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血パンダはどうやって演劇を作っているか その2. 前提、発声

自分が作、演出として、役者をやる人に協力してもらいながら演劇欲を満たしておいて恐縮なんですが、演劇自体は、もっといろんな人に開放されていくべき芸術分野だと考えています。

人気者になりたいちょっと変わった人が、誰かに喜んでもらいたいという建前でがんばる。いや、それ以外の演劇も地上に存在しています。
本人の見栄えみたいなことも、例えば絶世の美女役という設定があって、そこをなんのひねりもなく上演したいとなれば、死ぬ気で絶世の美女探してきたらいいんでしょうが、わざわざそういったルックの足かせみたいなものがあるものをやらなくてもいいわけで、いろいろ工夫次第。
役をやるにあたって、演者の年齢に幅を持たせられるなら、適正年齢というのはある程度あると思うのですが、私、子供の頃に、いい感じでお年を召した大女優杉村春子が、ちょっと思い込みの激しい女性の役で、スリップ一丁になっている姿を見た様な気もするので、そこはもう、みんなで妥当と思うならとか、納得の問題でしかないかな……。

他人の前で、覚えたセリフを口走ってみる、戯曲を書いてみる、舞台装置を作ってみる、人に光を当ててみる、効果音やBGMを添えたらどうなるのかやってみる。
多くの人が関われるし、自分の美的体験を誰かの美的体験にできる可能性が十分にある芸術の手法だと、日々噛み締めております。本番前に大道具のパネル作ったりしていると、余計に噛み締めます。

さて、血パンダはどうやって演劇を作っているか。
台本編が終わって稽古編なんですけど、どんな順番でどう書いたものか、稽古場ではとにかくいろいろ入り混じるので、手探りしながら始めます。

前提

前提として演者に対しては、「踊れない、日常の発声しか経験の無い君が、台本に書いてある言葉から推察できる思考で振る舞うとしたらどうするか」というところからスタートします。
この問いと、「普段の日常の光景としてはあり得ない密度、速度で思考してその場に居るとしたらどうなりそうか」という事を考えてもらいます。
極端な例えですが、イメージとしては、なんでもない人たちが、日常会話をしているんだけど、「間合いに入ったら即切られる」と見て取れる空気が流れている空間を作る稽古をする感じでしょうか。
社会的な主張があったり、エンターテインメントとして一定の娯楽を提供することを目的にしていないので、意図している観劇体験としては、何故か集中力が削られていき、見た事を説明しようとすると、自分の言葉がどこか不十分が気がするものを見た。という風になることを目指して稽古していきます。
台本の段階でも、
ある日、日常を過ごしていて、「演劇を見たのか、実際そんな目にあったのか、夢を見たのかが曖昧で気色悪い」そんな風にお客さんの心に入り込んでいけることを目指してセリフを書くわけで、そのためには、どう見ても日常だけど、目に見えない何かが違う必要があって、実は、その正体は演者の動きややり取りがどう見て取れるか、そのテンポにあるという風に定義して、稽古中の良し悪しの判断基準にしています。

発声

実際、血パンダのメンバーにはいわゆる演劇の発声練習の経験者もいますし、現役のナレーターでしかも朗読の先生をしている人間から、全く発声練習の経験の無い人間も居て、一緒に舞台に立っています。
個人的な感覚ですが、腹式呼吸というのが実は不正確で、横隔膜と体のどこで響かせるかに声のボリュームがかかっているかを考えた場合、一般的に行われている発声練習は、「激情が消えた現代」を追う血パンダでは不要と割り切り、実行していません。
叫ぶ技術や声優の様に発声する技術は、どこかで地続きになっているかもしれないけれど、別物です。

実際、発声練習で体に染みついた感覚のせいで、語尾の処理が甘くなったり、セリフの中でニュアンスを切り替えるともっと、違うイメージで伝えられそうなのに、そんな風に喋ってみられないという現象の方が問題で、この体に入った感触のせいで、自分の中でイメージも作れないということがある様に見て取れるので、とにかく声のボリュームを確保してみたり、鍛えられた声の状態にするための発声練習というのはやっていません。
500以上の客席のあるホールで何かを上演することでもない限りは、発声に対しては現在のスタンスで十分だと考えています。
むしろ、今現在、こうして色々なことに慣れてから、もう少し何か幅が出ないだろうかという角度で、発声の重要さについて模索を開始しています。

先日動画を公開した、『月を見るがごとく』の、しりとりや、言葉尻を捉えていくやり方も、もっと舞台上の発声に寄せてみたり、声優の様な喋りを意識して、音を立てていくと言葉遊び的な部分は引き立つかもしれませんが、そうやって記号化していく作業は、音声で表現できる余白を排除していく作業でもあると考えています。欲しいんだ。余白。むしろ何か細い芯の様なものの気配を残して、あとは全部余白。そんな風にしたいのでした。

そして、書いてあるセリフから読み取った感情と組み合わせられる喋り方が妥当かどうか、そもそも疑ってかかるという作業につながっていくわけですが、ここまで結構長くなったので。待て!次回。

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