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日向坂46展「WE R!」を見に行けないやつなりの「WE R!」の解釈

日向坂46展「WE R!」というタイトルを見たとき、まず興味を惹かれたのは以下の2点でした。

  1. なんで「ARE」ではなく「R」なんだろう

  2. なんで「!」が最後についているんだろう

自分は体調のこともあり、この展示は行きたくても行けない人間です。現場には足を運べない人間ですが、自分の note に頂いたコメントだったり、感想記事を読むなどしていて、上記について自分なりの解釈が浮かんできました。

ならば、「行けないやつなりの解釈」っていうものが一つくらいあってもそれはそれで面白いかなと思ったので、せっかくなので書いてみようと思いました。さらには漏れ伝わってくる展示の様子から、自分なりに「メンバーパネルが持つ旗」や「紙飛行機」の正体についても解釈してみたのがこの記事です。

各論に入る前に、まず自分が何を「最も日向坂らしいこと」と捉えているのか、そしてその観点で WE R! のメインビジュアルを見た時に何を感じるのかについて整理しておく必要があるので、まずはそこから見ていきたいと思います。

※ネタバレを含むのでご注意ください
※あくまで行けないやつなりの解釈なので、現場とのズレはあるかと思います
※約9千字あります


「日向坂ならやりかねない」メインビジュアル

前々回に以下の記事で、「最も日向坂らしいこと」とは何かを考えました。

内容をかいつまむと、

  • 「最も日向坂らしいこと」は日向坂にとっての「日常」にあるはず

  • その「日常」とは「ひなあい」なのではないか

  • 「ひなあい」にあるのは「秩序と混沌のバランス」だと思う

  • そのバランス感を最もよく表す言葉が髙橋未来虹さんの「日向坂ならやりかねない」なのではないか

  • 秩序と混沌のバランスを持ちつつハッピーであるので、「日向坂46はハッピーカオスである」と表現したい

というものです。

そんな整理をする前に発表された WE R! の開催ですが、そのメインビジュアルがこちらです。

日向坂46展「WE R!」公式サイトより引用

僕はこれを見たとき、

「そうそう、日向坂らしさってこういうことっすよね!」

とすごく合点がいきました。
まず目に付くには、「なんだか独特なポーズ」ですよね。
「くみてんとこのちゃん、めっちゃ足あがってんな〜」とか
「おみくの姿勢、右腕がしんどそうやな」とか
「かとしは何と戦ってんねやろな」などいろいろありますが、とにかく

「なんだなんだこの展示。一体これから何が始まるんだ?」こちらをワクワクさせるカオス感があります。

それでいて、そのスタイリングはとても上品で秩序があります。真っ黒な背景に浮かび上がる鮮やかな衣装も、メンバーの表情も、そして奇抜すぎないポージングさえも、絶妙なラインで秩序を保っています。

秩序を保ちつつも、ワクワクさせるカオスをもたらす。まさに「日向坂ならやりかねない」を体現したようなメインビジュアルだったので、めちゃくちゃ嬉しかったです。なぜなら、この展示を設計した方や、現場で詳細な進行を務めた方と、おそらく違う言語化にはなるでしょうが本質的には同じようなことを魅力として共通に感じているんだろうなと思えて、「そうそう、日向坂ってそういうとこがいいんすよね!」って勝手に握手したい気分になりました。

当時はまだここまでの言語化はできていませんでしたが、直感的にはこういう気持ちになっていました。

日向坂総体としてのルネサンス

そして展示自体がどういう構造をもっていたかというと、それは以下のそうそうさんの記事を見たら全部分かります。

「らしさ」の復興という意味での「ルネサンス」として捉え、その復興の鍵が四期生だった、というような構造だったように思います。

自分は前回の以下の記事で、佐々木久美さんのスピーチにあったように日向坂が総体として「ハッピーに」というスタンスを取るまでのプロセスは、原点回帰やルネサンスではなく、「止揚」だと捉えていました。

止揚プロセスによって、「引き」の画を定めつつも、「寄り」で見た時にこれまでのこともちゃんと全て内包できてるよね、それらは空間的・時間的な広がりの中ですべて"日向坂"としてマッピングできますよね、というようなことを書いたわけですが、正直「ルネサンス」のほうがオシャレでええやん。なんかわかりやすいしキレイやし、日向坂総体の「引き」の姿で考えたらたしかにルネサンスとも言えるし、その方が伝わりやすいやん、という気持ちになりました。

止揚!弁証法!アウフヘーベン!!

