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「届けるもの」と同じくらい「届け方」も大事と気づけてきました

 今まで、人生の主軸として小説を、そして気ままに絵を描いたりラップしたりYouTube配信をしたりラジオしたり雑文を書いたりとしてきていましたが、そのなかで特に気ままにしていた部分、そして最近全然書けていない小説に対しても、粗かった部分が多かったなーと自覚する今日この頃でして、なんだかそれを見ないフリしていた自分と、ふとしたことでいつの間にか向き合い初めています。

 個人的に小説家としての自分は結構毒っ気が強く、むしろそれが作品のエッセンス・スパイスとなっている部分もあるので、作風を変える気は今のところ毛頭ないのですが、その他もろもろのアウトプットに関しては、もっとしっかり丁寧にしないと、と思ってきています。

 というのも、小説に関しては昔からしっかり向き合い続けてきているつもりですし、ここから更にクオリティを上げる一心ですが、例えば表紙。もっと丁寧に作れよと。あのときは一刻も早くセルフデビューするのが課題だったのもありますが、それは言い訳にしかなりません。今の表紙で誰が食いつくのか、と。反省です。すでに世の中に流通させて、わずかではありますがご購入頂いたお客様もいるなか、今更表紙を変えて出すと、ご購入頂いた方に不備が生じるため、次回作から表紙もクオリティをガッツリ上げて、現時点での三作は「漢那初期」として扱って頂くしかないかな、と。「こんな時期もあったんだ・あったよね」となって頂けるように楽しんで頑張らねば。

 で、他のアウトプットについてですが、これはかなり改善の余地がありまして、まあ、粗削り時代として残すか、はたまた需要なしと見限って厳選して残すものだけ残すかは、レベルが上がってからの判断となりそうです。

 そう思えてきたのは、工夫の仕方とか、工夫のしがいがわかってきたからと思っています。「ただ単にしたいことすればいいやー!」という状態じゃ自分が物足りなくなってきたんですね。
「やっぱり何かしらを表現しているからには、それをちゃんと楽しんで貰える形で届けたい」、そう思えてきているのです。

 やっぱり自分は、自分から表出したなにかで誰かを楽しませることが好きですし、自分が良いと思うものを一緒に楽しみたいと思うタチなので、そうしたら、ただの雑な落書きレベルからは、成長したいし、その過程すら共有して楽しみたい。そういう輩なんですよね。

 もちろん、万人に万遍なく喜ばれるなんてのは考えていなくて、そこには個人差があって当然で、「合わないよ」というのもあって然るべきです。媚びることは趣味ではないし、無理強いするのも趣味ではありません。ただ、何か響いた方には、もっとちゃんと響かせたいな、そのためにはもっと追求しなきゃな、と、決意表明している次第です。

 ただ、必ず「創作することを自分が一番楽しんでいる」という初期衝動の炎は、決して消す気はございません。そりゃ、熱を込めまくった小説をタダで読ませるなんてことはしたくないし、かといって銭だけを追っかけるビジネスオンリーで執筆をやっているわけではありません。ラジオやYouTubeや絵はタダでも良いけれど、商品価値があるくらいまでは高めていく姿勢も大事かも知れませんね。この辺はバランス感覚がとても大事な気がします。

「良い作品は、もっと良くする」
「良い作品になるよう試行錯誤する」
「良い作品を、ちゃんとした形で届ける」
「甘かったりダメだったところは、ちゃんと受けとめて改善していく」

 こういった姿勢が、真剣に創作やアウトプットと向き合うあるべき姿勢なのかな、と、自戒も込めてここに書き記します。

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