自分が、生きた道のり、を過小評価していないか
自分の気持ちが判らない人は沢山います。
自分の気持ちが判らない、ということすら、判らない人も沢山います。
逆に言うと、自分の気持ちが判らないな、と感じている人は、気づき、の傍まで辿り着いています。
それは大変な、偉業、だと私は思っています。
その人は、生まれた時から、自分の感情を捨てた時に受け容れられる環境に身を置いていたのです。
そのまま気付く事なく、人生を歩む方が多数派である、と感じています。
その環境しか知らずに育って、それでも気がついた、という事は、偉業だと私は思います。
子供は本来、湧き上がる感情のままに喋り、動きます。
泣きたければ泣き、はしゃぎたくなったらはしゃぐのです。
その、湧き上がる感情を表現して良い、と思えた時、
子供は、自分はここに只、存在するだけで既に価値が有る、と感じるに至ります。
勿論その子は、存在が、とか、価値が、とか取り立てて考える筈も無いのですが、
ただ黙って、そこに居て手持ち無沙汰にしていようが、意味もなく動き回ろうが、
何をしていても、自分に対する安心感があります。
一方、自分の感情を捨てた時だけ受け容れられる環境とは、
親が心理的に未成熟である場合、子供の感情を思いやる事が、出来ません。
見た目は立派な大人であり、親であっても、心理的には幼い子供のまま、なのです。
冒頭で、子供は感情のままに喋り、動き、そうする事を受け容れてもらえた時に、自分は存在するだけで価値が有る、と感じる様になる、と言いました。
この心理的に未成熟な親は、感情のままに我が子に接します。
我が子に自分の感情を受け容れさせる事で、自分には価値が有る、と感じます。
つまり、親子関係は本来、親が子供を受け容れる事で成り立ち、
受け容れられた子供は、自分に価値を感じる、組み立てになっています。
ところが、親の心が子供のままだと、子供を思いやる事が出来ず、
親の感情を只々子供に押し付ける関係性が出来上がります。
親は心理的には、子供、のままですが、肉体的にも、社会的役割も、親、なのです。
親子の力関係は、一方的に親に偏っています。
親の強い立ち場は圧倒的です。
子供は徹底的に弱者です。
強い立ち場に在る者が、自分の感情を弱い者に押し付けるのですから、
弱い子供は、否応無く受け容れるしかありません。
しかも、強者、弱者、という事ばかりでは無く、
子供は徹底的に無力な存在であるが故に、
何があっても親を慕う仕組みになっています。
子供は親を慕う事で、無力な幼少期を生き抜く仕組みになっているのです。
だから、騙されても、ぶたれても、虐げられても、貶められても、
幼い子供は、親を慕って、慕って、慕い尽くします。
心が成熟した親であれば、慕い尽くす我が子を愛しく尊く感じます。
しかし、心が幼いままの親は、慕う我が子の姿を、絶対服従の姿勢と見誤ってしまいます。
心が未成熟な親と、幼い子供の織り成す世界は、支配と従属の世界です。
支配する者の感情や要求は絶対です。
たとえ、声色や口調が穏やかであったとしても、
支配者の発する言葉は結果的には、命令、です。
幼い子供は、親が発する言葉に従い、親の顔色を伺い、自分の感情表現を決めます。
泣きたくても、親が望むなら、笑ってみせるのです。
そうやって育つうちに、自分の感情を捨てる事は、ほぼオートマチックに成される様になります。
その完成形が、
自分の気持ちが判らないことにすら気が付かない人、です。
先に、気がつかない人が大多数であるのに、気がついた事は、偉業、と言いました。
湧き上がる感情を全て投げ捨てなくてはならない幼少期を過ごし、自分の感情を見失いながら、
やがて、その事に気がついたのです。
慕って止まない存在から、感情を捨てる事を強要された日々は、
受け容れ難い事です。
その受け容れ難き、を受け容れ始めているのですから、
私は、偉業、だと思います。
気がついて尚、自分の生い立ち、歩んだ道のりを、過小評価する人が、とても多い、と感じています。
せっかく気がついたのに、ここでまた、
「その頃の親には親の事情があり、仕方が無かった」
という落とし所に向かおうとします。
それは、自分の感情を投げ捨てて、親に譲った幼い頃の経験を、今また繰り返す事になります。
だから、幼い日に始まり、今日までの長きに渡った苦しさを、仕方が無かった、で済ませてはならないのです。
気がつくその事が、既に難しいにも関わらず、
気づいた事、を過小に評価しないで欲しいのです。
生い立ちと、歩んだ道のりを、
自分自身が正当に評価すれば、
「こんな環境に育ち、あんな事があったのに、よく生き抜いたなぁ」
という自分に対する、尊敬、を感じます。
自分のことが好きになります。
生きづらさ、とは、
自分を嫌っている状態です。
生きづらさ、からの解放とは、
自分を好きになること、
だと思っています。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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