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『生きてるだけで丸儲け』を噛み砕いてみる

 明石家さんまさんのお言葉『生きてるだけで丸儲け』。凄く救われる言葉です。ただ、さんまさんは、その本質を突き詰めて話されておられるかと思います。
 ですがこのエッセイは、さんまさん経由ではなく、あくまで個人的な思索からの文章です。もしよろしければ、お付き合い下さい。

 この言葉は「生きてる」「だけで」「丸儲け」と3つに分けて見ていったほうがいい気がします。では順を追って、「生きてる」、そして「生きる」について。
 生きる。これを望んで生を受けました!という方はどれだけいるでしょうか? 某スピリチュアル界隈では、「あなたは色んな選択肢からこの生を選んできたんですよ」とまことしやかに言いますが、ぶっちゃけ、そんな記憶がない身としては、んーなの知ったこっちゃねー、今しんどいねん、となります。
 そもそも仏教のある思想では、未熟だから人間として生を受けているわけで、スタートとしては劣勢からの状態です。六道とか説明しなくても、そもそも苦しむ界隈ですよ、と。
 で、生きる、これ、なんでしょう? 自立? 延命? 長寿? 健康? 道徳? 倫理?
 いーや、そんなもんすっ飛ばしている気がします。ぶっちゃけ、生きるという生存という行為、これさえしてれば、人間が造った一過性の価値観なんぞどーでもええと思います。
 ここには、「生きてる」に「だけで」が重なることで、強調されていると思います。もし、これが違う意味合いですと、例えば「生きて」「人道を全うして」となると思います。そのような意見を否定しているわけではないので、あしからず。
 では、「丸儲け」。これは「死ぬな、少なくとも自死はしないで」というニュアンスも含まれていると思いますが、それより寄り添った目線の言葉である気がします。「生きてるんやろ? それだけでラッキーやん。すでにプラス得てんで」といった具合でしょうか。
 そもそもあーだこーだ他人の生き方にごちゃごちゃ言う批評家ごっこさんが多いなか(批評というのは、小林秀雄さんが文芸に対して始めたことです。文学など限定的なジャンルに対しての行為であるのが大元です。それが今、拡大的に乱用されてますね)、それに対して「うっせーボケ! お前のこうこういうこと、こうだからな、わかったかバーカ」みたいな対立ではなく、まるで近所の気のいいあんちゃんねーちゃんが、「そんなんな、ええんよ。だってお前、こうして生きてるやん? あたしと会えてるやん? それってめっさ儲けもんなんよ。俺もやけどなー」と目線合わせて言ってるようなニュアンスだと思うのです。跳ね返すわけでもなく、ゆるやかな肯定といった具合に。
 もし、あなたが悩んでいたときに、「それはこうだよ、世間はこうなんだから頑張るしかないよ」と言われるのと、「あー、そら色々大変やろー。でもさー、俺思うねん。なんか、生きてるだけで元取ってるんちゃうかなーって」と言われるの、どっちがほぐれますでしょうか。
 個人的に『生きてるだけで丸儲け』という言葉は、目線や相手に合わせる、厳選した言葉だと思うのです。それは聞き手が、それぞれちょっと分けて分解して、そして合わせるとより伝わる気がします。
 言葉は時に刃にもなり、無能にもなります。ですが、いくらかの人は、その人のボキャブラリーを駆使して、精一杯の言葉を雫として絞り出します。
 どうか、少しでも、それらの言葉にあなたが出逢えて、感じ入ることができますように。そうすれば、きっと、言葉は届くから。


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