伴走者ノゾム@TSL/Tsubasa Spilit Laboratory
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この人生、は誰のものなのか
今、生きづらさを感じているのであれば、
その人はかつて、自分の感情を諦めて、親の感情を優先せざるを得ない環境に育った人、です。
悲しくて涙が零れそうな時も、親が明るく笑う子供を求めている、と察したら、
自分の泣きたい気持ちに蓋をして、親が望む通りに、笑ってみせる子、だったのです。
感情は見て見ぬふりをして、蓋をしても、自然に消えて無くなることはありません。
未消化の感情は、心の奥にうず高く堆
どうせ自分のことなんて誰もわかってくれない
アイツはちっともわかっちゃいない、
会社のトップは社員のことなんてどうでもイイと思ってる、
国は国民を馬鹿にしている、
どうせ誰もわかってくれない。
自分の気持ちを、周囲が汲むべきだ、という感覚に執らわれると、
世の中は途端に腹立たしい世界になります。
口には出さなくても、心の中で、
「どうせ自分のことなんて誰もわかってくれない」
と思っている人は、実は、周囲に過大な期待を持っています
自分が、生きた道のり、を過小評価していないか
自分の気持ちが判らない人は沢山います。
自分の気持ちが判らない、ということすら、判らない人も沢山います。
逆に言うと、自分の気持ちが判らないな、と感じている人は、気づき、の傍まで辿り着いています。
それは大変な、偉業、だと私は思っています。
その人は、生まれた時から、自分の感情を捨てた時に受け容れられる環境に身を置いていたのです。
そのまま気付く事なく、人生を歩む方が多数派である、と感じ
心が窮地に立っている
生きづらい人が、自分が抱える生きづらさに、気がつくこと、は易しい事ではありません。
重々しさ、は感じています。
息苦しさ、も感じています。
何かに追われる様な、焦燥感も感じています。
しかし、生きづらい人の多くは、物心ついた頃には、既にその感覚が当たり前だった為に、
自分の心が窮地に立っている、という認識がありません。
もしも一度でも、満ち足りて、安心に包まれる様な経験が有ったなら、
今
他人の視線に呑まれる事と、自分を客観視する事
自分を客観視する、とよく耳にします。
その効果は主に、冷静になる事が出来る、と誰もがなんとなく理解している、と思っています。
しかし、自分を客観的に見るつもりで、取り囲む他人の目に自分がどう映っているか、に執らわれてしまう人は多い様に感じています。
他人から見た自分に執らわれる、という事は、
他人に合わせる事、
他人に譲る事、
他人に呑まれる事、
です。
他人に合わせたり、譲ったりという事