見出し画像

酒を呑んで、煙草を吸おう

 仏教でいう悟りとは何かと言えば、欲を無くすということが第一に挙げることができるだろう。
ニーチェは永劫回帰を唱えキリスト教と相いれなかったが、未来も過去も無く、今だけが永久に続くという考え方はある意味仏教の悟りに近いものだと私は思う。ニーチェは確か永劫回帰を信じたうえで己の力で思考、行動ができる人を超人と言っていたが、それは悟りを開いたのち、衆生を救おうとする仏陀や菩薩と重なるように思える。

 私たちの生きる意味とは何だろう、皆さんも日がな一日、もしくは偶に、もしくは昔そんなことを考えたことがあるだろう。生や死への執着を無くしお金儲けや美味しい食べ物を貪らず生きることが正しい生き方なのだろうか。

 そもそも正しい生き方をする意味はあるのだろうか。悟りを開く意味はあるのだろうか。たぶん仏教的にはこの考えをする時点で落第なのだろうが私の中で疑問が尽きることはない。
悟りを開けば嫌いな上司を許せるだろう、余命宣告を出された恐怖を乗り越えられるだろう、昔の恋人を忘れられるだろう。
だがそれを私たちは望んでいるのだろうか。寧ろ私は恐ろしく感じてしまう。

 正しい生き方がどうであれ私は私だしあなたはあなた。苦しみも喜びも欲深いせいで打ち消せないほうがいい人生なのではないかと浅慮な私は思ってしまう。
今日も酒を呑み、煙草を吸おう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?