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覚えているのは青空だけ

パニック発作を治療し始めて早4年が経った。

症状が落ち着いた今、職場に居た時の記憶と治療を始めた最初の2年くらいの記憶が抜け落ちている事に気が付いた。

全てが無くなった訳ではない。断片的に思い出す映像がある。

それは、発作の最中うずくまっていた時の床の模様。

それと、定時で帰れた時の透き通るような青空。

私は忘れるという事で、発作から抜け出したようだった。

薬や診療の時の先生とのやり取りで命をつなぎ留め、最終的に時間が私を癒したようだった。

病気は薬で治るものだと思っていた。だけど、私の場合は薬で症状を減らして、その間に段々忘れていくことで治ったのかもしれない。(何かのきっかけでも戻ってしまうかもしれないが)

最近になって自分を少し褒めた。よく死ななかった。よく生き抜いた。よく諦めなかった。えらいよ。ほんと。という感じで。

家族や友人が支えてくれたこともすごく大きい。涙でぐちゃぐちゃの私を抱きしめ続けた家族には本当に頭が上がらない。だから、周りの人のお陰で立ち直れたと思っていた。

だけど、もっと近くにいる人間の事を忘れていた。自分だ。

自分だって結構がんばったではないか。薬をちゃんと飲み、通院し、発作を起こしてもちゃんと毎日生活をした。かっこ悪いほどボロボロで、ぐっちゃぐちゃだったのに、ちゃんと死なずに生きた。

これって結構えらい。ちゃんと嫌な事を忘れて、前向きにこんな風に文章にすることができている。これってえらい。

4年前はここまで回復するとは思わなかった。突然深い穴に埋められた気分だった。でも、死なないって大切だ。どんな風になっても死んだらどうにもなれない。

「生きたくても生きられない人もいるんだから」と言われたことがある。それと比べられたら立つ瀬がない。(もし周りに死にたがっている人がいたら言わないでほしい。それ以上にその人を追い詰める言葉はないから。)

それとこれとは別の話で、混ぜてはいけない。でも反論する元気もなく、死ぬことも許されないのかと絶望した覚えがある。

だけど結局私はたくさんの事を忘れて生きている。

でも、青空だけは忘れられなかった。あんなに辛くて、苦しかったのに、青空の美しさは心にしみた。誰の言葉も届かなくなっていた壊れた心にしみこんで、忘れられなかった。

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