とか言ってても脳内に小池百合子が出てきてまうし。「3密」展ちゃうねんから。

それはともかく、冒頭で述べた「興味を惹かれた2つ」のうちの1つの答えが「R はルネサンスの意味を伴う」ということだと思います。

ではもう一つ、なんで「!」なのか。
「そんなもん、日向坂のハッピーで元気な感じを表現してるだけちゃうんかぇ」と解釈してスルーすることもできそうなんですが、僕はこれもちゃんと解釈できそうだなと思いました。

ここからはおそらく、展示設計者の意図とはぜんぜん違う解釈になると思いますが、大胆に考えを書いていきたいと思います。

行けないやつなりの勝手な展示の解釈

前述したそうそうさんの記事や補足で頂いた情報などから、展示の構成はおおよそこうなるかと思います。

  • ひらがなけやきから時系列に歴史を辿れるようになっている

  • 日向坂としてデビューするタイミングで紙飛行機が投げられた

  • 5章ではその紙飛行機が姿を見せなくなっていた

  • 6章で四期生(平尾帆夏さん)が紙飛行機をキャッチした

  • ユニークなポーズをしたメンバーパネルは全編に渡って展示されている

  • しかし5章のみ、パネルのメンバーは旗「WE R!」を持たなくなっている

そして本展示の企画・ディレクションを担当なさった本信光理さんがXで、そうそうさんの記事に対する補足として以下のポストをされていました。

本信さんによると、旗は「〈私たちは何者なのか〉という問いの象徴」とのことです。

この旗について展示に行けない僕自身は別の解釈を持ってみました。それは「私達は何者なのか」という問いというよりも「らしさの受容」を表すのでは、というものです。

日向坂がずっと続けていた「らしさの受容」の旅

「らしさ」というものは、消えたり現れたりするものではなく、ましてやどこかから与えてもらったり探して拾ってきたりするものでもなく、生まれながらにして持っていて「見出すもの」だと思っています。そんな「らしさ」を見出し受容するプロセスには少なくとも以下の3つがあると個人的には考えています。

  1. 存在:それが実際にあるのか

  2. 認識:その存在に気づいているか

  3. 受容:気付いた存在を受け入れているか

「らしさ」ではないですが、同様のプロセスをたどる恋心を例にとって説明します。
「存在」は、恋心そのもののことを言います。自分で気づいていようがいまいが、そこに存在しているかどうかです。
「認識」は、恋心の「存在」にどれだけ気づいているかの程度です。「なんか分かんないけどついアイツのことを目で追っちゃう・・・これってもしかして・・・?」みたいなうっすら気づいている程度から、はっきり気づいている程度まであります。
「受容」は、その恋心をどの程度受け入れているかの程度です。「アイツのことが好きだなんて、あり得ないあり得ないあり得ない!」なら受容度0ですし、「ダメだ!やっぱりオレはアイツが好きだ!」なら受容度100ですね。

このプロセスを「らしさ」について辿ったのがひらがなけやきの頃です。最初は「君たちはパフォーマンス集団になるんだ」と言われ、わけもわからず大道芸を身につけながら Zepp ツアーを成功させようと必死にもがいていたひらがなけやきですが、当時の不安定な立場などもあり、「自分たちらしさとは何なのか」にはまだ気づいていない時期でした。しかし、当時からファンは「明らかに漢字とひらがなの雰囲気は違うな」と感じていたように、言語化できないまでも「らしさ」は確かにそこに存在していました。

この状況を変えたのが今野さんです。今野さんは「ひらがなけやきはハッピーオーラだね」と言語化し、「らしさ」を縁取りしました。それによってメンバーも「らしさ」を「認識」できるようになり、さらには自分たちがおぼろげながらに認識し始めていたこととも一致していたため、一気に「受容」まで進んだわけです。

こうしてひらがなけやき時代に、「らしさ」の受容プロセスが一旦完了しました。そしてメンバーパネルが持つ旗は、そんな「らしさの受容」を表す旗だと解釈してみました。「WE R!」と書いた旗を握りしめているということは、自分たち自身を受容して握りしめていることだと思えたからです。

