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小説で、燻ってた心に火がついた

 サッカーおもろい!と気づいたのが中3二学期。中学にサッカー部はない。プロを目指すのは絶望的なスタート。そこで俺は考えました。ブラジル行けばええや、と。

 さすがに止められました。ブラジルまで行って、そっから現地解散だったので。

 けど、諦められなかったんです。おもろいから、サッカー。中学では夢を隠して「ブラジルでコーヒー豆作る」と言ってました。

 おもろさを教えてくれたのは、サッカークラブに入っていて、顔面にボールを当ててしまってから気まずくなってクラブを辞めた繊細なる友人。彼も夢を諦められず、俺を練習相手に誘って二人でサッカーしてました。それでサッカーのおもろさに気づく単純な俺でありました。

 結論から言うと、サッカー部だけでなく、高校自体を辞めました。

 高校のサッカー部では気を遣いすぎて、女子マネからは嘲笑され、副キャプテンにはヤジを飛ばされ、なんやこいつら、となっていたのですが、辞めた理由はそれではないのです。
 
 辞めると決めたのは、朝鮮学校との練習試合の時でした。「新入生のプレーも見たい」とのことで、既存レギュラー、新入生一軍、そして我らが二軍とメンバーチェンジして挑むことに。相手の朝鮮学校の選手は人数の関係か、メンバーチェンジはなかったです。

既存レギュラーが0対0、新入生一軍も0対0。そんで二軍の俺は右フォワードとしてピッチに立ちました。

 たぶん相手はバテてたかダレてたと思います。左フォワードから「そんな近いところでパス出すな!」言われて遠めから出したら「そう!」とのやり取りができる状況だったのですから。

 けれど俺はこのとき、完全にキレました。もうええ、今日で辞めたらぁ、そんかし好きなようにさせてもらう、と。

 相手ディフェンダーがボールを持っているところに後ろから回り込んでスライディングをしてボールを奪って、ドリブル。

 そっから覚えてないのです。

 ゴールに入れてないのは確か。けれど、シュートを打ったのかも、ドリブルをブロックされたのかも、全く覚えていない。記憶って飛ぶんやと知った日でもありました。

 試合後のクールダウンは覚えています。ヴィッセル神戸のユースにいたキャプテンが、わざわざ俺の隣に来てくれて、「スパイク買いーや」と声をかけてくれました。俺だけ運動靴でした。けど、「……はい」と生返事をしたわけです。優しさに感謝する余裕すらなかったのでした。

 ここまで書いて思い出すのは、サッカーの面白さを教えてくれた繊細な友人の後ろ姿。

「俺そろそろ帰るわ」

 そう俺が言うと彼は、

「俺はもうちょっと練習しとく。ありがとーな」

 帰り際にふと振り返ると、独りでフリーキックの練習をしていた友人の後ろ姿に、胸が切なく、そして、肚に憤りが生まれました。

 なんで真剣にサッカー選手なりたい思ってるこいつが抑圧してて、顔面にボール当てられた程度でぎゃーすか言うとる奴がありがたみもわからんとピッチ立ってんねん、と。

 その出来事が卒業文集で爆発。

「真剣に努力してる奴が夢叶えるべきやろ!こんな世界変えたらぁ!」

 くらいの熱を込めて書きました。当然、彼のことも、そう思ったエピソードも伏せて。

 確かに、本当に夢叶えたいのなら意地でもその土俵に立とうとするべきだし、今となっては自分自身でそれをしているけれど、思春期の方々に俺はそうは言えません。

なんとも言えない切なさがありました。

 そんなわけで、燻りまくっていた高校時代なんですが、ある時から、物語が浮かんでくるようになりました。

 実は小学校の時に、まっつぁんというシャイな友人の影響でマンガを描いていました。それが周りに読まれまくってたもんで、創作童貞ではないのです。むしろその時はウケてました。休み時間に机に男女が集まって、リアルタイムで描くマンガを読みに来てくれたりしてました。

 当時描いていたのは、 『ヒヨコン』という、ヒヨコ達の小学校が舞台のギャグ漫画で、いつの間にかジャンプ10冊分くらいの厚さになって、小学生のくせに教師同士の三角関係とかまで描いてました。残念ながら、第二次性徴のときに捨ててしまって、今は残ってないのです。

