Namata160

[考察部屋]音楽。読書。散歩。旅。自然。考察。思考、行動の言語化をこよなく愛しています…

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[考察部屋]音楽。読書。散歩。旅。自然。考察。思考、行動の言語化をこよなく愛していますが、説明なしには誤解されることが多いので、少しでも文字での表現を書き綴っていきたいです。

最近の記事

美意識(本能編)

では改めて美意識とは 衣食住に伴う生存確率向上のために 一役買っていたということになりますが ・ある生物学的な角度からの展開で くちばしに2本の線が入った鳥 (名前は忘れました笑) そのひなどりは 巣の中で親から餌を受け取る際 他の鳥との区別のため そのくちばしの線を目印にしており 実験者が 線のないくちばしの木製模型を近付けても 反応はないが 2本の線を入れた木製模型を近付けたら 反応を示したそうです さらに面白いのが その模型に3本の線を入れたら さらに過剰に反

    • 美意識と侘び寂びとビジネス

      美しいと感じるのが人の 本能であるとして 個々で美意識に違いがあるのも また事実 五感別で考えてみるのもまた一興 美しい鳴き声 美しい姿 美味 匂いや肌触りに対し 美しいという表現は あまり使いませんね とはいえ 感覚的に 良い匂いや良い肌触りという質感は ニアイコール的に 美しいという感覚と結びつくのではないか ・ありきたりな話ですが グロさに美意識を覚える人がいるのも また人が持つ多様性の幅広さ エログロという名の芸術性を 見出した人は何かすでに超越している

      • 美意識とは

        綺麗な景色を見るのは好きで 絶景を観た日には それはもう鳥肌が経ちます 少年期までは 空を 見上げるのが大好きで 夕陽に対する思い入れは ご多分に漏れずです笑 しかし いつからか、例えば 山なんかがそうですけれど 遠くから見える山は綺麗に見えますが 実際山の中に入ってみると なんと言いますか 綺麗というのは無縁で そこには様々な生態系の秩序が 渦巻きあっています 田舎育ちということもあり 多少身近に感じていたが故に 遠くに見える山に感じる リアルな山事情 ・都会で

        • 強制終了という名の軌道修正

          ここしばらく 軽く不運続きなのですが そういう時こそ 逆にわくわくするといいますか笑 そんな渦中だからこそ 気づけることがあったり そういう時にしか 味わえない細やかな幸運があったりと 不思議なものです 良いも悪いも必ず起きると 意識できていれば何も苦になりません ・人生において 何かこう結果論ではあるのですが 解釈次第ではそうとも取れる 転換期なるものが時折訪れます その時の選択によって その後の人生に大きな変化が起きる 自分の意思じゃ どうすることもできない

        美意識(本能編)

          音楽と鳥肌

          唐突ですが こういった記事を見つけました 「音楽を聴いて鳥肌が立つ人は、脳の構造が特殊だということが研究により判明した。特殊というのは、音楽を聴いて鳥肌が立つ人は鳥肌が立たない人に比べると、脳の神経線維が密集している。脳の神経線維が密集している人は審美的な反応を示しやすい傾向にある。つまり、音楽を聴いて鳥肌が立つ人は感受性が豊かで個性的な脳を持っている。」 (引用:block.fm) 実際私は 音楽を聴いてて鳥肌が立つことは 過去何度も経験してきましたが “特殊”と言わ

          音楽と鳥肌

          言語とクオリア(日本語と漫画脳)

          クオリアという概念が脳科学にはあります 感覚質 ・感覚的な意識や経験のこと  意識的、主観的に感じたり経験したりする質のこと ・感覚的体験に伴う独特で鮮明な質感 と一応要約としての説明がありますが 正直深掘りしていくと どんどん沼にハマっていくタイプです笑 理解するのにきっと骨が折れ過ぎるだろうと 正直心半ばで放置している状態ですが 触り程度の情報量でどうにかまとめます笑 ・というのも言語において 日本語がなかなかにどうして 世界的に、意外にも特殊な言語である と

          言語とクオリア(日本語と漫画脳)

          歌と肺(備忘録)

          先日 ちらっと得た情報なのですが 肺には部屋が5つあり 右肺に3つ 左肺に2つ それは知らなんだと驚愕 さらに優先的には 右肺の方に多く(?先に?) 空気を取り込むらしく 一番最後(?)の左肺の下では 空気の残留が起こり 循環が滞っていることもあるとか いやはや 身体の機能の複雑さに まず感服いたすところで 感動すら覚えます ・そこで気付くこと はてさて 歌う時はどうしているかなと それはもう先入観で 吸った息は 左右均等に肺を巡っていると 思い込んでいたわけ

          歌と肺(備忘録)

          習慣化(とその落とし穴)

          習慣化というのは恐ろしいもので 良い習慣も悪い習慣も 気付けば身についているなんてこともあります 汚い言葉は使わない とか エスカレーターは使わず階段で とか 地味な所から 毎日読書する とか 最近ですと Noteを書くもそうなります 週に一回必ず 一人カフェ会議なんてのも 決行してます笑 とはいえ もはや習慣化してるのに 忘れてしまった、または 気付けていないなんてことも 大いにあるのかなと思います 毎日何かしら 自身の成長を促す意識は どこかしらで抱いており 結