「らしさの社会実装」を表す紙飛行機

その後、「らしさ」を受容したひらがなけやきは二期生も加入し、走り出す瞬間ツアーを経て三期生として上村ひなのさんが加入した後、ひらがなけやきの歴史を「昇華」する形で「日向坂46」として生まれ変わりました。

それによって、「キュン」で一気にひらがなけやきからの雰囲気が変わったように、「らしさ」が楽曲や衣装などの表現物としてこれまで以上に具体的に色濃く具現化されました。つまり、「らしさが社会実装されて、紙飛行機として世にハッキリと解き放たれた」、ということです。つまり、紙飛行機は「らしさの実装」という解釈になります。

写真で確認する限り、展示では「期待していない自分」の衣装をまとった佐々木美玲さんが紙飛行機を持っていますが、実際に投げたのは日向坂となり「キュン」をリリースするタイミングの齊藤京子さんです。なぜ佐々木美玲さんが投げなかったのかというと、「走り出す瞬間」の段階ではまだ完全には「らしさ」を実装しきれていなかったからです。なので、日向坂として「らしさ」を完全に実装しきったタイミングで齊藤京子さんが投げることができたわけですね、という解釈をしてみました。

受容のゆらぎ

そんな中で起こっていたのは、「セルフドキュメンタリー」でも語られていた通り、「らしさの受容のゆらぎ」です。

一度は希望を見出した「ハッピーオーラ」が今度は葛藤を生み、

「ハッピーなのは他のグループも同じだよね」
「元気さ、明るさは他のグループにもあるよね」
「そもそも醸し出すものだし、自分たちで言うことなのかな」

というように、「らしさ」を受容することに自信が無くなっていきます。
そんな折に発表された東京ドームによって目標が定まってしまい「らしさ」の問題が覆い隠され、なんとなく受容しているような受容していないような状況が続いていたように思います。

個の「らしさ」を総体の「らしさ」に昇華させる挑戦

そんな東京ドームが終わり、いよいよ覆い隠されていた「らしさの受容」をどうするかに向き合う必要が出てきました。
おそらくですが、「らしさの受容度」はメンバーごとに差があって、受容しきって全うしたい人、他にらしさを見いだせるんじゃないかと模索の道を歩みたい人、その狭間で揺れている人など、濃淡がいろいろあったんじゃないかと推測しています。
そして自分の仮説は前回の記事で述べた通り、そのばらつきを見て「本来のらしさの実装」を遠ざけ、個の「らしさ」を「総体のらしさ」として昇華させる試みに舵を切ったんじゃないかというものです。この辺、本当は現地で展示を鑑賞して検証したかったところです。

なので5章においては「らしさの受容」を表す旗を持たなくなってしまい、受容しないのであればそれを社会へ実装することもできませんので、「らしさ」の実装であった紙飛行機も姿を見せなくなったと解釈してみました。

「らしさ」を再実装した四期生

その後の6章の展示では、四期生の平尾帆夏さんが紙飛行機をキャッチしています。紙飛行機は「らしさの実装」であると解釈しました。なのでこのキャッチが何を意味するかというと、四期生が「らしさ」を再実装した、ということです。どうやって再実装したかというと、新参者でのパフォーマンスとして、になります。

しかし、「らしさの実装」は誰にでもできるわけではありません。先に述べたように「らしさ」は、どこかから与えてもらったり探して拾ってきたりするものではないからです。つまり、そんな「らしさ」を再実装できた四期生には「らしさ」が存在するはずなのですが、なぜ四期生は「らしさ」を持ち得たのか?それは前回の記事で述べたように、「最も日向坂らしいこと」を知るスタッフが「最も日向坂らしい子」として選んだのが四期生だからです。だから当然、「らしさ」を持っているわけです。

でも、まだ足りません。「らしさ」を持っている先輩たちが、5章ではその紙飛行機を視界から失っています。「らしさ」を受容しない限り、「らしさ」をちゃんと実装することはできません。では、四期生は受容できていたのか?はい、これは皆さんご存知の通り、誰よりも「ハッピーオーラ」という言葉にこだわり、誰よりも「ハッピーオーラ」と口にし続け、自分たちで「一体感」というスローガンにたどり着き、12人全員の名前を挙げ「空まで届けハッピーオーラ、一体感!」という円陣を作り上げた四期生は、完全に「らしさ」を受容していました。だからこそ紙飛行機をキャッチし再実装することができたわけです。

