光であり影であり
ひさしぶりに描きあげることができた曼荼羅。
眺めていたらこんなタイトルが浮かびました。『光と影』でもなく『光であれ影であれ』でもなく、『あり』なんだ…
自分自身の内側にフォーカスして描いたはずなのに、何となくエネルギーが私のものとは違うような感覚と、チャネリングし続けているような感覚がしばらく続いていました。
何とどう繋がっているんだろう…と思っていましたが、昨日珈琲を買いに出掛けた際、思っていた以上に身体が辛いことに氣づきました。
太陽の活動やシューマン共振の影響もあってか、3〜4日位前から頭痛や肩の痛みが強くて何度も危うかったのです。月初ほどではないにしろ、ちょっと死線がチラつくくらい…
自分の軸を探りながら、ポケットに入れていたシュンガイトのフラーレンでマッサージをしていたら痛みが和らぎました。
あーこの感じ、集合意識的なものもあるよね…
いつもは意図して切り離すのですが、自分の何が反応しているのか見てみたくなり、敢えて流されてみて、浮かんでくる感情を眺めてみることにしました。
☆
ほんのり珈琲が香る車内。
ひさしぶりにあの曲を聴き始めたら、一昨年の夏の日を思い出しました。
あの日もここで珈琲を買って、この曲を聴いたんだっけ…
さすがにもうこの曲を聴いても泣きはしないだろうと思いながら聞いていましたが、同じ箇所で泣いた…
あのときに受けとめきれず一旦端に寄せていた後悔や罪悪感の源。最近になり、それが脳裏にちらついていたことを認識したのです。
独居だった伯父が亡くなったとき、私が真っ先に思ったのは「やっぱり…」と「なんで…」でした。
亡くなる前の3年間、弟と私のどちらかが不定期ではありましたが、1〜2か月に1回伯父の様子を見に行っていました。でも最後に会ったときに今までになく元氣だったこともあり、3か月もの期間どちらも会いに行っていませんでした。
伯父の家を訪ねるたび、玄関の扉を開ける瞬間に「もしかしたらひとりで亡くなっているかもしれない」そんな不安が脳裏を過ぎっていました。何故そう思ったのかは分かりません。でもずっと前からその予感はあって、注意していたはずでしたが肝心な“そのとき”に氣づいてあげられず、見つけてあげることができませんでした。
社会福祉などのサービスを受けていない高齢者の一軒家でのひとり暮らし、mRNAワクチン接種…起こり得ない出来事ではなかったにしろ、とてつもない罪悪感に押し潰されそうになりました。
元彼との出来事もリンクしていたのだと思います。
私はその人に婚約指輪を贈られたとき「この人とは生き別れる」とはっきり確信したのです。実際、彼はその直後に病気を発症して手術をしました。半年の入院を余儀なくされ、全財産を投じて起業しようと準備してしていたのも流れ、母親の病気も発覚し…。今ほど容易に連絡を取り合う手段もなく、超遠距離で簡単に会いに行けないなか、満身創痍で自死を仄めかす彼の生死を案じ、怯え続ける毎日に限界を感じて私から別れを告げました。酷い仕打ちをしているという罪悪と、私が見放したら彼は死んでしまうかもしれないという恐怖はありましたが「このままでは共倒れしてしまう」と危機感があったのです。
数年後、生きのびることができた彼が連絡をきて復縁を求められましたが、また彼の母親の病状が悪化して同じような状況に陥りました。
私が彼に近づくと彼に厄災が降りかかる。
初めの頃から何となく感じていたことでしたが、このとき私の中でそれは確信に変わりました。
私は他人を不幸にする人間なんだ…
サゲマンどころか疫病神なんだ。
一度もそんな風に責められたことはなかったのに、そう思い込んでいました。
時を経て、この人とは過去生から続く因縁が色々あったことが分かりました。恨みや憎しみはないつもりでしたが、彼の身に起きたことを思うと、私が無意識のうちに発した念や呪いで彼を苦しめたのではないかという疑念と申し訳なさは私の内で燻ぶっていました。
このブログ内でも度々書いていますが、
『意識が現実を創る』
その体験を重ねる中で、あの出来事も私が思い描いたから起こったのかもしれないと考えることがあったのです。だから
伯父があんな亡くなり方をしたのは私のせいかもしれない。私があんなことを思わなければ…
自分が手をかけたように感じて苦しかったのです。
そんなことをつらつら思い出していたとき、耳に入ってきた歌詞が
不覚にもウルウルしていたら、すれ違った車のナンバーが
『39-39(サンキューサンキュー)』
あまりのタイミングに、ふっ…と氣が緩んで泣き笑ってしまいました。
あの夏の日、警察に伯父の遺体を引き取ったときに返された所持金(家に無造作に置いてあった現金の総額)が39万円。
「サンキューって、(黙って行かずに)口で言えや」と思わず笑ったのです。
その話をしたとき、母から伯父が私や弟が顔を見にくることを喜んでいて感謝していたと聞かされたことを思い出しました。あまり感情を表に出さないプライドの高い(頑固な)人だったので、もしかして「年寄り扱いしやがって」と煙たがられてるかもしれないと思っていたので、それを聞いたときはとても驚き、温かいものが胸に拡がったのです。
死後1年半、家の掃除に通っていたときも、責められているように感じたことはありませんでした。それどころか、行くたびに家全体のエネルギーが明るく軽くなり、温かいものに包まれている感覚がありました。
私を責めて追い詰めていたのは私自身だった。
そのことに氣づいたら、元彼との出来事も少し違った捉え方ができるようになりました。
『光であり影であり』
ただ、彼とはそういう関係だったのだと。
そうしたら、ひとつ肩の荷が降りたように感じました。
彼との間に起きたことは長いスパンで見ると、幸せになるための過程だったのでしょうが、まだどこかで幸せになってはいけない理由を探してブレーキをかけていたかもね。
そういうの、もう終わったつもりだったのに^_^;
『闇を照らす光であれ。恐れず進め』