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「それが何だっていうのか」と思えたもん勝ち

 これを言ったら相手に何て言われるだろう。

 これをしたら周りから嫌われるんじゃないか。

 これをしたら、皆さんが負担なのではないか。

 これをしたら、自分の体が持たないのではないか。

 これをしたら、遊べなくなるんじゃないか。

 
 これ。それは「願望」。

 じゃ(では)ないかの前。それは「幻想のバリア」

 幻想のバリアは障壁。

 願望をすると、障壁が邪魔をする。

 その障壁は、幻想。

 本当にそうなるかもしれない。実際にそうなったことが多い人は、学ぶ
「この幻想のバリアは、事実だ」

しかし、この幻想のバリアが、事実だったとしてもだ。

それがいったい何になるんだ?

願望である「これ」をやらない理由になるのか?

その程度なのか。君の「これ」は。

今、人は賢くなった。賢くなったとは「幻想のバリア」を重視することだと思っている人がいる気がする。事実自分もそうなっているような気がする。

幻想のバリアがあったとしても、それをも突き破るほどの「これ」と、その「これ」を幻想のバリアを突き破った先を見てみたい。

今、そう思っている。

なんだか、最近やる気です。

幻想のバリア、だいぶ自分の中で薄くなってきています。
幻想のバリア、だいぶ打ち破れてきています。



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