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Twitterがつなげた友情~思いがけない出会い

9/2夜~9/3

芸術家「マキちゃん」との出会い

9/2の夜のこと。お風呂から上がると、陳さんが私に「あなたと同じ学校に通うことになっている子が来ているみたいよ。挨拶してくれば?」と声をかけてきた。

はむ家の共用スペースにおりると、それらしき女の子が机に向かって勉強しているが、こっちをちらと見ようともしない。大きなヘッドフォンをつけて、外界をとことんシャットアウトしているようだった。こちらが躊躇っていると、後から追いついてきた陳さんが私に代わって彼女に声をかけてくれた。

彼女の名前はマキちゃん(仮名)。福岡から来た大学院生で、建築関係の勉強をしているらしい。
9月12日から、私と同じ成功大学の華語中心(中国語センター)で学ぶことになると言っていたが、彼女の場合、中国語はゼロからのスタートだ。
眉毛の上まで切った前髪や耳から下げたいくつものイヤーカフ、ユニークなファッションは彼女がいわゆる「普通の女子大生」ではないことを物語っていた。要するに、並々ならぬ芸術家の雰囲気を漂わせていた。

はじめは取っ付きにくいタイプかと思ったが、彼女は少なくとも私とは喋る気になってくれたようで、ドミトリールームに戻ったあともこれまでのこと、これからのことを二人でぽつぽつ話した。マキちゃんは院生で私より2つ3つは年上だから最初は丁寧な言葉を使っていたが、「敬語はかえってきまり悪いから」と相手が言ってくれたので、それからは気を遣わずに話すことができた。

台湾留学を終えた今、「敬語」とか「年齢による序列」 とかいうものは時に人間関係を構築するうえで邪魔になると、個人的には思ってしまう。台湾にいた時知り合った日本の方は私より年上ばかりだったが、同じ「学生」同じ「在外邦人」という立場で、ほとんど対等に話をさせてもらっていた。そうすることでお互いヘンに遠慮することなくものが言えたし、心の付き合いができたと思っている。もし日本で知り合っていたらここまで仲良くなっていなかったのではないだろうか。

そんなわけで、マキちゃんもまだ住む家を探せておらず、家が見つかるまでの間はむ家に滞在すると言っていた。
マキちゃんとは、色々なことを話した。
私が特に好きになったのは、彼女のサバサバした性格だ。彼女はいわゆる「八方美人」とか「愛想をふりまく」タイプではなく、自分が関わる必要がないと判断した人とは無理に関係を築こうとしないらしい。というかむしろ彼女を「タイプ化」すること自体がナンセンスかもしれない。
マキちゃんはマキちゃん。そんな感じのする人だ。
決して内向的ではないが、自分のパーソナルスペースとか、他人に土足で踏み込ませない自分だけの世界をしっかり持っている、強い人という印象を持った。

私さ、"日本人"っていうだけで近づいてくる日本人が一番嫌いなの。だってそれって私個人を見ているわけじゃなくて、日本人という外側の部分だけを見ているわけでしょ、
と彼女は言った。そして
あなたもさ、最初そういうタイプだと思ったんだよね。けど話しているうちに思ったんだけどさ、意外と見た目に似合わず心の中にブラックなもの持ってるでしょう。私そういう人のほうが好きだよ」。
そう、その後も何度も思うことになるのだが、彼女は人の本質を見抜くというか、とにかく鋭いのである。誤解を恐れずに言うと、私もそうだ。聖人君子よりも心の中に何か抱えているとか、誰かしらに不満があるとか、怒ったり泣いたり、とにかく人間味のある人が好きだ。

そのうち、コロナウイルスの流行で混乱が続く中、どうやって留学の情報を収集していたかという話になった。彼女も私と同じく「Twitter」で留学の同志を探し、そこで情報を交換していたとのことだった。

台南に留学する日本人はかなり少数だったのでもしかしたら、と思ってなんとはなしにTwitterのアカウント名を聞くと、かなり聞き覚えがある。自分のアカウントのダイレクトメッセージ欄を開いてみると、なんと私が留学に来る前頻繁にやり取りしていた子だったのだ!まさかこんな形で、同じ民宿で会うとは思ってもみなかった。

マキちゃんに翌日の予定を聞くと、マナミさんと会うことになっているという。このマナミさんというのもTwitterで私が頻繁にやり取りしていた相手で、成功大学のアプリケーションの時にはずいぶん助けられた。お礼と挨拶をかねてお会いしたかったので、マキちゃんに私も連れて行ってくれないか頼んだ。

