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ハンドメイドは消耗しない

はじめまして。
重い腰をあげて、ようやく初投稿。

さて、私がnoteを始めた理由は、自分の考えていることを言語化して整理するため。書くことで「私って、こんなこと思ってたんだ〜😳」って、自分を発見していくのが結構好きです。時には目を逸らしたくなるような闇を発見することもあるけど。でも、びっくりするほどピュアな自分を発見する時もある。だから「私って面白い!謎という可能性に満ち溢れてる!」って思う。そんなふうに私が、私を、言葉を使って解き明かしていく様を、皆さんも一緒に楽しんでもらえたらと思います。そして、あわよくば「Nanaちゃんって面白いかも。会ってみたいかも。作品をオーダーしてみたいかも。」なんて思ってもらえたら嬉しいなぁ、なんてね😁

あと、意外と私の文章は明瞭で読みやすい上に、ストレートに感情を乗せるので、それが読む人の感情を揺さぶり、良い影響を与えることが多いと気づいたので。誰かの役に立つならいいかなと思ってます。

それでは、今日の本題。
クリエイティブな活動をする上で、「ゼロイチの発想かどうか」って重要ですよね。私はハンドメイドも音楽も子供の頃から大好きで、ずっと続けてきました。でも、ずっとコンプレックスがあって。それは「ゼロイチの発想が苦手」ということです。どちらも誰かが作った図案や楽譜といった、設計図のようなものから完全再現すること、そのうえで自分なりのこだわりを加えることは得意なのですが、作曲や、めちゃくちゃユニークな作品を生み出すことは苦手なのです。

やっぱり、創作はゼロイチができてナンボ。ゼロイチを生み出す人がアーティストや作家と呼ばれる人で、イチから先を担当する人は、技術者や職人と呼ぶのかなと思います。そういう意味では、私はアーティストというより、ゴリゴリの職人ですね。

それじゃあ、私は何もゼロイチを生み出せてないのでしょうか?私がハンドメイド作家として活動する上で、ゼロイチで生み出しているもの。発見しました。それは「関係性」です。私がハンドメイドを提供する上で一番大切にしていること。それは、お客様一人一人に寄り添い、対話し、温かな繋がりや信頼関係を築くこと。むしろ、物質としての作品より、私とお客様との間に築かれる関係性そのものが、私が提供している価値の本体だと思っています。作品は物質なので、どうやってもいつかは消滅します。でも、私とあなたの間に生まれた繋がりは消耗しないですよね?(どちらかが割を食う関係性なら消耗するかもしれませんが…)

ここまで書いてみて思ったのは、「だから私は大量生産したくない」ということです。ハンドメイド業界も飽和しているし、効率良く稼ぎたいなら、できるだけ材料費を安く、時間をかけずに作れる看板商品を生み出して、ミンネなどの通販サイトでたくさん売るということも考えられます。しかし、これをやると私がハンドメイドする理由とも言える「関係性」は生まれないですからね。作品はハンドメイドだとしても、在り方は大量生産品と同じだなーって、思います。

ハンドメイドに求めるものも人それぞれです。「安くて良いものが買える」という価値を求めるなら、通販サイトでたくさんの作家さんの作品を比べれば、より安く質が良さそうなものを買えると思います。でもこれも、消費者としての在り方が、大量生産品を買う時と同じだなーって思います。

たくさん消費したいっていう刹那的な快楽を求める人は、私の提供するハンドメイドとはマッチしないかもしれませんね。私が提供できる価値は、もっと地味で、目に見えなくて、でもじんわり温かくて長続きする。そんなものです。

(いくらハンドメイドが注目されたとて、AIが人間の仕事を代わりにやってくれたとて、結局は今までの大量生産大量消費的なマインドが変わらない限り、地球人働きすぎ問題も解決しないのかな〜。なんてね👽)

さて、ここまでくると、私が個性溢れるユニークな作品作りが苦手なのは、むしろ私にとって良いことなのでは?と思えてきました。だって、私がやりたいことは、お客様の希望に寄り添ったオーダーメイドで、暮らしに馴染み、長く愛してもらえる作品を作ることだから。私の個性が強すぎるデザインなんていらないのかもしれません。

思ったよりも長く書いてしまいました😅💦
子供の頃は読書感想文など、「書かされること」が大嫌いで、自分は作文が苦手なんだと思っていましたが。やらされることが嫌なだけだったようです笑
今日は書くことが好きな私を発見できました!

最後まで読んでくださり、ありがとうございます😊

では、また。ごきげんよう👋

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