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日本を離れ、憧れの台湾へ!

8月22日

ついにわたしが日本を離れ、一人で台湾に向かう日がやってきた。

友人との別れ

早起きが苦手なわたしだが、飛行機が11時半ごろ出発するので、9時には成田についていたい。となると逆算して、7時には家を出ることになる。

友達というより家族レベルといっても過言ではないほど仲の良いM子が成田まで見送りにきてくれるといっていたのだが、さすがに遠すぎるのでこちらから遠慮した。

もちろん来てほしいのが本音だが、別に永遠の別れでもあるまいし、1~2時間成田でわたしと話すためだけに往復3時間、5000円も使わせるのは申し訳ない。

ただ幸いなことに、M子とわたしは地元が一緒で、彼女の実家はわたしの家から徒歩でわずか10分ほどのところにある。
そこで、空港でお見送りしてもらう代わりにわたしの家まで足を運んでもらった。

ただそれほど長々と立ち話をしている暇もおセンチな感情に浸っている暇もなく、手短に別れの言葉を交わし、元気でね、と言って手を振った。
今まで(お互い違う大学だというのに)週2~3日もあっていたというのに、10カ月まるまる会えないなんて妙な感じだ。当日を迎えてもなお、実感がわかなかった。

いざ、一人で旅立ち

父と母は会社を休んでくれたので、まだ夏休み中の妹もつれて、4人で成田に向かう。
普段旅行というと緊張しがちで口数も少ない妹だが、今回は自分が行くわけではないので気楽だったのだろう、途中の成田エクスプレスでも気持ちが悪いだの降りたいだのと言いだすことはなかった。

わたしはといえば、妹と真反対で緊張には強いタイプだが、今回ばかりはかなり気分が落ち着かなかった。21年間、1度も実家を長い間離れたことはない。たとえ留学先が飛行距離わずか2時間半ほどでつく台湾であっても、そこはまったく未知の世界だった。

8月末の成田空港はがらんとしていて、店もマックとコーヒーショップが数軒開いているくらいであり、簡単なチェックイン手続きを済ませたあとは特にやることもなかった。

ひたすら書類を眺めたり、到着後のフローを確認したりする。母が「最後に何かいるものある?」とわたしをコンビニに連れて行ったが、特に食欲もなかった。母はこれぐらいもっていけば、恋しくなるかもしれないから、といって干し梅のお菓子を買ってくれた。
(のちに隔離ホテルにいって、日本のお菓子が無性に食べたくなったので、このとき買っておかなかったことを後悔した)

フライト時刻が30分ほど遅れていたので、しばし家族との会話を楽しんだり飛び立っていく飛行機を眺めたりしたあと、11:00すぎに出国ゲートへ向かった。
ここから先は一人、誰も助けてはくれない。なんだかひどく心細くなったので、むしろ友達に見送りにきてもらわなくて正解だったと思った。
見送ってくれる人が多いほど、寂しさが増してしまう気がした。

家族ともとりたてて劇的な別れの挨拶を交わしたわけではなく、
「いろいろ気をつけろよ」
「うん、わかった。行ってくる」
くらいのものだった。

わたしとしてはかなり不安で寂しくもあったのだが、そのような姿を見せたくはなかったので、お別れをしたあとは一度も後ろを振り向かなかった。あとで家族からLINEが来たのだが、「おいおい、ずいぶんあっさりしてるなあ」とのことだった。

出国手続きも荷物検査も、わたしが想像していた100倍スムーズだったので、そのあとは免税店をしばらくウロウロした。

わたしは免税店で買う必要があったもの、それはタバコである。
えっ、と思った方、誤解しないでほしいのだが、わたしは決して、絶対に、喫煙者なんかではない…!!むしろタバコという字面を見ただけでなんとなく気分が悪くなってしまう。
ただ、大学で仲良くしているK(ヘビースモーカー)に懇願されたので、重い腰をあげたのだ。

Kも1週間後に台湾の高雄に来ることになっていたのだが、彼が「タバコが免税になるのが1カートンまでなので、おまえも1カートン買ってきてほしい」と言ってきた。
荷物になるし断っていたが、あまりにも何度も必死に頼まれたので、断れなくなってしまった。まがりなりにも同級生、普段から仲良くしてもらっているし、中国語が堪能なKに今後も何かと頼ることがあるかもしれないな。そう思ったので、渋々承諾した。

