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親からもらった歪な規範意識

「普通、こうだよ」
「一般的には、こうだ」

そう言う時には、注意が必要だと思います。

自分の中に有る、常識、を基準にして、疑うこと無く、他者に押し付ける時に、普通、や、一般的、という言葉が出て来る場合が多い、と思っています。

特に考えること無く、極めてオートマチックに展開される思考には、注意が必要です。

「普通、こうだろ」と言って、相手が「なんで?」と返した時に、根拠を説明出来ない場合は、

自分が信じている、常識、を疑ってみる事が得策です。


私達にとって、幼少期の親との関わりは、人格形成上大きな意味を持つ事は、間違いありません。

心が成熟した親は、0〜4歳ぐらいまでの幼少期の早期に、決まり事や、親の常識を幼い我が子に無闇矢鱈に押し付ける事をしません。

親自身が幼少期に、心の成長を第一に考えてもらえる環境に育ったので、

特別に、決まり事や常識を押し付けてはならない、などと構えなくても、自然と我が子を思いやる中で、

子供の気持ちを尊重します。

そうすることで、先ず子供の心が育ち、決まり事や、常識、道徳、などの規範意識を取り入れる素地が出来上がります。

実際に規範意識を取り入れるのは、その後です。

しかし、如何に心が成熟した親であっても、100%子供の心の成長を優先することは出来ません。

静かにしなくてはならない場所で赤ん坊が泣き出したら、なだめすかして、赤ん坊の泣きたい欲求に制限をかけます。
泣きたい様に、思い切り泣かせてあげることが出来ない場面はいくらでも有る訳です。

更には、子育てには正解が無く、親は必ず間違います。

しかし、親の基本姿勢は、子供の心を尊重していますから、

子供の欲求に制限をかけざるを得ない場面も、自らの間違いも乗り越えて、子供の心の素地を育てます。

素地が出来て初めて、子供は規範意識を取り込むことが出来る様になります。


ところが、心が未成熟な親は、我が子の成長を待つことが出来ません。

そもそも、子供の心を尊重出来る程の心の成熟は、その親にはありません。

親自身が、尊重されることも、思いやりを受け取ることも無い環境に育った為、

子供の心の成長、という概念がありません。

最初から、自分の感情、自分の中の決まり事、自分の常識、自分の道徳を全部我が子に押し付けます。

子供は、心が成長する前に、親が押し付けるものを、自分の中の規範意識として心に刻み込みます。

そうして心に刻まれた規範意識は、成長して大人になっても、当たり前の感覚として、その人の心に居座ります。


健やかな心を持つに至った人は、心に、自分は存在するだけで価値が有る、という安心感があります。

生きづらい人は、自分には存在する価値が無い、という無価値感があります。

両者其々の、この感覚は幼少期の養育環境によって備わったものですが、

加えて、生きづらい人は、親の規範意識をも心に刻み込んでいます。


意識はしなくても、無価値感によって
「どうせ自分なんて」という感覚を持ち、
「誰もわかってくれない」という感覚に沈む様に、

他者に対して、「普通こうだ」という感覚がオートマチックに湧いて来ることがあったなら、

普通とは、なんだろう、と考えてみて欲しいのです。

世間一般、多くの人の、当たり前なのか、

幼い日に、親から持たされた、

世間の当たり前と、少しズレた、親子の間だけに通用する、普通、なのか、

今一度、確かめることは、無駄ではありません。

親からもらって、

無意識に使い続けた規範意識を、

自分の意識のテーブルに、

並べて見るのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム







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