伴走者ノゾム@TSL/Tsubasa Spilit Laboratory

感じる・考える、のバランスを整え『生きづらさを手放す』ことを核に『軽やかに活き活きと生…

伴走者ノゾム@TSL/Tsubasa Spilit Laboratory

感じる・考える、のバランスを整え『生きづらさを手放す』ことを核に『軽やかに活き活きと生きる』をサポート。TSL/Tsubasa Spilit Laboratory(ツバサ・スピリット・ラボラトリー)代表。カウンセリング、講演、施設慰問、著述等の活動に従事。

最近の記事

君は恥ずかしい存在なんかじゃない

もう15年程前になります。 私は当時、東京に住んでおり、事業に失敗して経済的にも精神的にも、どん底の状態にありました。 結果としては、この時のいわゆる、底打ち体験、があったから、自分と向き合うことが出来、 長く背負って歩いた、生きづらさ、を背中から降ろすことが出来た、と今は思っていますが、 当時は、苦しさの最中に在りました。 そんな時、同じく苦しみの最中でもがいている一人の男性と出会いました。 何かが引き合う様に、人がひしめき合う東京で、ひと月程度の短期間に偶然に

    • 生きづらさを創り出す親子関係に欠けたもの

      機能不全家庭に於ける親子関係は、 心理的には逆転しています。 確かに物理的には、 親が子を養育しています。 ご飯を与えるのも、服を買い与えるのも親ですし、住まう家も親が建てたか買ったか、賃料を親が支払っているか、です。 機能不全家庭だからといって、物理的には、健やかな家庭と何ら変わるところはありません。 だから、他所から見ると、機能不全家庭は、健やかな家庭と見分けがつきません。 むしろ、機能不全家庭の親は、総じて世間体を過剰に気にしますから、外から見ると、ちゃんとし

      • 自罰の子、他罰の親

        自分で自分を罰する人も、 他人を罰する人も、 原因は、心の中にべったりと張り付いている、「自分は無価値だ」という思い込みです。 その無価値感の重さに耐えかねて、その場にうずくまってしまえば、自分で自分を嫌い、自分を責め、自分を罰する人になります。 自分を罰する人は、心が晴れることがありません。 ただそこに存在するだけで、自分は無価値だ、という感覚に支配されているのですから、心が晴れる筈がありません。 いつも、引け目、を感じて生きています。 自分で自分の価値を値引き

        • 自分を責めてはいけない理由

          宿題を忘れて先生から怒られる、 仕事でポカをして上司から叱られる、 待ち合わせに遅れて恋人を怒らせてしまう、 生きていると、責められる場面は沢山あります。 誰もが出来ることなら、責められる様な場面は当然避けたいものでしょう。 自分を責める相手が先生なら、上司なら、恋人であれば、 言い方は悪いかも知れませんが、嵐が過ぎ去るのをじっと待てば良い訳です。 過ぎ去らない嵐は無いのですから、自分に明らかに非が有るなら、大人しく待つしか無いでしょう。 しかし、自分を責める相手

        君は恥ずかしい存在なんかじゃない

          気づいた人が辿り着く場所

          社会通念に照らして、ちゃんとしていない人を見て、「甘やかされて育ったんだな」などと言います。 例えばその、ちゃんとしていない人、が会社員だとしたら、 遅刻癖があったり、社会人としての最低限のマナーや、心構えに疑問符が付く時に、「甘やかされて育った」と言われてしまいます。 その人の、依存心が強かったり、責任感が薄かったりという面が目立つ時、周囲はその人を、 精神的に大人になれていない、と評価して、甘えている、と思う訳です。 実際、オフィシャルな場所にそぐわない行いが目立

          気づいた人が辿り着く場所

          「どうせ自分なんて」という感じ方は無価値感のつぶやき

          「どうせ自分なんて」 という思考に執らわれた事はありませんか? その想いに執らわれている限り、おそらく物事は好転しません。 とても簡単ですが、とても大事な、心の在り様を知る、自己診断の基準、だと思っています。 「どうせ自分なんて」と思ったその時、 その人はネガティブな世界に立っています。 ポジティブな世界に身を置いていたら、その感じ方をすることは無い、のです。 他人に表明することは少ないでしょうが、 これまでの人生で度々、心の中で「どうせ自分なんて」と感じている人、

          「どうせ自分なんて」という感じ方は無価値感のつぶやき

          「毒親」という言葉を使わない理由

          「毒親」という言葉を私は、積極的には使いません。 noteのハッシュタグに「毒親」と入れる事があるのは、世間一般に広く認知されている言葉なので、目にとめて頂き易いでしょうし、初見の方にも記事の内容が推測し易いだろう、と思ってのことです。 「毒親」という言葉を、積極的に使わない理由は、 生きづらさ、に気がついて、生きづらさを手放そうとする人が、自分と向き合う時、 説明不要なほどにキャッチーでインパクトも強いワードであるが為に、 親を憎む方向に、突っ走るキッカケになって

          「毒親」という言葉を使わない理由

          私は毒親でしょうか?