ヒヨコンの一発ギャグは「チンチンバー」です。風呂場で見たじいちゃんのご立派なげふんげふんのため、そこだけリアルでした。

 けど、しばらく創作から離れていたので、「なんでや?  どないせえと?」と思いながらもルーズリーフにメモったり、原稿用紙買ったりしたけど続かず。

 それもそのはず。そもそも小説は読まず嫌いでした。この時期に『アルジャーノンに花束を』に出逢ったおかげで「小説ってホンマはおもろいんや!」となれました。それがなければ、後述の出来事があっても、小説を書くと決めたかどうか自信はありません。ありがとうダニエル・キイス。ファッキュー読書感想文。

 インスピレーションに困らされながら、大学に進学。そこでもインスピレーションはやってきました。というより、むしろエスカレート。講義の内容から物語が連想されて、具体的な映像が浮かんだりする始末。けれど、「映像ってことは映画サークルか?  俺、集団競技めんどいねん」などとインスピレーションにぬるま湯な反発をしながらも、どこか持て余していました。

 そんななか、エネルギーを向ける場所は、ふとしたことから見つかりました。同級生が「作家になりたい」との夢を打ち明けてくれた、それだけですが、僕には充分でした。

「小説という手があったかー!  それなら一人で完結するやん!」

 と、なったのです。

 燻っていたエネルギーとインスピレーションの向ける場所が一気に明確になり、水を得た魚のように小説を乱筆・乱読しはじめました。

 よくよく考えたら、これ!ってなったの、どれも周りの影響ですよね。自発という概念はないのかお前は、と、自分にツッコミたくなりますが、僕はこれで良かったと思っています。もしキッカケにこだわりすぎていたら、小説という理想のパートナーに出逢えなかったかも知れません。俺が欲しかったのは理想のパートナーであって、キッカケを貫くプライドではなかったのだから。

 そこから、これまたご縁で出逢った小説の恩師に「趣味で終わらせちゃダメだよ」と言われ、恩師経由でフリーランスの編集者であった冨士さんに『Here and Now』のプロトタイプが渡り、商品価値や力量を認めて貰いながらも、「けど、売り出し方がわからない」とのお言葉からセルフデビューに矢印は向き、今の様になりました。このお二人がいなければ、今の僕は十中八九いないです。感謝です(余談ですが、冨士さんとは面識を持てないまま、そのお言葉の数ヶ月後に、天に還られました。なので、頂いたお言葉は、恩師経由です)。

 こうして、僕は今、身銭稼ぎながら電子書籍小説家として生きています。小説を棄てる選択肢は、俺の人生ではあり得なくなりました。それは小説が俺の主軸となったこともあり、応援して下さった方々に不義理はできないからでもあります。

 さて、ここで突飛なことを言ってもいいですか?

 これは、一見訳がわからない電波発言でもあるのですが、不思議と確信に近いことなので言わせてください。

 俺の小説で書いてる世界は、宇宙かどっかでの現実と認識しています。なぜなら、俺の脳みそだけで完結した世界とは思えないからです。「そいつらから書く許可を頂いている」という感覚です。

 スピリチュアルっぽいですし、イタコみたいな気分ですが、でも、インスピレーションに対して、もしも俺がサボったりぞんざいに扱ったりしてしまうと、たちまち俺から離れて違う作者に行ってしまいそうな気がするのです。なんだか気まぐれな妖精みたいに。

 だから、「その世界」をこの世界に小説として受肉させるためなら、自分の経験などはリアリティのために千切って与えてます。それくらい、本気です。チンケなプライドなんか、マジな創作には要らんのです。

 インスピレーションを受けているのも、執筆しているのも、俺です。その当人がインスピレーションにどう思っているか、重要ではないと思われるかも知れませんが、これは俺がどの作品も大事に想える理由でもあるのです。

 仮に、どこかのリアルがこちらのフィクションだとなっていたら、ちょっと面白くないですか?  「自分の人生の主人公は自分!」ならば、あなたの人生を読みたいと思う読者は、銀河のどこかにいるかもしれませんね。

 俺は、俺に降りて来た世界を、求めているこの世の読者に届け続けます。例えそれが、世界でたった一人だったとしても。

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