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自分を傷付けること。色々な痛み。人よりも痕が少ないのは外見の価値を下げない理性。血まみれになって、何もかも破壊して、飛び降りだってやりたい。鮮烈な痛みは、末期の鈍痛のような呼吸困難を少しはぐらかしてくれるから。「生き延びてしまった際に付加価値を下げないように」に潰される毎晩

    • 小石

       恋と愛との違いを認識したのはいつからだろうか。  四半世紀以上の年月を重ねて、自分よりも遥かに年上でも年下でも、わかってるやつには当然でわかってないやつにも当然だ。経験人数も交際人数もさして関係ない。結婚歴も離婚歴も同棲歴も関係ないのだと思う。無論、最初から机上の空論と比較すれば、経験というのは有用だ。ただ、そこから学べるやつは学べるし、学べないやつは経験値稼いだって、学べてないからメッキってだけの話。  厳密には、私の中では、人に好意を持つということには何種類かあると

      • 世論

         数年前、親殺しの事件の背景に「医学部9浪」のコピーでの教育虐待がセンセーショナルに報じられたのはずっと脳裏に焼き付いている。犯罪の側面に虐待がある場合は、大抵の場合は、私が異常に理性的なだけで他人事ではないのだと思う。  その娘の手記の発売が行なわれたようで、再びドキュメンタリーなどで描かれるようになり、目に留まった。腹を抱えて笑ってしまった。自分より何億倍も抜け道や周囲からの視線があるじゃないかって。思わず大声をあげて笑ってしまったのは、このレベルの虐待でも殺害行為に対

        • 0と1の狭間に

          希望が好きだった。手札やロジカルな運命を知りながらも、奇跡だとか目に見えない力だとかそういった愚かなものを信じるしかなかったのだ。この命を繋ぐには。  出来損ないから脱することは出来ない。出来損ないであるか、冷静に考えれば尺度は様々なわけで、場面的には決して該当しないだろう。それを理解しきった上で、この世に「生を授かる」対価に「存在意義」を求められ、その尺度にはどれだけ足掻いたって届かないのだ。努力不足なのか、遺伝や先天的な限界値なのか。目指す場所を自分で選べればいい。自分

        自分を傷付けること。色々な痛み。人よりも痕が少ないのは外見の価値を下げない理性。血まみれになって、何もかも破壊して、飛び降りだってやりたい。鮮烈な痛みは、末期の鈍痛のような呼吸困難を少しはぐらかしてくれるから。「生き延びてしまった際に付加価値を下げないように」に潰される毎晩

          夢は日に落ちて

          ばらばらに散らばった。人間を取り戻せたかとぬか喜び、退廃に突き落とされて、強打した背中が熱い。 PTSDも地雷も、生を継続させている側の人間には想像もできない程に、大量に抱えている。 マウンティングとか、苦労自慢とか、誇ることとか、そうであれとも思わない。単純に、根性論者で諦めが悪くて、ボロボロな自分を見ること自体が、生まれたことを罪と言い聞かされてきた私には、自罰的な安堵感を与えるのだろう。 辛いのも痛いのもしんどいのも自分だけで良いからと、本心から人に優しくしても、

          夢は日に落ちて

          性知識

          はじめに 私個人としては、養育環境や様々な複合要因によりフェミニストというよりはミソジニスト的な思想の方が強い。とはいえ、女性の全てを受け入れられないというよりは、女性ホルモンが引き金になっている「女性性」という感情論での正当化がどうにも苦手なのだ。 そのため、ここに記載する内容は、飽くまで痴漢等やストーカー等の間接的なものではなく直接的被害である。俯瞰的・中立的に考えた場合の問題点の問題提起であるということを事前に記す。 これは性教育であったり、現代病にも少なからず通ず