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歴史小説「Two of Us」第4章J‐21
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country
J‐21
帰路に着いた、細川忠興一行。
奥州から何泊かしながらも、道中は足は休めずに来た4名は、京への入り口、西へ行けば備前や播磨その手前の長岡(長岡京市)、まっすぐ桂川を越えれば五条通への坂道で、一服休憩の腰を下ろす事にする。
〈沓掛〉は現在も北京都や山陰への玄関、縦貫道のインターチェ
歴史小説「Two of Us」第4章J‐20
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country
J‐20
17世紀初頭からの、細川忠興の足跡について特筆すべき事柄は、多彩で奥深い道へのクリエイター活動である。
明治時代以降に、ヨーロッパの文化を輸入したために【逆輸入】で細川ガラシャの認知度が日本国内でも上昇した。
だけれど、それまでは三英傑の片腕を担い、勝ち続けた闘将の『肥後もっこ
🌸物語キャラ盛り込みの、一句🌸
『朧月夜』 〈OBORODUKIYO〉≒ Misty Moon Night
おぼろ月 逢ふたび せつな
離れがたくば
別かつが気治さめ そはならなくに
On the spring night,
The misty moon was lighting up in front of my mind and spirit.
If two of us were separated from e
歴史小説「Two of Us」第4章J‐17
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country
J‐17
慶長20年、旧暦7月13日(1615年9月15日)。元和偃武(げんなえんぶ)。 〈偃武〉とは、武器を収納してしまう事。
応仁の乱から約150年にわたって、日本国内に於いての群雄割拠や下克上の軍事衝突、つまり戦国時代が終結・収束した。
江戸幕府は、朝廷に元号を改めるよう申請。『
歴史小説「Two of Us」第4章J‐16
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country
J‐16
細川忠興の三男忠利は、細川軍本体から離れ、現在でいう天王寺駅付近で呆然自失して、身動きも出来ずに佇んでいた。
そこが上方大坂の地である事も忘れて、目の前百尺(約30メートル)程先に仁王立ちして独りでまっすぐに睨みつけている男から、眼を反らせずにいる。剃髪したスキン・ヘッドの後ろか
歴史小説「Two of Us」第4章J‐15
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country
J‐15
細川家臣が記したとされる「茶人四祖伝書」の中で、茶人細川三斎宗立について記された文言。
『細川忠興は天下一気が短い人で、反対に気が長い茶人は蒲生氏郷である』
前述のとおり気が短いのは、持病の【癪】(しゃく)のせいだと云われる。短気で怒りっぽい人物を『癇癪持ち』と呼ぶ程、心因性の強
歴史小説「Two of Us」第4章J-14
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country
J‐14
絶壁の崖の上に建立された杵築城は、現存する日本一小さな天守閣。
それだけでなく、唯一、おんな城主が江戸時代に居城としていた時期が在る城郭。その女性こそが『ガラシャ珠子』だった。
別府(本拠地とは別に統治する処)として細川領ではあるが、城代家老の代替えに、ガラシャ珠子が住まいとし
歴史小説「Two of Us」第4章J‐13
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country
J‐13
二杯目の八女茶があなたガラシャ珠子の古伊万里茶碗に注がれると、与一郎忠興は、傍に居た若手の侍従に何がしかを頼み事する。
二十歳前の彼は黙って頷いて、広間から姿を消した。
あなた珠子は引き続き、『大坂玉造屋敷からの大脱出』を語る。
「侍女が待っていたのです。女官のシモとオクです。
歴史小説「Two fo Us」第4章J‐12
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country
J‐12
「たしかに。云われてみると、朝鮮半島へ出征して以降は、珠子と逢えたのはまだ両手で数えられる程だ。
悪かったの。もう、小倉の財政難も落ち着いた。悪かったの」
【癪持ち】用の丸薬を口に含んで白湯を飲み干す、与一郎忠興。若い時から未病の医学には造詣が深いが、40台半ばにも成ると、さすが
歴史小説「Two of Us」第4章J‐11
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country
J‐11
ガラシャ珠子の返答に、細川与一郎忠興は条幅半紙から離れ、侍従を呼ぶ。四男立孝(たてたか)の側近をしていた侍従が、最近はあなた珠子の傍に居る。
「それがしと珠子に、茶菓子を頼む。珠子は、何が好いかの❓」
「はい。珠子は、こういう日にはやはり、胡桃柚餅子(くるみゆべし)を所望でござりま
歴史小説「Two of Us」第4章J‐10
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country
J‐10
杵築城広間のど真ん中たたみ一畳分にて、細川忠興は、条幅半紙に極太の毛筆で書き上げた書を眺め、ひと息ついた。
『蜻蛉が出ると 蜘蛛の子散らす也
手に蜻蛉 頭の角の凄まじき
鬼か人か しかと分からぬ 兜也』
その川柳は、桑名藩初代藩主本多平八郎忠勝の、葬儀に参列した
歴史小説「Two of Us」第4章J-9
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country
J-9
1610年12月初旬(慶長15年10月下旬)。
小倉藩初代藩主細川忠興は、城代家老の松井康之を中津城に呼び出した。
江戸幕府二代将軍徳川秀忠が武家諸法度を発令する以前に、細川家は嫡男忠利を江戸屋敷に置き、忠興とは交代で領内に戻る二元統治を行っていた。
これは、三男忠利は関ケ原