          習慣化(とその落とし穴)

          鮮血の中庸相殺

          というわけで厨二病のタイトルで 始まりましたが 昨日 親指と人差し指の間を割れたグラスで 切ってしまいました 動脈をいってしまったので 血が大いに出ます笑 とはいえ痛みは大したことないので 血の処理に追われるというか いつぶりだろうというくらいの 大胆な切り傷ですが… いや冬の雪の日に階段で転けて 血でましたね笑 ・今回の血はやたらと 赤赤しいので調べてみたところ 血液が流れる血管は動脈と静脈の2種類があり、動脈の血液は酸素を多く含んだヘモグロビンが存在するので

          鮮血の中庸相殺

          日常はすべて通過点

          極論から言ってしまえば 生きとし生けるもの 必ず最後には生命を落とすので どうあがいても 通過点だ、と言ってしまうのは 簡単です笑 ですのでもうちょい 深掘りしてみようかなと思います ・経験則ではありますが 昔は自身の 歌やギター、楽曲制作のスキルに 果てや人間性も含めて 劣等感を感じていたタイプでして それはもう取り憑かれたように 色々試行錯誤を重ねていました 当然 周りもよく見えていませんでしたから 当時 お付き合いさせていただいていた 恋人にも何か塩対応だっ

          日常はすべて通過点

          中庸相殺6(フェザータッチ)

          適度な力加減 パワーバランスを意識していくと 一つ着目すべき点が浮上します 内的意識と外的意識のバランス ここで面白いのが 内的意識が強過ぎても結果 一周回って それは外的に繋がっており その逆もまた然り 要は 外的意識を向け過ぎても 波状効果の影響や いわゆる反動で内的にも フィードバックが強まる つまりヤジロベーが 良くも悪くも一番 バランスを保っている状態というのは 動かさないこと とはいえ動物である以上 物理的に動かないというのは もちろん生産性がない

          中庸相殺6(フェザータッチ)

          中庸相殺5(未知満ち満ち)

          いつだったか忘れましたが 昔 キンキキッズのとある番組で 他の出演者が 一万円以上するTシャツを着ている という話の流れから 堂本光一さんがそれに対し “え!?ただの布だぜ?!” と言っていたのが意外にも衝撃的で 未だに忘れられません ・そうなんですよね ただの布です 確かに材質の違い 良い布地を使っていれば 長く着れたりするのも事実ですが とはいえ やはり布は布 どれだけの価値があるか 同じ材質のものでも ブランドが違うというだけで 値段も変わってきたりします

          中庸相殺5(未知満ち満ち)

          中庸相殺4(相殺不可有)

          中庸を目指す(?)上で 発言というものがいかに 脆弱なものに成り下がっているか 発言とはある種の決定の末 導き出されたくじ引きのような 球体の中で 浮いたりぐるぐる回るあのくじ引き機 その時々での 状況、状態でくじで引いた発言は その実際に機内で 飛び回ってるくじの数が 多ければ多いほど その脆弱性を増していく こちらを立てればあちらが立たず あちらを立てればこちらが立たず じゃあ会話に対し 根本的に求めているものは 何か ということになってくる それは時間の共

          中庸相殺4(相殺不可有)

          中庸相殺3

          ということで戻って参りました (どこからにどこに?笑) 活字嫌いの10代までは 主に感覚的人間だったのですけれど 良く本を読むようになってから 理性も養われ、合理的な考えに注力するように なってきていました ”なってきていました”という表現がミソで 理性的になっていくと同時に 感覚的な自身が失われていくという 妙な喪失感も感じていました 理知的でありたいという欲求と クリエイティビティな感覚は 相反するものだと自身の中でぶつかり 葛藤する日々もあったりなかったり

          中庸相殺3

          (過去)

          未来を想起する 未来を想起するに当たって 現在に見据える その際現状との差異を 埋めていくという行程が発生する 結果 邪魔になってくるのは正直 過去ということになります 過ぎ去ってしまった日々に 思いを巡らせるのは得策ではない ・実際 購入意欲を一つとっても 金額は?性能は? どこで買うか?いつ買うか? メリットデメリットは? それを以てしてどうするか? などなど 行動の指針となるものが 生まれてきます ある意味精神的に忙しく 決断における労力の消費 その連続

          閃きは突然に(未来→過去)

          過去と未来の比重に関して 頭の片隅でぼんやりと日々 考察を重ねておりましたが ふと閃きが訪れる時というのは ポッと出のやんちゃボーイってくらい 自然なことのように なんで気付かなかったんだ、と そんな感じです笑 ・過去といえば 過ぎ去った時間、日々のことを 指すわけですけれども これには関しては もはや不変的で ほとんどの事象が覆しようがありません ・現在といえば 直近の出来事全般を指し 概ねまだ軌道修正も可能な範囲 ・そして未来 これは過去の統計を元に 起きる、起

          閃きは突然に(未来→過去)