そう、あの紙飛行機、実は「日向坂46」しかキャッチして実装できないんですよね。そんな紙飛行機をキャッチして再実装した瞬間が、四期生が真に「日向坂46」であることを証明した瞬間なんだと解釈しました。ここで大事なのは、四期生が「真に日向坂46になった」ではなく、「日向坂46であることを証明した」という点ですね。

「らしさ」の再受容

そんな四期生の実装を見た上で、昨年12月の話し合いを経て先輩たちも「これが自分たちの実装すべき『らしさ」』だよね」と再度受容することができ、再びその手に旗が宿ったんだと解釈してみました。

もちろん前回の記事で述べたように、「らしさの迷い」もこの受容プロセスには必要だったんじゃないかなというのが僕の考えですが、とにかく長い期間をかけたこのプロセスをよく乗り切ったなぁと思います。

「らしさ」はずっとすぐそばにいたんです

さて、そんな展示の最後にあるのが(ですよね?行けてないので不安)、「WE R!」と書かれたこれです。

WE R! の公式Xアカウントのプロフィールには以下のように書かれています。

“私たちは日向坂46だ”
歴史を辿りながら自分自身の存在を問うていく。

WE R! の公式Xアカウントより

「問うていく」とあるので、入館客としては「日向坂46とはなんだろう」、つまり「What is 日向坂46?」という問いを持ちながら展示を進んでいくことになるのかなと思います。

そんな問いを持ちながら、これまでの数々の歴史を振り返り、最後の出口にやってきたところで「What is 日向坂46?」の回答として示されるものがこの「WE R!」なのではないかと解釈しました。これはつまり、

Q. 「日向坂46とはなんですか?」
A. 「私達です!」

ということですよね。一見、ちゃんと回答していないように見えますが、これは明確かつ的確な回答であると解釈してみたいと思います。

この記事の冒頭で、WE R!のメインビジュアルを見た時に「そうそう、日向坂らしさってこれだ」と思ったことを述べました。その理由は「最も日向坂らしいこと」とは「秩序と混沌のバランス」、つまり「日向坂ならやりかねない」と思っているからであって、それを体現するような表現だからだと述べました。

そんなメインビジュアルを持つこの展示では、ユニークなポーズをしたメンバーのパネルが展示されているかと思います。以下のようなやつですね。

日向坂46展「WE R!」の公式サイトよりキャプチャ

「日向坂ならやりかねない」という「らしさ」はメインビジュアルだけでなく、この各メンバーパネルにもいえると思います。坂道グループが持つ秩序を象徴的に表す制服衣装を身にまとい、独特でカオスなポーズを決める。まさに「らしさ」が出ていると思います。

そんなメンバーパネルですが、展示の最初から最後まで全編を通して設置されているとのことでした。つまり、入館客が展示内を歩み進めるすぐそばでずーっと、しかも5章において「らしさ」の受容を遠ざけてもなお、「日向坂らしさ」をパネルのメンバーが表現し続けているわけです。なぜ5章でもこのパネルが存在するかというと、「らしさ」というものはそう簡単に多い隠せるものではなく、どうしてもにじみ出てしまうものだからです。受容しようとしまいと、認識できていようとできていまいと、「らしさ」というものは出ちゃうんです。だからこそ今野さんはダダ漏れのそれを「ハッピーオーラ」と言語化できたわけですね。

そんなメンバーパネルは言葉を一切使わず、身体表現のみで「らしさ」を表しています。つまり、「言葉は無くてもこの表現を見てくれたら、つまりうちらを見てくれたら、うちらのことがが分かるよ」というメッセージを暗に発していると解釈しました。

日向坂とは私達のこと。
私達を見てくれたらわかる。
だって四期生がそうだったから。
四期生は私達の姿を見て、こうありたいと願ってくれた。
そんな四期生を見て私達も「これが私達だ」と心底思った。
そんなわたしたちの姿をあなたは展示全体を通じてずっと見てきた。
だからもし聞かれるならこう答える。

Q. 「What is 日向坂46?」
A. 「WE R!

あなたは「YOU R」に何を続けるか

この回答は入館者に余韻を残してるような気がしています。それは、

質問に対する私達の答えは「私達」だし、もし言語化するのであれば、それは見ているあなたに託すよ。
あなたは「YOU R…」 のあとにどんな言葉を続けて私達を表現してくれますか?