わたしが行くのは台南だが、台南と高雄は電車で1時間もあればつくほどの距離なので、わたしが彼のタバコを買っておき、現地で渡す手はずになっていた。

免税店ももちろんがらんとしていて、タバコばかり並んでいる店を一人で見て回るのはなんだかひどく気まずかった。しかも、わたしは自分では認めたくないものの実際かなりの童顔なので、免税店の店員たちもあるいは不審に思ったかもしれない。

まさかタバコを買う日がくるとは。

なんとかタバコを買い、あとは飛行機の出発を待つだけだった。しかし飛行機の到着も整備なども遅れ、結局搭乗時刻は予定より1時間も遅れてしまった。格安だとこういうことが起こりやすいかもしれないので、時間に余裕がない場合には注意したほうがいいかもしれない。

揺れる飛行機に揺られて

飛行機は座席は想像よりゆったりしていて、隣にも誰も座っていなかったが、通路はたしかにANAやJALと比べて狭く、車内販売のカートが一台通れるのがやっとという感じだった。

離陸のときは、それほど動揺しなかった。
というのも、1か月前に部活の友人たちと北海道旅行に行き、飛行機を利用したからである。そのときがおよそ3年ぶりの飛行機だったのだが、離陸のときのスピードの速さといったら…。
その意味で、今回は体が飛行機の感覚を覚えていたため、かなりマシだった。

ただ、出発後30~40分くらいはグラグラ揺れ、北海道のときよりはるかにおそろしい思いをした。いっそ通路を挟んで隣の外国人に「飛行機ってこんな揺れましたっけ??」と聞こうかと思ったくらいだ。
航空機墜落事件やテレビで見たノンフィクションドラマなど、思い出したくもないのに脳裏をよぎった。

機内がグラグラ揺れているのに、そのうちオプションでつけた機内食が運ばれてきた。
わたしは「チキンとポテトのラグー」なるものを選んだのだが、結論からいうと、かなり失敗だった。というのも、煮物のようなものを想像していたのに、中身は完全なるスープであり、揺れまくる機内で食べるべきものではなかった。味は癖の強いミネストローネといった感じでまあまあだった。

チキンとポテトのラグー

チョコチップクッキーも3枚ついてきて、1枚食べたのだが、これはかなり美味しかったので、あとの2枚は隔離ホテル用にとっておくことにする。

周りの客たちを見てよくこんなに揺れているのに寝られるなあ、とかあれはどこの国の人だろう、とかいろいろ考えていたら、全く退屈することもなくすぐに台湾・桃園空港に到着した。

桃園空港に到着

飛行機を降りたら、教育省のスタッフがすぐわかるところでネームプレートをもって待っていてくれた。数名で一緒に行動することになっていたが、わたしのグループはすべて日本人のようだった。高雄の大学に行くという女の子と会ってすこし言葉を交わし、LINEも交換した。
そのあとはスタッフの指示ですべて動いたので、なんの心配もなかった。

①    SIMカードを買い(わたしが買ったのは30日1000元のものだ)、スタッフにその場で入れ替えてもらう。
②    次のセクションに進み、PCR検査キットを受け取る。
③    入国カードを書く
④    入国審査ゲートを通る(簡単な顔認証とパスポート・入境許可書・入国カードの提示だけだった)
⑤    スーツケースを受け取り、希望者は両替をする
⑥    PCR検査ブースで検査を行う(結果は後日とのこと)
⑦    防疫タクシーに乗り、ホテルに向かう

主にこんな感じの流れだった。

ついに台湾についた、こんなにあれこれ苦労してやっと……という感動をかみしめるまもなく、スタッフに言われるがままに動き、空港についてから1~1時間半ほどで防疫タクシーに乗り込んだ。

タクシーを待つ

タクシーで台湾を感じる

ホテルもすでに運転手が把握しているため、特に言葉を交わすこともなかった。
ドアがバタンと閉まると、とたんにタクシーは猛スピードで走り出し、いきなりびっくりさせられた。

それだけでなく、(日本ではありえないだろうが)タクシーの運転手は途中家族と思わしき人と電話したりLINEに返信したりと、ずいぶん気ままな様子だった。

わたしはなんとなく彼の荒い運転にヒヤヒヤしてしまったが、こんなことでいちいち肝を冷やしていたらこれから生きていけない。そう思い、彼のほうを見るのはやめにして、窓の外に目をやった。

なんてことない都会の町の風景、東京と言われれば信じてしまいそうだ。
でも、だからこそ見るものすべてに繁体字が書かれているのが変な感じがした。

そして、バイクが日本と比べて圧倒的に多い。どこもかしこもバイクが並び、すごいスピードで脇を走り抜けていく。

おお、ここは台湾なんだ。そのとき、はじめて自分が異国にいるのだと実感した。

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