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中妻式心意六合拳教伝(1)「しんどい」と「使えない」。

昨日の板橋武研。
子どもクラスで試験的に「中妻式心意六合拳」教伝開始。

これは、代々受け継がれてきた心意六合拳の形を変えるものではない。

「このように理解しないと、心意六合拳は『しんどい』」

という教伝として伝えていく。

今後の教伝の根幹に関わるので、少しぼやかして書いていくが😅

天龍武術会・石井敏先生引率のもと、上海のモスクで査拳・心意六合拳を学んだ日々は、今でも鮮烈な印象が色褪せない。

メンバーは「査拳チーム」と「心意六合拳チーム」の二手に分かれた。
私は査拳チームで学んだのだが、横目で見る心意六合拳チームの、まぁ〜しんどそうなことときたら!

心意六合拳チームは、ひたすら単式をやり込む。
単調かつ、大半の動作が片足スクワットのような形になっており、形だけ見せられて「さあ、やりなさい」と言われたら、これはもう巨人の星もびっくりの地獄メニューである。

対して査拳チームは動作の説明を詳しく受けながら、お手製のお茶まで出る格差😅

その日の練習終了後、心意六合拳チームのほうで学んでいた石井先生から
「こちらがヘトヘトになっているときに、ふと横を見ると、座ってお茶まで飲んでいる!」
などという感想をいただいたのも、懐かしい思い出である😅

さて、それから15年ほど経過して今に至るわけだが、今の私としては

「しんどかったら、使いものにならない」

という理解をしている。

そうだろう。
自分の動作をしているだけでしんどかったら、どうしてそれで敵と戦えようか。

心意六合拳を使いこなしていた先人たちは、伊達酔狂ではなく、「最も合理的な選択」として、このようなしんどい動作をやっていたはずである。

つまり、現代の我々が心意六合拳を見たり行おうとしたときの「うわ、片足スクワットでしんどそう」という感想は、もう観るところが違う可能性が高い。

つまり
・心意六合拳とは何かの理解
・十大形とは何かの理解
・生命とは何かの理解
につながってくる。

説明を端折って、答えだけ言う。

「人間をやめる」のである😅

「俺は人間をやめるぞ、ジョジョ〜!」
とは少し違う。
すぐに人間に戻れるから大丈夫だ😄

人間のまま、十の動物の名を冠した「十大形」を使うことはできない。
無理にやろうとすれば、めちゃめちゃ「しんどい」。

「心意六合拳は、健康に悪いから気をつけるように」
と、李尊思老師から教わった。
この意味は様々に解釈できるが、私は「人間のままやってたら健康に悪い」と今は解釈している。

敢えて「人間をやめる」。
これは、生命の本質を垣間見る道となる。

人間をやめることは、危険も伴う。
心意六合拳門下では、試合で死者が出る確率が高かったようである。
(「健康に悪い」というのは、「敵の健康に悪い」という意味かもしれない😅)

しかし、この生きにくい現代社会で、

「ああ、なんだ。いつでも人間をやめられるし、いつでも人間に戻れるんだな」

と理解できれば、それだけで痛快。
ちょっと楽に生きられる気がしませんか?😆

なので、敢えて心意六合拳を、運動が苦手な子に教えてみようと考えた。

中妻式心意六合拳教伝。
またの名を、〇〇拳。

試験的に教伝を行いながら、整理していきたい。
乞うご期待😚

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