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友達の言い分を20分間聞き続けた8歳の娘。優しすぎる気質は、もっと評価されてもいいのでは?
友達を優先する
まわりの空気を読める
正義感が強い
友達からたくさん相談される
友達を放っておけない
これらは、現在小学5年生の娘の性格だ。
いわゆる「HSP(highly sensitive person ハイリー センシティブ パーソン)」のこどもバージョン、「HSC(highly sensitive child ハイリー センシティブ チャイルド)」の傾向にある。
そう、“繊細ちゃん”だ。
学校の面談ではいつも、「こちらからは何も言うことはありません」と言われるほど、学校生活では“優等生”である。
誇らしく思うと同時に、親としては少し心配になる。経験からして、優しいがゆえに苦労することも多いからだ。
損をしているのでは?
友達にいいように利用されているのでは?
と思うこともある。かつて私自身がそうだったから同じようになってほしくないとも思ってしまう。
社会に出ると、この娘のいい部分は当たり前に流されて、搾取されやすかったり疎まれたりすることがよくあることもよくわかった。
娘はとびきり勉強ができたり運動には秀でているわけではない。いわゆる、オール5とか、リレーに選ばれて1位になるとか、花形的な人気ポジションではない。
しかし娘の周りには友達が寄ってくる。周りをまんべんなく観察して、一人ひとりの意見を聞きながら、時にはびしっと注意をするような、全体をまとめる素晴らしい役割を果たしている。
気配りをして譲ってしまうような性質は、損なのか?いや、もっと評価されるべきだ。
今日はそんな話を。
8歳のとき、友達の言い分を黙って20分聞き続けた
娘が小学2年生の3学期のこと。個人面談が終わる頃、担任の先生がこんなことを教えてくれた。
Aさん(娘のこと)すごいんですよ。
クラスメイトのBさんが、クラス会の係決めをするときに怒り始めたんです。
どうにも止められなくて、Aさんが「先生と私と3人で話そう」と言ってくれて。
その後Aさんは、Bさんがすごい剣幕で話す言い分を黙って20分聞き続けたんです。
全部聞いた上で「Bさんの言いたいことはわかったよ。じゃあ、こんな方法ならどうかな?」といくつか提案してくれて。
すると、Bさんは憑き物がとれたかのようにニコッとなって「それならオッケー!」と。
Aさん、すごいなと。教員の私でも難しいことをやっているのを見てハッとさせられました。
相手の話を否定せずにとにかく聞いて受け入れる、その上で提案する。
なかなかできないことですよね。
親の私もびっくりで。大人でもでけへんやつやん、これ。
思い返せば、帰宅してすぐ「あー!疲れたー!Bちゃんと話しててちょっと遅くなったよー。遊ぶ時間少なくなっちゃう、行ってきます!」と遊びにいった日があった。
そういう具体的な話は「あ、忘れた」と言って家でしない子どもだったから、余計詳細を知らなかった。
娘に言わせると、Bちゃんは自由奔放な子だそうだ。授業中に立ち歩いたり、こだわりが強かったり、クラスの流れがちょいちょい止まるから、ちょっと大変みたい。
今回の件はクラス会でBちゃんが納得できないことができて、すごい剣幕で怒っているのを「Bちゃんは全部話し切ったらすっきりするのを知っている」と、聞き役に手を挙げたんだとか。
そこに先生が見守り役としてついてもらい、Bちゃんが気の済むまで話してもらったと。
それにしても、20分も話を黙って聞くのって大変ちゃうん?と聞いたら
そりゃしんどいよー。でもみんな意見は違うからね
と、さらりと言ってのけた。あんたは神か。
もうひとつエピソードがある。
クラブ活動、やりたかったドラムを譲った
4年生になりクラブ活動がはじまった。
音楽クラブになったと言い、発表会では3曲披露していて、どちらも鍵盤楽器だったのが気になった。
「そんなにピアノ好きだっけ?」と聞いたら
ほんとはドラムだったんだけど、Cちゃんに譲ったんだよ
娘よ、またしてもか。
クラスでは運動も勉強もどちらもできるCちゃん。どうしてもドラムがやりたいと、くじ引きで別の楽器に決まったのに涙を流すくらいに悔しがっていたという。
そんなCちゃんの様子を見ていたら、かわいそうになった、と。
優しすぎて、切なくなった。Cちゃんの残念な気持ちはわかるが、くじで決まったんだからワガママ言うなよと押しかけにいきたかった。
親としては、なかなか演奏機会のないドラムはせっかく希望を出して当たってチャンスを得たのだから、その機会を活かして体験してほしかったよ。
私は娘に伝えた。
優しいのは素晴らしいことだよ、でも自分がやりたいときはやるべきだ、と。
くじを使ったのは、誰もその結果について文句を言わないようにするため。自分がやりたいという気持ちを犠牲にしてまで誰かにチャンスを譲る必要はないよ、と。
例えが変だけど、オリンピックだって、甲子園だって、出場決定して誰かに譲るなんてないやん。
次の機会は自分たちの努力で勝ちとってるやん。でも難しい場合もあってそのときは本人たちが気持ちに折り合いをつけなあかんやん。
あぁ、どこまで優しい子なのだろう。
この優しさは利用されていないだろうか。
本人の可能性を狭めていないだろうか。
いい面なのに、心の底から喜べない自分がいる。
陰の功労者が、もっと評価される社会になってほしい
自宅では緊張の糸が切れたかのように、ボーッとしいろんなことを忘れる。大好きな音楽にとことん夢中になる。推し活に余念がない。
家の娘の様子だけでは、想像できないほど、外で注意を張り巡らせている。
娘は小さな頃から“いい意味で社交性がある”と言われてきた。癇癪持ちでワガママ、男の子に囲まれて姫扱いされてきた保育園児は、小学校では女の子に囲まれ友達だいすき気配りマンに大変身。勉強は嫌いだけど、学校は楽しいという。
人の話を20分間聞き続けたり、チャンスを人に譲ってしまうという、大人でも難しいことをみずからさらっとやってのける。ねぇ、政治家のみなさん、こどもがやってるよ?
そんな“人にとことん寄り添う”という、素晴らしい能力をいつのまにか自然に持ち合わせている。
その行動の根幹は、娘いわく
自分のまわりにいる大切な人が、笑って過ごしてほしい
にある。
残念ながらこういう人は社会では目立たない。数字に出にくい部分だから、評価もされにくい。当たり前に流されて、搾り取られ、スルーされがちだ。
でも確実に、場の空気をおさめたり和ませたり、いい流れをつくっていると思うんだ。
どうか、娘のいいところがこのまま伸びてほしい。
いいように利用されることなく、搾取されずに、正当な評価を受けてほしい。
そのためには、「まず自分を大切にする」ことを毎日毎日娘に伝えてかなければだし、世の中にもnoteなどで発信して声をあげていかないといけないのだなと。
できることからコツコツと。
やさしいあなたに、幸あれ。
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