に とあるところで 再会してからの 畑の手伝い 今日は ひたすら 草取りをした 科学的なモノを つかわない畑 ダンゴムシや ミミズや アレヤコレヤと 虫がいる 無心になって 土や草や虫と 接していると なんだか さっぱりとした 気持ちになってくる 誠に不
果てしなき蒼穹よ 透徹の気宇よ 嗚呼 巡りくる 永遠の時よ 過去が過去で あるように 今もまた 刹那のこと 遠く遠く 過ぎ去る 過去から未来へ 未来から過去へ 時はまわる 時はめぐる 果てしなき循環 彼方の宇宙から きたりて 異次元宇宙へと 飛び去るのだ さあ 飛翔せよ
春の羽衣 流されて 天の彼方へ 飛翔する 風吹くままに 清浄に
透き通る どこまでも どこまでも 高め合う いつまでも いつまでも 共にあれ ピュアな思い 次なる時へ
花や葉陰より 覗き見る その 透明無垢の 色と色 ゆらゆらと さらさらと 触れ合い 重なり合い そうしていながらも 互いを際立たせ 混ざり合う 嗚呼 その まったき 輝きよ
シンプルであること 真なるを求めること 善を選び取ること 美しくあること 成長し続けること
天の恵みありて 生き生きと 潤いながら 洗われながら そっとそっと 再起する
野山を彩る 花々よ 都会を潤す 花々よ 花は花 嗚呼 花は花である ゆえに 癒やされる 花は花である それだけで 美しい 有り難き
降り注ぐ 降り注ぐ 宇宙(そら)パワー 満ち満ちる エネルギー
揺れる木漏れ日 爽やかに 風運ぶ 初夏の気配 鳥たちは歌う 天を讃える 有り難き 刹那の奇跡