見出し画像

同じ「わたし」でも嫌われたり好かれたり

仕事で長く運用を担当しているSNSアカウントがあります。

ときどき「なかの人」としてゆるいコメントもつぶやいているのですが…。
普段は人間味のほぼない「情報」の投稿が多いため、時々投げ込まれる人間味のある投稿をネガティブに受け取るフォロワーさんもいるようです。

先日も、
「会社のアカウントを私物化している。こんな自我を出した投稿はいらない。今までは普通だったのに。今年度から担当者が変わったのか?
というような内容のコメントがありました。

いや…そうとう長い間担当者は変わっていないんです…。
ずーっと、わたしが投稿しているんです…。


その一方で、
「少し人間味のある投稿にフフッとなります」
と言ってくださるフォロワーさんもいて、

「自分が発信する内容やふるまいの一部は、嫌われることも好かれることもある」
ということを改めて感じた経験でした。

ちょうどそのころ職場でも、今期の仕事への取り組み方についての多面フィードバックを受けました。
そこにも、
「自分の意見がしっかりあってよい」
というコメントと
「こだわりが強い、ストイックすぎる」
というコメントがそれぞれあり、

「いったいわたしはどうすりゃいいんだい」

という気持ちに。

これをまともに受け止めすぎたら、自分がどういう人間なのかわからなくなってしまいそう…。

そんなぐるぐるした思いが10周くらいしたあたりでたどり着いた答えは、
「もういいじゃん。人にはいろいろな面があるし、それぞれ好かれたり嫌われたりしても、それはあくまで『わたしのこの特定の部分』についてだけ。

わたし全体を知った上で嫌う人は、逆に一度はよほど関係性を深めた人くらいで、そんな人はほとんどいないから気にするのはやめようっと。
嫌いな人には嫌われたままでいいや」
でした。