          「私は毒親でしょうか?」 そう尋ねるお母さんは少なくありません。 私は「毒親」と言う言葉は理由があって極力使わないのですが、 問い掛ける、苦しむお母さんは、大半が冒頭に記した様に「毒親でしょうか?」と尋ねられるので、今回はそのまま使いました。 何故、その言葉を使わないのか、は、別記事でお話ししようと思っています。 結論から言いますと、本当の意味での毒親であれば、自分は子供にとって良くない母親なのではないか?と言う疑問を持ちません。 だから、思い悩む時点で、そのお母さ

          言うに言えないことを察する心

          得体の知れない重々しい気持ちを引きずったまま、人生を歩いた果てに、 その重々しい気持ちこそが、生きづらさである、と気がつく人がいます。 その原因が、幼少期の親子関係にあるのではないか、という事まで見通す人がいます。 その人は、生きづらさの原因となった親子関係しか知らないのですから、自分一人で、そこまで辿り着くには、とてつもない苦しみや、寂しさ、虚しさを味わった筈です。 とてつもなく苦しかったから、自分の心の在り様を、探り始めたのだと思います。 そして、その人は、幼少

          言うに言えないことを察する心

          心配という支配

          世の中には、優しい人もいますが、ズルい人もいます。 そしてズルい人は、自分が抱える無価値感を解消する為に利用し易い相手を的確に探し出します。 これは、ズルい人は、カモに出来る相手をいつも物色しているからですし、 ズルい人は、やはり騙す人、欺く人に囲まれる親子関係や人間関係の中で育ち、 慣れ親しんだ環境で、触れた事があるタイプを、言わば匂いや、肌感覚で見つけ出します。 ズルい人と、利用される人は同じコインの表と裏です。 どちらも、否定され、拒絶され、利用される環境に

          許す道、断罪する道、向き合う道

          自分が抱える、苦しさ、は、 生きづらさ、だったんだ、 そう気がつくことは、 苦しむその人にとって、簡単なことではありません。 余程のレアケースを除いては、生きづらさ、の原因は、幼少期の親子関係にあります。 つまり、 生まれた時から苦しくて、 物心ついた頃には生きづらくて、 その人にとっては苦しい状態は、当たり前で、生きづらいのが常態なのです。 その人が、苦しみの無い状態を少しでも経験していたなら、自分は苦しい、と自覚出来た筈です。 その人に、生きづらさなど無い日

          許す道、断罪する道、向き合う道

          気づいた時が、その人のベストタイミング

          生きづらさを抱えている人は、感情が動き辛く、感情が動かない分を思考で補って生きています。 本人にその自覚は無く、感情は動いている、と思っています。 本来感情は、川の流れの様に、常に動いていて、思考はどちらかと言えば、要所で集中的に使われる役目です。 それなのに、感情が動かない分を、思考で補う訳ですから、思考はフル稼働で、オーバーヒートを起こしています。 熱を持ち、こんがらがって、その人は混沌とした思考一辺倒の世界に生きています。 桜吹雪を見て、 強風が吹いている、

          気づいた時が、その人のベストタイミング

          心の幼さはコツコツと積み上げることを嫌う

          心が幼いと、積み上げること、が出来ません。 コツコツと地道にひとつの物事に取り組むことがひどく苦手です。 心が幼い、ということは、心の中に確かな【自分】という意識、が育っていない、ということです。 確かな【自分】という意識は、心の核、です。 コツコツと積み上げる、経験、は心の核である【自分】の上に積み上がるのです。 【自分】が育っていないと、経験が積み上がる場所がありません。 【自分】が育っていれば、コツコツと積み上がる経験が、【自分】を育ててくれる喜びを感じます

          心の幼さはコツコツと積み上げることを嫌う

          負の連鎖を断つことでは無く、生きづらさを手放すことが主眼

          機能不全家庭の親は、心の中に、確かな【自分】という意識、が育っていません。 自己不在なのです。 確かな【自分】という意識は、幼少期に親から、肯定的に受け入れられることで育ちます。 自己不在の親は、かつて親から否定、拒絶されながら育った経緯があります。 だから、【自分】が育たなかったのです。 【自分】は、心の核であり、その人の人生の主役です。 心の核が満足に育っていないのですから、情緒は幼いまま、です。 見た目は立派な大人で、子を持つ親でありながら、情緒は極めて幼

          負の連鎖を断つことでは無く、生きづらさを手放すことが主眼

          心の傷に対峙する母、目を逸らす母

          我が子の屈託の無い笑顔、 可愛くない訳が無い、 我が子の楽し気な姿、 愛しく思わない筈が無い、 それなのに、この子のことが、どうしても癪に障る、 自分ばっかり笑って、 自分ばっかり楽しそうで、 泣かしてやりたくなってしまう。 そんな思いに執らわれる自分を、 毎日責めているお母さんが在ることを、私は知っています。 この子を愛している、 この子が可愛い、と心の中で、祈る様に呟いてみても、 その祈りとは裏腹に、 癪に障る自分がいる、 泣かしてやりたくなる自分がいる。

          心の傷に対峙する母、目を逸らす母

          お金は必要だけど、一番大切なものじゃない

          その時代に生きた訳ではありませんから、多分そうだったのだろう、という憶測ですが、 太古の昔、文明と呼べるものが無いぐらいの頃、人間は、 きっと、力が強い者、身体が大きい者、などが群れを牛耳っていたのではないか、と思います。 やがて、他の動物からは大きく秀でた、考える力、を持つ人間は、 威嚇したり、力を誇示したり、戦ったりしなくても、群れの治安を守りつつ、統治したり、序列を作る術として、通貨や貨幣制度を創り出しました。 この地球上の生きとし生けるもの、約140万種の中

          お金は必要だけど、一番大切なものじゃない