マキちゃんは快諾してくれ、Twitterでマナミさんにコンタクトをとると「もちろん一緒にいきましょう」とのことだったので、二人にご一緒させてもらうことにした。

成功大学見学。日本と台南の意外なつながり

翌日、マキちゃんと二人で待ち合わせ場所に行き、そこでマナミさんと合流する。
マナミさんはロングヘアを1つの三つ編みにまとめていて、色白のほっそりした人だ。

自分より 10近く年上だからか、しっかりしていて落ち着いているなあという印象を受けた。(こののちマナミさんは大いに本領を発揮し(?)、まったく年齢の差を気にすることなく私とはしゃぎまくり、彼女は私の台南生活におけるもっとも大事な友人の一人になる。けれど、この時はまだそんなこと知る由もなかった)

マキちゃんとマナミさんと3人で成功大学のキャンバスをぐるりと回り、シンボルにもなっているガジュマルの木を見に行く。1923年、当時まだ皇太子だった昭和天皇が植樹したというものだ。(これは蒋介石時代に問題にはならなかったのだろうか?よくわからない)

ここの芝生に寝ころび、ガジュマルを眺めていれば大抵の悩みはどうでもよくなる。(個人の感想)

noteには記述していないが9/1に別の台湾人と遊びに行ったとき、彼がこのガジュマルについて「夜になると女の亡霊が出る」といったようなことを言っていたのだが、ずいぶん後になって成功大学の学生に聞いてみたら「そんなことは知らない。むしろ華語中心の前の池で前誰かが自殺したらしく、そこで霊が出る」と言っていたので真相はよくわからない。
確かに、夜のガジュマルの木の周りはどことなく不気味な雰囲気が漂っているような気もするが、それよりも台南と日本のつながりがこんな形で見られることにただ感動した。

見た目はチョット…な「動物の血」料理

しばらくウロウロしたあと、小腹がすいた為に「育樂街」という学生グルメ街のようなところでお昼ご飯を探す。青い看板を掲げた「鴨料理」の店に入り、私とマキちゃんは「鴨」の名が入った麺料理、マナミさんは「鴨」の名がついたご飯ものを頼む。

台湾に来たばかりでどの料理が何を指すのかイマイチわからないのであてずっぽう、というわけだ。運ばれてきたものは、ビンゴ!!鴨肉がたくさん入った麺だった。それにショウガが少し。では、マナミさんが頼んだものは…。「?!?!」
マナミさんが軽く叫ぶ。見てみると、白いご飯に茶色いタレがかかっているだけ。え、なんじゃこりゃ。肉は乗っていないんかい。なんという料理か忘れてしまったが、一同に衝撃が走ったことだけはよく走っている。
まあこれも、外国で暮らす楽しさでもあるかもしれない。

当たりのほうの麺料理

さらに「米血糕」という料理をみんなでシェアするが、その見た目と名前のおどろおどろしいこと…つまり簡単に言うとだ、これはコメと動物の血でできた餅のような料理なのである。
味は全然癖がなく、「血」なんて言われなきゃ少しも抵抗は抱かないだろう。と、当時は思っていたのだが慣れとは恐ろしい、その後はむしろ好物としてよく食べるようになった。

嫌いな人は絶対嫌い。

その後は飲料を買ってまた少し散歩し、午後3時ごろ解散。ちょっと想定より早めだが、初対面だからこんなもんだろう。マナミさんもとても気さくな人で、気が合いそうだなと直感的に思った。実際、マキちゃんマナミさんにはこの後何度もお世話になる。

1日の終わりに「火垂るの墓」

解散したあと、何を思ったのか私は映画館に足を運び、当時特別上映していた「火垂るの墓」を一人見に行く。まさかの誰もおらず、大きなスクリーンを独り占め状態。

まさかの貸し切り

ジブリの熱狂的なファンなので、映画館で見られることは嬉しかったし、中国語の勉強にもなった。が、暗い…!!一人で見るにはとにかく重く暗い映画だ。名作ではあるが、鬱鬱とした気分ではむ家に向かう。

でも、はむ家に帰れば、あの場所に帰ればはむさんはじめ賑やかな人たちが待っている。
私が落ち込む暇なんて、ちっとも与えてくれないのである。

もうここが、私の家だ。

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