なんじゃないかと解釈しました。
出口を出たあと、展示を反芻しながら考える楽しみを残す、おしゃれな演出だなと思います。そして僕は前々回の記事で、「日向坂46はハッピーカオスである」と表現しました。あなたなら、どう表現しますか?いろんな言語化があると思いますが、それらを共通して貫く軸がきっと存在するんだと思います。その軸を受容して「ルネサンス」を起こしたのが今の日向坂、という表現なんだと解釈してみました。

なぜ「!」なのか

この展示では「らしさの復興」を「ルネサンス」と捉え、それを「R」に込めているかと思います。
一度受容した「らしさ」から一度は遠ざかり、しかし再び心から受容し直した「らしさ」。佐々木久美さんのスピーチを見ると、そんな「らしさ」を今は堂々と自信を持って、誇り高く表明することができているように思います。

なるほど。その自信が「!」に表れているってことかな。2つ目の謎はそういう解釈にしてみます。

はい論破

ちなみにこの解釈はとっても脆弱なところがあって、もし5章に四期生のメンバーパネルがあり、それが旗を持っていなかったら、6章からの解釈が揺らぎます。「受容」を前提にしているからです。これは現場に行って確認できない人間の限界ですね。

一つディフェンスできるとすれば、5章で「らしさの受容」を遠ざけた先輩たちの前では、受容した姿を見せるのははばかられるから隠している、というものでしょうか。もし5章で、四期生のメンバーから先輩たちの挑戦を尊重したり、楽しみにしているようなコメントがあったとしたら、それはもしかするとそういう事かもしれません。

5コマ漫画でまとめるこの記事の解釈

長いので、雑な5コマ漫画でこれまでの解釈をまとめてみました。

「WE R!」来ていろいろ展示見て歴史を学んでなんやかんやあったんやなって分かったけども、
結局「日向坂46」ってなんですの?
(Who ではないのがポイント)
「うちらそのもののことやで!!」
「あんたらそのもの・・・?」(展示を通して見てきたメンバーパネルを思い出す)
公式サイトの画像を引用し筆者作成
「あー、なるほどね。言われてみればあんたら、最初から最後までずっとそうやったね。
そしてきっと、これからも。」

ところで開催のタイミングすごない?

話変わって、展示の開催時期の話です。
この展示が「らしさの復興」としてのルネサンスを軸にするには、去年12月のメンバー全員での話し合いを待つ必要があります。ここで初めてスタンスが決まったからです。
とすると、この展示は3月1日から開始したので、開催まで3ヶ月も無いわけです。

え?どうやったん?そんなんできるん?

あの話し合いから、ルネサンスを軸にした設計をして詳細つめてメンバーの撮影して、って3ヶ月でできます?もしできるなら変態すぎない?
制作プロセスがすんごい知りたい。どうやったんだろ。本当に不思議。

11thの延期は残念でしたね。ちょうど本来のリリースが会期の真ん中になってるのも、「WE R!(日向坂とはうちらそのもののことやで!)」の一つの答えが11thシングルという作品であって、それは
「君はハニーデュー」
「錆びつかない剣を持て!」
「どこまでが道なんだ?」
「恋とあんバター」
「夜明けのスピード」
「雨が降ったって」
「僕に続け」
で表現されていて、「うちらってこういうことっすわ」という表現を浴びてからもう一度展示を見るといろいろ見え方変わるんじゃない?という設計だったと思いますし。まぁそれは言うてもしゃーないので、残りの期間、行ける人は楽しんでほしいなと思います!

まとめ

メンバーが持つ旗を「らしさの受容」、紙飛行機を「らしさの実装」と捉えて、現地に行けないやつなりに WE R! を解釈してみました。

実際の展示は見れていないのでいろいろツッコミどころがあると思いますし、今日出したかったので拙速なところもあるかと思います。現地に行った方からのご意見やご感想などぜひお待ちしております!

余談

存在・認識・受容のプロセスは、以前おもちさんの記事とそれに対する自分のアンサー記事をもとに、二人でいろいろ議論してるとき自分なりに整理して出てきたものです。「いつかこれについてnoteにしますね〜」と言いつつ、どういう切り口で書いたらよいかずっと迷ってたので、今回ようやく回収できてよかったです。

そういえば松田好花さん、最近ANNXですごく「はがれてる」と思います。聴いていてもとてもおもしろい。そうそう、これが聴きたかったんだよな僕は、と今改めて思いました。

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